僕が人と話しているとき、相手の人についてではなく、一般論として「・・・って・・・ですね」と語っているつもりなのに、突然相手の人がムキになって反論してくる(ように感じる)ことがあります。
「僕自身は一般的な話をしているつもりのに、なぜこの人は僕に反抗してくるんだろう?僕が何か悪いことをしたのか?」
相手がムキになると、相手がムキになるということ自体に僕も腹が立ってきます。なんだか相手が僕自身に反抗してきたように感じて、とても腹が立つのです。
アーノルド・ミンデルは、「これまでのリーダーは“知っている”。これからのリーダーは“学ぶ”」と指摘しています。
人と話していても最初から「自分は答えを知っている」という態度でいる人は、偉そうに見えますが、それは旧来のリーダー像だということです。
それに対してこれからのリーダー(ミンデルはそれを、「リーダー」という言葉ではなく「長老」と呼んでいます)は、“学ぶ”姿勢をもっている人だといいます。
そう見ると、現在の世の中のリーダーのほとんどが“自分は答えを知っている”という態度をもち、人と話すときでも相手から“学ぶ”ことを考えずに、つねに相手に“教え”ようとしていることが分かります。
しかしそれはリーダーたちだけではなく、わたし(たち)についても言えます。
このブログで私は政治的な意見をよく書くけど、大抵は後味が悪くなります。それはどうしてだろうと思っていたけど、政治的意見というのはたいていの場合は「自分は答えを知っています。ほらこうでしょう」というわたし(たち)自身の傲慢な態度の表れだからです。
私のブログでも他のブログでも、政治的意見を述べたもののほとんどすべては「私は“知っている”」という書き手の態度を表わしたものです。
“知っている”という態度は、人とコミュニケーションをしていません。人と接しているようで実際は人を支配しようという姿勢の現れです。だからこそ私(たち)は政治的意見を開陳する人は好きになれないし、同時に政治的意見を述べる誘惑に簡単に陥ります。
私(たち)が他人と衝突するのも、私(たち)が「私はこのことについて“知っています”(だから他人にもあなたにも学ぶことはありません)」という態度で人と接したときです。
また相手の人が同じような態度を表わしたときも、「いや、あなたよりも私のほうがもっと“知っています”」という競争心で対抗しようとします。
涼風