おかんのネタ帳

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家康を将軍にした男

2007-11-07 23:56:13 | 湖国日記
朝夕は冷えて来ましたね。でも、昼間の陽射しは暖かくて、出掛ける時は何を着ようかと思いますね。今日も良いお天気でした~
今日は、何度か受けている「近江歴史講座」を受けて来ました。講師は県の教育委員会のI先生。明るいおちゃめな?先生で、今回の参加人数が少なかったこともあり、和気あいあいの雰囲気の中でお話しを聞くことができました。
今日のテーマは、「徳川家康を将軍にした男」。
山岡道阿弥といういう人物です。

戦国時代、彼は主君を4度変えて生きながらえた人です。
あの山内一豊が、信長、秀吉、家康と3度変えたけど、その上を行く人。
「瀬田城主」に生まれた道阿弥は、嫡男ではなかったので幼い頃、園城寺(三井寺)の塔頭に預けられたとか。その後、還俗して信長が上洛の際に擁した室町幕府最後の将軍足利義昭に仕え、そこから時代の波の中で波瀾万丈な一生を送ることになったんですね。
ある時は三井寺の高僧、またある時は戦略にたけた武将として、信長、秀吉、家康と権力者が変わっても奇跡的に戦乱の世を生き抜いたんです。
興味深いは、1600年の関ヶ原の戦いの前にあったと言われる小山評定。
ここで家康に指示されて司会進行、いわゆるMCを担当したのが道阿弥で、石田三成挙兵の状況を武将たちに説明したようです。彼の言葉によって、福島正則ら豊臣系の武士が東軍につくことを決心した・・らしいんですね。このあたりは、ドラマでも描かれたのかもわからないけど、有名な、関ヶ原で脇坂安治や小早川秀秋が「寝返る」ように仲介?したのも、道阿弥であったらしいんですね。
そして何より「征夷大将軍」に家康がなれたのが、道阿弥がいたからなんですって。
信長も秀吉もなれなかったのは室町幕府最後の将軍義昭が職を解かれずに生きていたこともあるのですが、彼らの死後、家康が征夷大将軍になる手続きを仕切ったのが義昭に仕えた「経験のある」道阿弥やったというんですね。

う~ん、歴史は深いです。
というか、信長に反旗を翻した義昭に仕えてたのに、気の短い信長に殺されることもなく、秀次に荷担してたのに秀吉に殺されることもなく、豊臣系なのに家康について重用されて生きながらえたのが不思議。
策士やったのか、口八丁手八丁な要領のいい人やったのか。
でも、幼い頃に身を寄せていた園城寺(三井寺)の復興には力を注ぎ、国宝の「光浄院客殿」は彼の建立なんやそうです。
近江の国。
戦国時代を生きぬいた人はいろんな人がいますよね。
おもしろいわ~

参考:三井寺「歴史散歩」

画像は、久しぶりに?咲いた月下美人。
夜10時頃に、咲いてましたね。うっかり、気付かないとこでした!