西村賢太は、ずっと追いかけていきたい小説家の一人である。
最近は少し西村賢太の小説自体がマンネリ気味で(ネタ切れ?)、同じような展開を何度も繰り返しているので、早く、芥川賞受賞後の生活だとか、同棲相手であった秋恵との破局後の顛末とかを読みたかった。
そういう意味では読者もまたかなりいい加減なもので、「他人の不幸は自分の幸せ」とまでは行かなくても、怖いもの見たさ、他人の私生活の覗き見たさ、みたいな部分が隠しきれず、次なる展開(西村賢太の波乱万丈なる私生活)を知りたい気持ちが強くなってしまう。
困ったものだ。
そんな時、いきなり西村賢太の最新作が本屋さんの店頭に並んでいたので、嬉しい驚きと期待を持って直ぐに買い求め、ちょうど出張だったこともあって、東京行きの新幹線の行き帰りで一気に読んでしまった。
ほんと、西村賢太の小説って、すらすら読めてしまうから不思議だ。
西村賢太の文体ってすごく硬いし、難しい漢字を小説の中でかなり多用しているので読みにくいはずなのに、何故かすらすらと最後まで一気に読めるのである。
まあ、面白いからなんでしょうが。
西村賢太は東京都江戸川区生れで中卒、「暗渠の宿」で野間文芸新人賞を受賞し、2011年にあの「苦役列車」で芥川賞を受賞した。
彼の小説は全部読んだ。
すべてが私小説である。本当に身の周りで起こったことを書いている。
とにかく面白い(こういう言い方は失礼かもしれないが仕方ない)。滅法面白い。
「どうで死ぬ身の一踊り」、「二度はゆけぬ町の地図」、「小銭をかぞえる」、「廃疾かかえて」も面白かったし、「人もいない春」、「寒灯」、そして最近出版された「棺に跨がる」も読んだ。
「西村賢太対話集」、「随筆集 一日」、「一私小説書きの日乗」などのエッセイや対談集もあるが、「西村賢太対話集」だけはまだ読んでいない。
ということは、この対談集以外はすべて読破したということになる。
とにかく、無様(ぶざま)なのだ。
無残で、陰険で、気が弱く、そうかというと最愛の女性(同棲していた「秋恵」というひと)に対して、あまりにも酷い罵倒を浴びせ、その果てに殴る蹴るの暴力をふるう。
そして、飽くなき性への渇望。風俗通いが止まらず、ソープ嬢に金を巻き上げられたこともあった。
そういう凄まじい人生を送っている。
今作の「歪んだ忌日」は、ついに、それまでまったくの没交渉だった母親からの手紙に心揺らされる貫多(西村賢太=貫多)が登場するし、43歳で芥川賞を受賞した後の、それでも様々な悩ましい出来事に遭遇する主人公の、苛立ちと憤怒が綴られてゆく。
そんな私小説が六篇、「歪んだ忌日」には収められているのだ。
新展開である。
いやあ、今回も西村賢太は凄まじい。
古本市に出回った、師と仰ぐ大正期の作家藤澤清造の肉筆原稿を入札しようと奔走する、芥川賞受賞後の生活を描いた一篇。
それから、秋恵との同棲シリーズもある。
ベンチを購入してマンションのベランダに置き、2人それに座って幸せを噛み締めていたのだが、ふと干してあった洗濯物の秋恵のショーツに付着している黄色いしみを見つけ、それが原因で大喧嘩となり、殴る蹴るの暴力へと発展する一篇と、マンションから出て行った秋恵への想いが絶ち切れず、買淫し、その女の股の臭さにドン引きして不能に陥るという一篇だ。
苦笑いしてしまうような、泣きたくなるような、切なくなるような、胸が苦しくなるような、そんな短編小説で「歪んだ忌日」は占められている。
そして、秋恵と別れたのちの話と、芥川賞受賞後に起こった話が、今作における新機軸ということになるのだろうか。
これを個人的には待っていた。
中でも、芥川賞を受賞してから、突然それまでまったく音信不通となっていた母親から手紙と写真が届くという一篇と、芥川賞受賞後に行った、師と没後弟子を自称する貫多とを繋ぐ「清造忌」にまつわる一篇が、秀抜である。
ところが、アマゾン内「歪んだ忌日」での読者書評が、すこぶる不評なのだ。
これまでの狂気や異様な迫力が無くなってしまったと嘆く者、作家として終わったと酷評する者など、「歪んだ忌日」を批判する読者で続出していた。
これは少し意外だった。
確かに、尻切れトンボに終わった一篇とか、いきなりバサッと終了してしまう中途半端な一篇もあるけれど、この怨念と怒りと滑稽さは今の日本文学にとって貴重だと思う。
