昨日、6月9日は「69の日」だという。
車を運転しながらカーラジオを点けて何気なくFMを聴いていたら、「今日は6月9日ロックの日! リスナーのみなさんから、これこそが自分の中でロックだったぜーっていう、そんなカッコいいエピソードがあったら今すぐお寄せください!」って流れていた。
まあ、言い換えると、ロックという音楽に対して一般的に抱いている、どこか不良っぽくて反抗的な行動、筋を通して自分の信念を曲げず、ダメなものはダメと大きな声を挙げ、体制や組織の中に染まってしまった大人たちへ果敢に立ち向かってゆく姿・・・そんなイメージが醸し出されるようなストレートな行動を番組の中で紹介したかったのだろう。
案の定、どんな時でも指から煙草を離したことがないだとか、小学生の時に何の役にもたたないと思って先生の前で漢字ドリルを滅茶苦茶に裂いてやっただとか、そんな類いての武勇伝が次々に紹介され、番組の女の子がそのエピソードを読み上げながら、「キャー、ロックだねー!」と叫んで終わるという、そんな他愛のない会話が続いてゆくだけの番組だった。
そうかあ・・・だよなあ。ロックってそういうイメージだよなあ。ずーっと昔から。
別にそれはそれでいい。一向に構わないと思う。
しっかし・・・と、ふと車を運転しながら考える。
この時代、ロックというジャンルなんて果たして存在しているのだろうか? 否、あることはあるだろう。大物アーティストたちだって、素晴らしいアルバムを次々と発表し続けているし、コンサートだって開かれてはいる。
でも今の時代そのもののを牽引していて、時代の潮流として堂々とそのど真ん中を走っている、そういうジャンルでは最早なくなってしまった、ロックという奴は。
今のアメリカやイギリスの「トップ10」を席巻している音楽に、これまでの長い間個人的に熱心に聴いてきた、あの輝かしいロックの匂いやグルーヴはもう存在しない・・・。
それにしても・・・。
それにしても、キース・リチャーズがいみじくも言っていた「ロックはいい。ロックはいいけど、ロールはいったいどうしちまったんだ?」。この言葉を毎日呪文みたいに頭の中で繰り返している。
ロックはいい。ロックはいいけど、ロールしてんのかよ?と。
今日もまた色んなことがあった。
色んなことがあって、少し傷つき、少し苦笑いをし、少し人間って奴の醜くて汚い部分を垣間見、少しだけ笑った。
こうしてまた一日が終わってゆく。
それでも、ブログを休止している間、「キース・リチャーズになりたいっ!【日本映画編】」を仕上げて出版社に渡し(9月頃の出版となる)、「青函考路」最新号と「東奥日報」から頼まれていた原稿を書き上げ、ジムの「水泳教室」へとマメに参加してクロールを習得し、大学での講義原稿を何コマ分か作り込んだ。
そして明日からは仙台だ。
県外に出るのは約3年ぶりになる。
この頃、全然ロックじゃない自分がいる。
ロールさえままならない。