joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

エゴ

2006年04月20日 | reflexion


今本を読んでいるのは、気の向くままに流れで本を選んで読んでいるつもりです。流れで読むというのは、いい加減なつもりで本選びをするのではなく、“直観”にしたがって、というと大袈裟になるけれど、読んでいるつもりです。

でもそうやって本を読んでいくと、悪い癖で、古典をたくさん読まなきゃ、という強迫観念に駆られていきます。

私が思うに、岩波文庫になっているような古典を身につくように吸収できる人というのは、膨大な知識をあっという間に頭に入れてしまうことの出来る天才肌の人で、それ以外の人が真似すると危険なのだと思う。

本を読んでいてそれが身につくと思えるのは、本当にそのときに関心があるものを読んだとき。古今東西の古典を頭に入れてよく吸収できる人というのは、視野が広く物事にとらわれないので、一見現代とは関係ないような書物でも旺盛な知識欲と好奇心と探究心で膨大な書物に目を通すことが出来るのでしょう。おそらくそこでは、ヘンな功名心も虚栄もなく、純粋な内的欲求にしたがって書物を手に取っているのだと思います。

それに対して僕が「古典を読まなきゃ」と思うときは、「古典を読んでちゃんとした知識を身につけて偉い人にならなきゃ」という欲が絡んでいます。でも古典なんて、10冊や20冊読んだだけでは自慢にならないし、まして自己目的化して読んでも頭と身体に悪いだけです。

そんな教養秀才は、現代でもいるかもしれませんが、そういう秀才を“目指す”ことはお笑いでしか本当はありません。本物の秀才であれば自分の知識をひけらかすために本を読んだりしません。ただ読みたいから彼らは読んでいるだけなのでしょう。

こう考えると、本当に自分は本を読むのが好きなのだろうか?という疑いにいつもかられます。


涼風