ワンパターンな一面もないではないけれど・・・。
最近は少し西村賢太の小説自体がマンネリ気味で(ネタ切れ?)、同じような展開を何度も繰り返しているので、早く、芥川賞受賞後の生活だとか、同棲相手であった秋恵との破局後の顛末とかを読みたかった。
そういう意味では読者もまたかなりいい加減なもので、「他人の不幸は自分の幸せ」とまでは行かなくても、怖いもの見たさ、他人の私生活の覗き見たさ、みたいな部分が隠しきれず、次なる展開(西村賢太の波乱万丈なる私生活)を知りたい気持ちが強くなってしまう。
困ったものだ。
そんな時、いきなり西村賢太の最新作が本屋さんの店頭に並んでいたので、嬉しい驚きと期待を持って直ぐに買い求め、ちょうど出張だったこともあって、東京行きの新幹線の行き帰りで一気に読んでしまった。
ほんと、西村賢太の小説って、すらすら読めてしまうから不思議だ。
西村賢太の文体ってすごく硬いし、難しい漢字を小説の中でかなり多用しているので読みにくいはずなのに、何故かすらすらと最後まで一気に読めるのである。
まあ、面白いからなんでしょうが。
西村賢太は東京都江戸川区生れで中卒、「暗渠の宿」で野間文芸新人賞を受賞し、2011年にあの「苦役列車」で芥川賞を受賞した。
彼の小説は全部読んだ。
すべてが私小説である。本当に身の周りで起こったことを書いている。
とにかく面白い(こういう言い方は失礼かもしれないが仕方ない)。滅法面白い。
「どうで死ぬ身の一踊り」、「二度はゆけぬ町の地図」、「小銭をかぞえる」、「廃疾かかえて」も面白かったし、「人もいない春」、「寒灯」、そして最近出版された「棺に跨がる」も読んだ。
「西村賢太対話集」、「随筆集 一日」、「一私小説書きの日乗」などのエッセイや対談集もあるが、「西村賢太対話集」だけはまだ読んでいない。
ということは、この対談集以外はすべて読破したということになる。
とにかく、無様(ぶざま)なのだ。
無残で、陰険で、気が弱く、そうかというと最愛の女性(同棲していた「秋恵」というひと)に対して、あまりにも酷い罵倒を浴びせ、その果てに殴る蹴るの暴力をふるう。
そして、飽くなき性への渇望。風俗通いが止まらず、ソープ嬢に金を巻き上げられたこともあった。
そういう凄まじい人生を送っている。
今作の「歪んだ忌日」は、ついに、それまでまったくの没交渉だった母親からの手紙に心揺らされる貫多(西村賢太=貫多)が登場するし、43歳で芥川賞を受賞した後の、それでも様々な悩ましい出来事に遭遇する主人公の、苛立ちと憤怒が綴られてゆく。
そんな私小説が六篇、「歪んだ忌日」には収められているのだ。
新展開である。
いやあ、今回も西村賢太は凄まじい。
古本市に出回った、師と仰ぐ大正期の作家藤澤清造の肉筆原稿を入札しようと奔走する、芥川賞受賞後の生活を描いた一篇。
それから、秋恵との同棲シリーズもある。
ベンチを購入してマンションのベランダに置き、2人それに座って幸せを噛み締めていたのだが、ふと干してあった洗濯物の秋恵のショーツに付着している黄色いしみを見つけ、それが原因で大喧嘩となり、殴る蹴るの暴力へと発展する一篇と、マンションから出て行った秋恵への想いが絶ち切れず、買淫し、その女の股の臭さにドン引きして不能に陥るという一篇だ。
苦笑いしてしまうような、泣きたくなるような、切なくなるような、胸が苦しくなるような、そんな短編小説で「歪んだ忌日」は占められている。
そして、秋恵と別れたのちの話と、芥川賞受賞後に起こった話が、今作における新機軸ということになるのだろうか。
これを個人的には待っていた。
中でも、芥川賞を受賞してから、突然それまでまったく音信不通となっていた母親から手紙と写真が届くという一篇と、芥川賞受賞後に行った、師と没後弟子を自称する貫多とを繋ぐ「清造忌」にまつわる一篇が、秀抜である。
ところが、アマゾン内「歪んだ忌日」での読者書評が、すこぶる不評なのだ。
これまでの狂気や異様な迫力が無くなってしまったと嘆く者、作家として終わったと酷評する者など、「歪んだ忌日」を批判する読者で続出していた。
これは少し意外だった。
確かに、尻切れトンボに終わった一篇とか、いきなりバサッと終了してしまう中途半端な一篇もあるけれど、この怨念と怒りと滑稽さは今の日本文学にとって貴重だと思う。
ワンパターンな一面もないではないけれど・・・。