うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

330系グロリア

2014年10月11日 | 鉄道、車、のりもの

久しぶりにトミカのミニカーを買って来た。

'75年式日産グロリア セダン。僕の身近に同じ車に乗っている人はいなかったが、タクシーにも使われていたし、公用車、パトカーその他、見かける機会はかなり多かった。

デザインは一代前の230型をもとに、より抑揚を強く、派手にしたものとなっている。230型は中庸を得たすっきりした外観で、当時のライバル、クラウンを上回る売り上げを記録した。

このセダンはそれほどでもないが、4ドアハードトップの方はちょっと「えぐい」デザインで、特に自動車評論家筋には評判が良くなかったようだ。一般にはそれなりに訴求力があったようで、それなりに売れたらしい。その後はいわゆる族の方々に好まれ、相当派手に改造された車をよく見かけた。

日産の車は、さいきんだとエルグランドとかフーガなんかもそうだが、ちょっと微妙な一線を越えてしまうようないでたちの車を時々作る。トヨタはそういうことがなくて、常にどこかバランスが保たれた車作りをしているようだ。変わったデザインの車も作るが、それはそういうものとして作っているのであり、主力筋の車で羽目を外すようなことはしない。

そう言っては何だが、日産は東京(今は横浜)、トヨタは名古屋、何となく地域性からみると逆なような気もするが、不思議なものだ。

写真はPentax Q10と標準ズームで撮ったが、あれですね。こういう小さいものって、ホコリを取るのが大変ですね。いつもはもっと無造作に撮っているのですが(全然凝り性ではないので)、一つ上のサイドビューなんか、床(机)にホコリがたくさん・・。最初に撮ったときも、糸状のホコリに気づかなくてNG.ちゃんとしたブツ撮りをする人ならとうてい許せない出来です。

Q10は神経質なカメラで、こういう撮影に向いているとはいえない。ただ、MFはじめ各種設定が普通にできるのは長所で、ここの写真はほぼ全部MFで撮影している。被写界深度が深く(望遠端で撮ったものが多いのでF7.1-8.0位まで絞っている)、レンズが小さいのでローアングルで撮りやすいのも良いところだ。

ピント、ちょっとずれているな・・。

この頃の日本車、特に上級セダンは完全にアメリカ流である。同じ時期のヨーロッパ車は、小さいなりにすっきりしたデザインだったが、日本車はいろいろと細かいディティールをたくさん詰め込んだデザインの車が多かった。こうした車は評論家に強く批判された。それが最も強かったのは、80年代の前半あたりだったと思う。その後はメーカーもユーザー達もだんだん「洗脳」されてしまい、今は昔ほどは個性的な変わった車は出てこなくなってしまった。

右は'69年式クラウン オーナーデラックス。トミカLVシリーズは車種によって出来にばらつきがある。

今日、「ピラーの黒い」マークⅡが発売になったが、僕は勘違いしたようで、白一色のものも一緒に発売かと思っていた(来年1月発売予定)。ずいぶん前から発売予定になっていたが、待たせるなあ。予約は入れておいた。

コロナと。70年代半ば頃には、実際にこういう情景もあったことだろう。

比べるとグロリアはとてもモダンで洗練されているようにも思える。

スカイライン・ワゴンと。写真明るすぎ。TIセダンとかも、模型化されないでしょうかね。この時代の車は、機会があれば(新車のコンディションでね)運転してみたいな。

まあ、そういうのは、昔のあの頃に戻って、そのころ好きだった人とやり直したい、みたいな願望に近いものがあるな。

今でも恋はできるかもしれないが、それは全く別の次元の話だ。

今度はもう少し丁寧に写真、撮ろうかな。ただ、個人的なスタンスとして、ここに載せる写真にはあまり時間を掛けたり、凝ったりしないようにはしているのだけど・・。

 

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東京味わいフェスタ 2014

2014年10月10日 | まち歩き

味わいフェスタはウェブをみると、きたるオリンピックに向けて東京の農産物を世界に発信し云々と難しいことを書いてあるが、要するに屋台の出るお祭りらしい。

昼間、会社の子が外に出て、なにやらやっているのを見たと聞いたので帰りにちょっと歩いてみた。

こんなぐあいに、通りを封鎖して屋台村ができていた。

とりあえず、こういうものがあったので、ビールを買ってみた。

これはミュンヘン・ヴァイスという銘柄だそうです。Sサイズを注文したが、これでいくらだと思いますか?

