CuniCoの徒然・・・岩下邦子の独り言

日々の暮らしの中で、立ち止まったり、すれ違ったり。私の中のアレコレを思いつくまま、気の向くまま。

『Mac The Knife』を考える・・・

2013-07-26 04:59:43 | 表現にからむ様々なこと
劇団の研究生になったころ・・・

チェーホフもシェークスピアもほとんど読んだことがなかった。

「読みなさい」と与えられた本は、
『今日の世界は演劇によって再現できるか』というブレヒトの本。
読んでみた・・・面白かった。

でも、ブレヒトの戯曲は、よくわからなかった。
読みにくかった。
チェーホフやシェークスピアだって、
登場人物の名前が覚えられないから、
読んでいると、こんがらがって、わからなくなる。

そんな私が、毎日のレッスンで歌っていたのがブレヒトソング。
もう、すっかり忘れているが、たまにところどころ思い出して口ずさむ。

だから・・・クルトワイルは、宝物のような存在だ。
三文オペラの挿入歌と言えば、さらに輝きを増す・・・
はずなのに、YouTubeを聴いても、あまり心に響かない・・・
私には、きっと歌えないなぁ・・・と思っていた。

YouTubeをつらつら検索していたら、
岸洋子さんのマックザナイフにたどり着いた。
これが、面白い。
もともとの歌詞とは全く違うが、
匕首マックを売った女・・・
匕首マックを愛している女の心が歌われていて、面白い。

がしかしだ・・・

この歌は、そういう歌ではない。

と私は思う。
憎めない大悪党マックの歌でもない。

『機械仕掛けのピアノのための未完成の戯曲』という映画がある。
チェーホフが描く、出口が見えながら、出口に向かわない人々。
あの映画にも通ずるものが、ある。

19世紀後半のチェーホフ
20世紀前半のブレヒト
その少しあとのベケット

考えてみたら、シェークスピアも書いている。
わかっちゃいるけど・・・できない人々。

出口がわかっていながら、そちらに進めない
進まない人間を描いている気がする・・・

「money money money」 と誰かが歌っていたっけ・・・

21世紀・・・出口がわかっているのにそちらに進まない・・・

明日のパンは手にしているのに
もう片方の手で、さらなるパンを狙っている。

100年経っても、200年経っても、同じなのだろうか・・・

さてさて、『Mac The Knife』から派生した私の思考はとめどない。

悪党に恋した女の歌でもなく
憎めない大悪党の歌でもない
『Mac The Knife』

ノリノリで、お祭り騒ぎ・・・そんなテイストで仕上げてみたい。

秋風が吹く頃、私は『Mac The Knife』とベットを共にしていることだろう。
寝ても覚めても・・・・・・マックザナイフ。