淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

「もうなにひとつなにも考えまい。風を思え」114

2023年11月05日 | Weblog
 わたしたちの脳には、セロトニン、ドーパミン、ノルアドレナリンなどの神経伝達物質が幾つか存在している。これらの神経伝達物質はわたしたちの気持ちを動かす大切な物質だ。
 たとえば、セロトニンはドーパミンやノルアドレナリンを制御して精神を安定させる働きをする神経伝達物質で、セロトニンが不足すると、慢性的ストレスや疲労感やイライラ、向上心の低下、仕事への意欲低下、協調性の欠如、うつ症状、不眠といった症状が現れる。セロトニンの分泌には日光を浴びることが欠かせない。 運動に関しても同様で、一定のリズムで運動を行うとセロトニンの分泌を高めてくれると言われている。
 やはり、陽の光なのだ。陽の光を浴びること、これがセロトニンを引き出す大きなちからとなる。
 そして、ドーパミン。
 ドーパミンは快楽物質とも呼ばれている。楽しいことをしている時や何らかの目標を達成したとき、他人に褒められたときなどに分泌される神経伝達物質だ。 やる気を出してくれるのもドーパミンの作用だといえる。 ある行為でドーパミンが放出されて快感を得ると、脳がそれを学習して再びその行為をしたくなるという。脳が学習してくれるのだ、快感を。
 さらにノルアドレナリンとは、激しい感情や強い肉体作業などで人体がストレスを感じたときに、交感神経の情報伝達物質として放出されたり、副腎髄質からホルモンとして放出される物質のことを呼ぶ。 襲って来る恐怖や不安に対して、体と脳が戦闘モードに切り替わって、それらに対して立ち向かうことができる重要な物質である。 つまり集中力を高めたり、積極性な行動を起こすことにも役立つのがノルアドレナリンだ。



 このように、幸福感を感じたり不幸だと思ったり、辛いとか苦しいとか寂しいとか恐怖を感じたり、様々な場面でこれらの物質は常に作用し続けていて、人生の手助けを(過剰に分泌されると反作用もありうるけれど)してくれる。
 結局のところ、我々が持つ複雑怪奇な「脳」という厄介なコントロール・タワーは一筋縄ではいかない高度なモンスターであり、まだまだ解明されていない部分が数多あって、「自分探し」だとか「自分自身を深く知る」だとかそんなことさえいとも簡単に出来るわけがなく、「自分を変えて新しい自分に生まれ変わる」なんて、実際不可能なことなのかもしれない。
 ならば、そんな自らをコントロールしきれない「自分」って、いったいなんなんだろう?



 3連休が終わる11月5日の日曜日、午前中ジムで「シェイプ・ザ・ボクシング」のエクササイズを45分間こなし、あとは家で本を読んで過ごした。
 トルーマン・カポーティの短編、「最後のドアを閉めろ」というちょっと毒気のある小説だった。
 その小説の最後の一文が、「もうなにひとつなにも考えまい。風を思え」というフレーズで、これもまたかなり衝撃的だった。
 この「風を思え」で小説は突然終わるのだけれど、村上春樹は彼の処女作「風の歌を聴け」のタイトルを、ここから取ったのだという。村上春樹もこの最後の一文に衝撃を受けたのだろう。


 
 しかし、「もうなにひとつなにも考えまい」と思っていても、人生の様々な節目や日常のふとした瞬間、わたしたちは激しい感情に襲われたり、突然不幸な出来事や楽しい出来事に遭遇すしたりする。
 そしてそのたびに、脳からはセロトニンやドーパミンやノルアドレナリンなどの神経伝達物質が分泌され、わたしたちの気持ちをあっちこっちに動かしてゆく・・・。それをわたしたちは制御もコントロールも出来やしないのだ。



 答えは風の中に舞っているとボブ・ディランは歌い、トルーマン・カポーティは、もうなにひとつなにも考えまい。風を思えと、綴った。
 そういえば「キング・クリムゾン」もアルバム「クリムゾン・キングの宮殿」の中の抒情的な一曲「風に語りて」で、
    風に語りかけると言葉はすべてさらわれる
    風に語りかけると風は聴かない 風には聴こえない 
 と歌っていた。

 

 そう。すべて。風に聞け。
 ほかに、答えはない。





 
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