700円ですぜ、旦那。

僕はアルコールにそんなに強くないけど、これではさすがに酔えないな。まあ、その方がいいんだけど。

ちなみにこのミュンヘン・ヴァイス、なんか濃厚な感じの味で、かなりおいしかった。ふだん第三のビールばかり飲んでるからねえ・・。

屋台はちょっと変わっていて、近隣の高級レストランのシェフが腕をふるったものを販売している。ラーメンとか、リゾットなどを500円ぐらいで提供していたが、なかには2500円の寿司なんてのもある。このシェフ・ミクニのブースでは、ラーメン(フレンチの手法でシャモのガラと豚足から二日間掛けてスープをとった云々・・)を販売していたが、僕が来たときには売り切れだった。残念!

こっちの方も賑わっている。ここは伝統工芸とか、野菜とか花が販売されていた。

昼間、会社の子が行ったときには、キャベツのゆるキャラ、めぐみちゃんがいたそうだ。このめぐみちゃん、イラストで見ると2頭身あるか、という感じだが、着ぐるみは背の高い人が頭だけかぶっていて、首から下はふつうのつなぎだったという。これだとお面をかぶった背の高いおじさんということで、子供がみて、怖がっちゃってたらしい・・。あらあら。

野菜と花も売っていた。

ケイトウを買ってみた。お店の人とひとしきり話をして、どこで作ってるんですか?ときいたら、どうやらうちの近所らしいことがわかった。びっくり。

キンギョソウもおまけにいただきました。

 味わいフェスタは13日まで(12,13日は午後5時まで)。天気が持つといいですね。

ちなみに近くの東京駅では、東京駅100周年記念のイベントをいろいろとやるらしいです。

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儚い香港

2014年10月09日 | 社会・経済

香港は仕事でも関係があるので、デモにも一応関心はある。

連日ニュースでは結構大きく取り上げられているが、不思議と内外の世論は、それほど盛り上がる様子はない気がする。

ちょうど騒ぎの始まった26日には向こうの人と話す機会があったし、数日前にはメールで大丈夫?と聞いたりもしたが、少なくとも僕の身の回りの人はあまり話題にしないし、関心を示さないようにも思える。メールの答えも、早く収まってほしいわ、という程度だった。

おとな達はもう少し冷静な目で見ているのか。この種の騒動というのは案外そういうものなのかもしれない。タイのクーデターの時も、地域によっては普段通りの生活が続いているところもあったと聞いたことがある。

ちらちらとネットで調べたりもしたが、香港の立場もずいぶんと微妙だ。他国が香港市民に圧政を強いているのなら、世界の関心も強まるが、香港は疑う余地もなく中国の1都市であり、住んでいる人も中華系で、本土からの移住者も多い。経済的にも本土との結びつきはますます強まっている。シンガポールは徴兵制で、小国にしては強力な軍事力を有するが、香港には本土から人民解放軍が駐留している。当然だが、独自の軍事力などは保有していない。北京の影響が強まりつつあるとはいえ、とりあえず1国2制度を今でも保てている香港、その政治的バランスは微妙だ。なんとも儚い感じがする・。

中国本土ではいくつもの人権問題があり、香港よりも事態が深刻である場合が多い。イギリスを除く、各国がこの問題について強い批判を押さえているのは、北京政府をむやみに刺激したくないという配慮や、今のところは酷い事態にまで至らず、概して抑制的に推移しているという面もあるが、やはり総合的にみて、香港のケースはそれほど深刻な事態ではないという判断が働いているのかもしれない。

ただ、日経で読んだFT誌特約コラムによれば、従来ビジネスとマネーだけで存在感を示していた香港だが、この先数年は政治的な不安定さを見せてくるのではないか、と指摘されている。僕らが見慣れた香港という、特殊な’都市国家’は、次第に今まで見せたことのない面を示していくのかもしれない。

 

中心街の写真を探したけど、あまりなかった。

のら犬が散歩している姿って、日本ではありそうでないよね。

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赤い月

2014年10月08日 | 日記・エッセイ・コラム

皆既月食でしたね。

月が隠れてる時間は、ちょうど整骨院に行っている時間に重なる。ただ、月が隠れ始めるのは午後6時過ぎからで、写真を撮るならそのあたりの方が撮りやすい。

いつもより早めに社を出て、駅に着いたのが7時過ぎ。通りのあちこちで、上を向いてスマホをかざしている人がいる。なんだか面白い眺めだ。

Lumix G3を取り出し、鳥さんを撮ったときのカスタム設定を呼び出して何枚か撮ってみた。三脚も使えないので、ISOを限界まで上げたため、ノイズだらけだけど。

ペイントショップでざっと調整だけしています。

時間は7時15~20分ぐらいかな。ひよこが宿った時の卵みたいですね。

この後慌てて整骨院さんに駆け込んだ。月のせいか?お客はほとんどいなかった・・。

整骨院さんを出たころには、天体ショーは終わっていた。

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眠りがゾウ並み

2014年10月07日 | 健康・病気

日経新聞電子版のコラム(非会員の人はもしかしたら見られないかも)に、「ゾウとネズミ、よく眠るのは・・睡眠時間は燃費次第」(三島和夫氏)を興味深く読んだ。

なんとなく、ネズミの方があまり眠らずにかけずり回っていて、ゾウはまったりといつも寝ているのかと思っていたが、実際は逆らしい。ネズミは代謝が激しくて(いわゆる「燃費」が悪く)、より長く眠り、ゾウはそれほど長く寝なくても良い。燃費の悪いネズミは、あまり動きすぎると腹が減って仕方がなくなるので、動かないことで燃料の節約を図ろうとする、との説明だ。

