淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

ニルヴァーナのカート・コバーン、その自殺までの2日間を描いた「ラストデイズ」を観る。

2006年06月05日 | Weblog
 土曜日夜10時から始まる映画を観るために、夜の街を車で走った。
 その日の日中には駅伝大会があって、体の疲労もピーク。勿論、精神的な疲れとは違って、とても心地よい疲れなのだけれど、やはり一度寛いだ身を起こし、夜の10時に車を出して映画館に向かうというのもちょっとキツイ。

 映画館の中で、上映を待つ人たちをチラチラとウォッチング。
 ファッションも、それから外見から漂ってくる雰囲気も、何となくグランジ・ロックって感じがしている。
 家の部屋にはロッキング・オンがきちんと本棚に並び、パール・ジャムとかレッチリのCDが乱雑に置かれ、着ているTシャツにはジョン・ライドンとかキース・ヘリングとかがプリントされている。そんな感じかな。ちょっと古いか・・・。

 映画は、グランジ・ロックの「ニルヴァーナ」というグループを率いていたカート・コバーンをそのモチーフに、失踪から衝撃的な自殺までの空白の2日間を描いている。
 監督は、現在絶好調のガス・ヴァン・サント。
 古くは、マット・デイモン、ベン・アフレックの「グッド・ウィル・ハンティング 旅立ち」、そして最近では、高校生による銃乱射事件を扱った「エレファント」で映画賞を総なめした、あのガス・ヴァン・サントである。

 この映画、グランジ・ロックを齧っている人間、あるいは「ニルヴァーナ」というグループに傾倒している人間、もしくは「ニルヴァーナ」の曲を聴いたことがある人間、さもなければカート・コバーン本人の信仰者などが観れば、とてもしっくりと感情移入出来るのではないかと思う。
 それ以外の人たちがもしもこの映画を観たとしたら、ちょっと賛否が分かれるかも。

 カート・コバーンは、複雑な家庭環境の下で育ち、幼いときから情緒不安定で、精神安定の薬をよく処方してもらっていたらしい。
 14歳の時に楽器演奏の真似事を始め、ハードロックやパンクに目覚め、そしてロック好きな周りの若者と同じようにバンドを組んで小さなライブをこなし、実力をつけていった。

 バンドの名前は「ニルヴァーナ」。仏教用語で涅槃という意味である。
 やがてプロに転じてから制作したアルバムが、全米第一位を獲得するまでに至る。ニルヴァーナはカリスマとなった。というより、ボーカルのカート・コバーン 自身が、若者たちから熱狂的な支持を持って受け入れられたのである。

 でも、有名になり音楽も評価されるその一方で、マスコミに追いまくられ、精神的に疲れ果て、ワールド・ツアーのプレッシャーや音楽製作や人間関係や業界との軋轢や友人関係などが一気に押し寄せ、薬物使用などの理由で施設に入れられたカート・コバーンは、そこから逃げ出した数日後に、自宅のガレージで自分の頭をぶち抜き自殺した。
 
 映画は、圧倒的な重苦しさを持って、このロック・アーティストを俯瞰する。
 ガス・ヴァン・サントは、自分なりの解釈だと断っているように、映画の中では一切「ニルヴァーナ」の曲は使われないし、主人公の名前も変えられている。
 しかし、この映画は、紛れもなくカート・コバーンの自死に至るまでの2日間を描いている。
 あくまでも陰鬱に、科白を極力排し、徹底的なまでのクールさを保ちながら。

 時間軸も滅茶苦茶に壊す。
 それほどの長い時間を追ってはいないのに、突然、数時間後に変わったり、また元に戻ったり。あるいはまた、付けっぱなしにしているテレビに流れる、ボーイズⅡメンの歌う甘く溶けそうなソウル・ミュージックを、カメラだけがずーっと追い続けたり。

 精神的に疲れていて、死にたいほどの絶望感を抱いている人は、この映画、観ないほうが賢明だ。
 って、俺もかなり疲れていたけどね。でも肉体的な疲れだったからこそ、この映画を深く静かに堪能することが出来た。
 途轍もなく重い映画である。

 当然、家に帰ってから、真夜中ヘッドフォンで「ニルヴァーナ」を大音響で聴きまくりましたが・・・。


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