オダギリ・ジョーが主演して、フジTV系日曜日夜9時からオンエアされている、ドラマ「家族のうた」がすこぶる面白い。
この「家族のうた」というドラマ、春から一斉スタートしたTV新ドラマの中で一番面白いんじゃないだろうか。
ところが吃驚(びっくり)したのが、第2回まで放映されたその視聴率が最低最悪を示したということだ。
第2回の視聴率はなんと3.6%(ビデオリサーチ調べ=関東地区)。
初回も、かなり低い6.1%だったのだが、それからまたさらに半分程度まで落ちてしまったらしい。
このまま最悪のパターンで推移すると、ワンクール途中でドラマ自体の打ち切りが検討されるかもしれない。それだけはご勘弁願いたい。
だって、この「家族のうた」すんごく面白いドラマなんだもん。
日曜日夜9時台のテレビはかなりの激戦区だ。
日本テレビが「行列のできる法律相談所」、テレビ朝日系が老舗の「日曜洋画劇場」、そしてTBS系列が連続ドラマを放映していて、ドラマ同士がぶつかり合うフジとTBSは絶えず熾烈な戦いを強いられている。
今期は、2回目が16.9%という高視聴率を弾き出した裏番組の中居正広主演「ATARU」(TBS)に、フジテレビが大きく水をあけられた格好だ。
僕は両方の番組を観ているのだけれど(もちろん両方を同時にダビングして)、どうもイマイチ「ATARU」(TBS)というドラマが好きになれない。
まず、個人的に中居正広ってどうも好きになれない。
嫌いというほどじゃないのだが、芸能人特有の臭味というか、高慢ぽさというか、質感の冷たさというか、そんな部分が随所に感じられ、少し敬遠してしまうところがある。
ましてや今回の役どころは、コミュニケーション障害や自閉症的障害を伴う、いわゆるサヴァン症候群という役柄を演じていて、その表現がワザとらしくて妙に鼻につく。
まあ、ドラマ自体の展開はスピーディでテンポがあり、よく出来た推理ドラマだとは思いますが・・・。
しかし僕たち視聴者は、録画をしない限り、「ATARU」か「家族のうた」のどちらかをチョイスして観るしかない。
そうなると、「ATARU」を選択するということになってしまうのだろうか。
でも、それはなぜか?
色々と理由を考えてみた。
まず第一に、「家族のうた」というタイトル、呆れるほど平凡過ぎる。
これだと、まず食指が動かない。
よくもまあ、こんな平凡なタイトルに決めたものだ。よく通ったよね、フジの上層部まで。シンプルだとは思うけど・・・。
第二に、オダギリ・ジョーという独特のキャラクターだろう。
どうみても日曜日の一家団欒には濃すぎるキャラでしょ。僕は好きな俳優だけど。
パンキッシュで派手な革ジャンに身を包み、煙草と瓶ビールをラッパ飲みしても、日曜日の夜を寛ぐ視聴者にしてみたら違和感を覚えるのだろう。
第三に、ドラマの道具として「ロック」を拝借してしまったことである。
これは第二の理由とも深く関連することなのだが、ジョー・ストラマーがこう言ったとか、アリス・クーパーはこんなことを言っているんだぜとか、ロック・ミュージャンたちの名言をドラマの中でオダギリ・ジョー語らせても、ほとんどの視聴者には何だかよく解からないだろうし、巧く関連付け出来ないのではないか。
・・・と、まあ色々述べたけれど、これらが「家族のうた」が低迷している要因ではないかと思う。もちろん、まだ2話なのでこれから何が起こるか分からない。
でも、ここからが僕の反論、つまり如何にこの「家族のうた」が素晴らしいドラマだということを声を大にして訴えたいのだけれど、一言で言っちゃうと、前段で述べた、「家族のうた」が視聴率を上げられない理由それこそが、このドラマを素晴らしい作品に押し上げているということなのだ。
たぶんフジテレビは、日曜日の同じ時間帯枠で大ブレイクした、阿部サダヲ, 芦田愛菜, 鈴木福の共演によるあの国民的ドラマ「マルモのおきて」を意識して、今回の「家族のうた」を作ったのだと思う。
いたいけな子供たちを登場させ、そのだらしない父親である売れないロック・ミュージャン、オダギリ・ジョーを絡ませることで、親子の愛だったり絆だったりを、ユーモアを交えながら展開させる、これを目指したに違いない。
これは正しいと思う。
そしてそのコンセプトにフィットするように、オダギリ・ジョーという濃い目のキャラクターも、ロックというアイテムも、可愛い子どもたちも、ドラマの中ですんなり調和し、ぴったりマッチングしているのだ。
だから、このドラマは面白いのである。
歴史的低視聴率に加え、盗作疑惑まで出て来た「家族のうた」。
こうなったら居直って、歴史的カルト・ドラマとしてその名を永遠に刻みつけていただきたい。