このことは、乳児や若い人はより長く眠るが、老齢になると眠りが浅くなる、という人間の状況とも一致しそうだ。育ち盛りの子は代謝が激しく、それだけよく眠る。年をとると基礎代謝が減る。そして眠りもだんだんと浅くなる・・のだそうだ。

眠りには個人差があるそうだが、僕は結構寝ないとダメな方だ。昔はよく岩のように寝ているといわれたものだ。 と、思っていたが、この春に肩をわるくしてから、明け方になると目が覚めるようになってしまった。経験した人はわかるけど、あれ、眠っていると痛みが激しくなる(冷えてくるので・・)。ちょっと寝返り打ったりすると、いたくて目が覚めてしまうのだ。眠りも浅くなったと思う。

さいわい、肩の方は治りつつあるが、時々目が覚めるくせは残ってしまった。翌日調子が悪かったりすると、眠りの質が悪いのかな、なんて、気にしてしまうよね。

ちなみに、寝ないとダメなくせに、宵っ張りな面もあって、夜中になると目がさえてくるときもある。むかしはよく夜中に勉強していたからね。

3時間くらいしか寝てないなんて時も(今も時々)あるが、あまり短いと午後は使い物にならなくなる。土日に寝だめしてしまう。結局、適切な時間寝た方が効率が良いのだが。

代謝と眠りの関係で言うと、たとえばやせの大食い、いくら食べてもやせている人は、基礎代謝も高いというので眠りが長くて、ちょっと食べても太っちゃう人はあまり寝なくていい、ということはあるのかな?まあ、ないかな・。

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台風一過

2014年10月06日 | まち歩き

台風は週明けの首都圏を直撃した。

被害に遭われた方々に、お見舞い申し上げます。

午前中は建物の中にずっといたので、外の様子はよくわからなかったが、昼食に外に出る頃には既に雨はあがり、風が舞っていた。

一転して青空がのぞく。

さっき泣いてたと思ったら、もう笑っている・。

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暗がりっこぐらし

2014年10月05日 | 家電

子供の頃、昼間リビングの明かりをつけると、親から「暑苦しい」といって怒られた。学校や職場などでは、昼でも明かりが煌々とついていて、隅々までよく見えるような状態になっているのが普通だったから、親の言うことには何となく違和感を感じていた。

歳月を経て今、僕も部屋を明るくしておくことはあまり好きではない。伝統的な日本家屋でも、蛍光灯で明るく照らすようになったのは昭和30年代頃からで、それも近年はライティングを考えるようになったので、そうむやみと明るくするような設計はしなくなっていると思う。

アメリカのドラマなどを見ていると、向こうはオフィスの照明もかなり暗く、手元のスタンドを使って明かりを採っているようだ。冷暖房などは海外は容赦なくて、夏の室内は冬より寒いくらいなのに、明かりに関しては禁欲的というか、日本の方が容赦ない。面白い文化の違いだと思う。

今日は1日雨なので、家で何もせずに過ごした。午後、いままで忙しくてできずにいた、スピーカーのエッジ交換をした。

この秋でとうとう19歳になってしまったが、リビングにいるONKYOのD77RX、2年前に左側のエッジを交換した。右側はそのとき壊れていなかったが、今年の初め頃、こちらも壊れていることを発見、以前同様ファンテックから交換エッジを取り寄せた。ところが、当時は忙しく、いつかはと思いながらどんどん時間がたってしまった。送られた箱の表面をみたら、送付日付が2月15日になっていた。

交換の手順については、前回の記事を参照いただきたいが、今回決定的に間違えたところがある。エッジの表と裏を間違えた・・。写真を見てもよくわからないが、真ん中の溝のようになっているところ、本当は手前に飛び出すような、畝になっていないといけないのだ。前回と違って一度やっているという気の緩みがあり、あまり考えずに作業してしまった・・。

もっとも、設置してしまえば一見わからないし、通常はサランネットで覆ってしまうので、みることもない。実務上もまあ、問題はないだろう。

完成後の試聴として、ベートーヴェンの5番(カラヤンBPOのLP)を聴いた。なかなか、でした。

今回スコーカーのエッジも少しひびが入っているのを確認した。次はそれも直さないといけないかも。

年々、うちのオーディオも高齢化が進んでくるので大変だ。写真に見えている、スピーカーのインシュレーター、オーディオをやったことのある人なら知っていると思うけど、TAOCの製品だ。鋳鉄の塊なのだが、久しぶりにみたらすこしさびが浮いてきていた。塗装し直しますかねえ。

というわけで、今日もおしまい。お店に行ったら、いきなり冬になっていたビール。明日は通勤が大変かな?

