淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

北村拓司監督の映画「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」。僕は支持する。

2008年02月03日 | Weblog
 日曜日の夕方5時過ぎ。もうすっかり日が暮れている。
 僕は映画館に向かう。

 今頃、それぞれの家庭では日曜日の楽しい夕餉を囲んでいる時刻だろう。
 テレビを見ながらそれぞれ笑ったり、美味しいおかずを食べたり、冷えた缶ビールを飲み干したり・・・。

 でも僕は映画館に向かう。
 この映画を是非とも観たかったからだ。「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」。
 最初、タイトルを聞いたとき、やられたと思った。中々いいタイトルだ、「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」。

 上映時間まで、ロビーの椅子に腰をかけ、熱い珈琲を啜る。
 誰もいない。日曜日の夜だもんなあ。普通は家でゆっくりと寛ぐのだろう。観客が俺独りだったら嫌だなあ・・・などと、くだらないことをぼんやり考える。
 館内に入ったら、中高年の夫婦が一組座っていた。
 まあ別にいいんだけど、「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」をわざわざ観に来る中高年の人もいるんだなあと、少し意外。

 映画は、角川学園小説大賞を受賞した瀧本竜彦の同名小説を「虹の女神 Rainbow Song」の市原隼人が主演したもの。
 実は、個人的に市原隼人って役者、あんまり好きじゃない。台詞もぼそぼそとよく掴み難いし、そんなに演技が上手いとも思えないのである。
 共演の関めぐみも、それほど華やかさを持った女優ではない気がするし、監督の北村拓司も、CMを作っているという以外、予備知識はない。

 でも物語がそそられる。
 3人組でつるんでいた高校の同級生の仲間の一人が、突然バイク事故で急死する。そのことから、主人公は言いようの無い焦燥感を抱いていて、自暴自棄な生活を送っていた。
 そんなある日、彼は、突然現われた謎のチェーンソーを持った大男と、絵里という名の制服姿の美少女との戦いに巻き込まれてしまう・・・。

 荒唐無稽である。漫画である。批判もあるだろう。
 しかし、この映画が、ギリギリの所でリアリティを失わずに光り輝いているその理由は、二人の高校生の等身大の存在感である。
 なぜ、絵里がチェーンソーを振り回す大男と対で戦えるのか?
 そもそも、チェーンソー男って一体誰なのさ?

 そんなことはどうでもいい。
 チェーンソー男は、自分自身の心に巣食っている「黒い塊」が具現化したものである。そういう見方だってあるじゃないか。

 この映画には切なさがある。そして愛がある。
 今年度ベストテン入り確実だなんて、そんなことは言いません。いっぱい穴もあるし、ダレる箇所だってたくさんある。

 でも僕、この映画支持します。


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