いや、ほんと。
この「家族のうた」というドラマ、春から一斉スタートしたTV新ドラマの中で一番面白いんじゃないだろうか。
ところが吃驚(びっくり)したのが、第2回まで放映されたその視聴率が最低最悪を示したということだ。
第2回の視聴率はなんと3.6%(ビデオリサーチ調べ=関東地区)。
初回も、かなり低い6.1%だったのだが、それからまたさらに半分程度まで落ちてしまったらしい。
このまま最悪のパターンで推移すると、ワンクール途中でドラマ自体の打ち切りが検討されるかもしれない。それだけはご勘弁願いたい。
だって、この「家族のうた」すんごく面白いドラマなんだもん。
日曜日夜9時台のテレビはかなりの激戦区だ。
日本テレビが「行列のできる法律相談所」、テレビ朝日系が老舗の「日曜洋画劇場」、そしてTBS系列が連続ドラマを放映していて、ドラマ同士がぶつかり合うフジとTBSは絶えず熾烈な戦いを強いられている。
今期は、2回目が16.9%という高視聴率を弾き出した裏番組の中居正広主演「ATARU」(TBS)に、フジテレビが大きく水をあけられた格好だ。
僕は両方の番組を観ているのだけれど(もちろん両方を同時にダビングして)、どうもイマイチ「ATARU」(TBS)というドラマが好きになれない。
まず、個人的に中居正広ってどうも好きになれない。
嫌いというほどじゃないのだが、芸能人特有の臭味というか、高慢ぽさというか、質感の冷たさというか、そんな部分が随所に感じられ、少し敬遠してしまうところがある。
ましてや今回の役どころは、コミュニケーション障害や自閉症的障害を伴う、いわゆるサヴァン症候群という役柄を演じていて、その表現がワザとらしくて妙に鼻につく。
まあ、ドラマ自体の展開はスピーディでテンポがあり、よく出来た推理ドラマだとは思いますが・・・。
しかし僕たち視聴者は、録画をしない限り、「ATARU」か「家族のうた」のどちらかをチョイスして観るしかない。
そうなると、「ATARU」を選択するということになってしまうのだろうか。
でも、それはなぜか?
色々と理由を考えてみた。
まず第一に、「家族のうた」というタイトル、呆れるほど平凡過ぎる。
これだと、まず食指が動かない。
よくもまあ、こんな平凡なタイトルに決めたものだ。よく通ったよね、フジの上層部まで。シンプルだとは思うけど・・・。
第二に、オダギリ・ジョーという独特のキャラクターだろう。
どうみても日曜日の一家団欒には濃すぎるキャラでしょ。僕は好きな俳優だけど。
パンキッシュで派手な革ジャンに身を包み、煙草と瓶ビールをラッパ飲みしても、日曜日の夜を寛ぐ視聴者にしてみたら違和感を覚えるのだろう。
第三に、ドラマの道具として「ロック」を拝借してしまったことである。
これは第二の理由とも深く関連することなのだが、ジョー・ストラマーがこう言ったとか、アリス・クーパーはこんなことを言っているんだぜとか、ロック・ミュージャンたちの名言をドラマの中でオダギリ・ジョー語らせても、ほとんどの視聴者には何だかよく解からないだろうし、巧く関連付け出来ないのではないか。
・・・と、まあ色々述べたけれど、これらが「家族のうた」が低迷している要因ではないかと思う。もちろん、まだ2話なのでこれから何が起こるか分からない。
でも、ここからが僕の反論、つまり如何にこの「家族のうた」が素晴らしいドラマだということを声を大にして訴えたいのだけれど、一言で言っちゃうと、前段で述べた、「家族のうた」が視聴率を上げられない理由それこそが、このドラマを素晴らしい作品に押し上げているということなのだ。
たぶんフジテレビは、日曜日の同じ時間帯枠で大ブレイクした、阿部サダヲ, 芦田愛菜, 鈴木福の共演によるあの国民的ドラマ「マルモのおきて」を意識して、今回の「家族のうた」を作ったのだと思う。
いたいけな子供たちを登場させ、そのだらしない父親である売れないロック・ミュージャン、オダギリ・ジョーを絡ませることで、親子の愛だったり絆だったりを、ユーモアを交えながら展開させる、これを目指したに違いない。
これは正しいと思う。
そしてそのコンセプトにフィットするように、オダギリ・ジョーという濃い目のキャラクターも、ロックというアイテムも、可愛い子どもたちも、ドラマの中ですんなり調和し、ぴったりマッチングしているのだ。
だから、このドラマは面白いのである。
歴史的低視聴率に加え、盗作疑惑まで出て来た「家族のうた」。
こうなったら居直って、歴史的カルト・ドラマとしてその名を永遠に刻みつけていただきたい。
いや、ほんと。