 

 

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秋のCD

2014年10月04日 | 音楽

今年の初秋は穏やかなものだったが、10月に入りまだ気温の高いときもあり、本格的な秋はこれからのようだ。

毎年、秋は音楽(コンサートやCDなどで鑑賞する)の季節なのだが、今年はこれまでCD店には行っていなかった。8月にHMV閉店で行ったくらいか。

日々の生活で少し荒れ模様の日々が続いたこともあり、少しほっこりしたいという気持ちで新宿タワーに。毎回の例に漏れず、この日も雨が降っている・。

右がジョー・サンプルの「虹の楽園」。先日書いたように、Sample This かこの「虹の楽園」、どちらを買おうかと思っていたのだが、とりあえず今回はこちらを買った。こちらの方がオリジナル。1978年の大ヒット・アルバムである。今でも全然古くなっていない気がするが、その印象は世代によって違うだろうな・・。

1978年というのも、僕個人にとってはどうもツボらしくて、この時期は本当に印象的な音楽が集中してリリースされている気がする。以前にもそんなことを書いた

反時計回りに、左がナット・キング・コールのアンソロジーアルバム。3枚組で1000円という廉価版で、この機会にと思って衝動買いした。

「モナ・リサ」はじめ、主要曲はあらかたカバーされている。50年代後期にキャピトル・レコードから発売されたLove Is The Thing, This Is Nat King Coke, Cole Espanol, St. Louis Blues, A Mis Amigos の5作品、更にボーナストラックが12トラックほど入っている、ようだ。正直言ってこれらのアルバムがナット・コールにとってどのような位置づけなのか、書いていてもわからないが、とにかく代表曲はあらかたカバーされているらしい。

ナット・コールさんの声、スターダストなんか、最高に好きだけどね。昔、「めぐり逢えたら」(Sleepless in Seattle、メグ・ライアン、トム・ハンクス)という映画があって、そこでも効果的に使われていた。こうしてずっと聞いていると、なんとなく「ラジオ深夜便」を聞いているような気分になってくる。人生の先輩達の、屈託のない青春時代・・。

この2枚を決めてから、もう一品ほしくなった。バランス上、ここはやはり女声がほしい。現代の歌姫、テイラー・スウィフトとかも考えたけど、秋なので(意味不明か・)、キャロル・キングをいろいろ探してみる。「ロコモーション」を彼女が歌っているのを探したがなくて、この5枚組セットを買った。

紙ジャケは当時のLPレコードの雰囲気を狙ったものだと思う。1971年の「つづれおり」に前後して発売されたアルバム群、時期的には彼女のもっとも脂ののっていた時期にあたる。

僕には「つづれおり」、なかでもIt's Too Lateになんとなく秋の季節感があって-音楽や歌手に季節感があるというのも不思議ですが-、キャロル・キングの声に、なんとなく穏やかな秋を感じてしまう。もっと言えば、70年代初期というのも、何となく秋のようにすこし肩の力の抜けた感触がある・・。まあ、個人の主観だけど。

「つづれおり」は、むかしダウンロードしたデータしかなくて、レコードとかは持っていない。LPを買ってみようかな?

 

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カズオ・イシグロ 「浮世の画家」

2014年10月03日 | 本と雑誌

カズオ・イシグロは日本ではそれほどよく知られた存在ではないかもしれない。海外で活躍する同胞が好きな日本人にしては珍しいことだ。邦訳が新潮、文春などのメジャー出版社ではなく、早川書房から出ていることも、何となくマイナーな印象を強めている。とはいえ、僕が「浮世の画家」の文庫本を手にしたのは、地元の本屋だったから、それなりに読者は広がりつつあるのかな。

イシグロは1954年に長崎県で生まれ、5歳の時に海洋学者の父の仕事の関係で渡英、日本と英国の二つの文化を背景に育つ。本書は1986年に発表され、英国でウィットブレッド賞を獲得した。

終戦直後の日本。かつては日本精神を鼓舞する画風で一世を風靡した画家小野は、戦後画業を引退し、末の娘の縁談に心を悩ます。物語は一貫して小野のモノローグで語られる。

小野は、終始淡々と彼と彼を取り巻く人々とのやりとりを語っていく。読者ははじめ、時に退屈すぎるほど平板で淡々とした語り口に、枯淡の境地に達した老人を思い浮かべながらページを繰っていくだろうが、やがて奇妙な違和感や居心地の悪さに気がついてくる。

舞台が日本の、戦後すぐの世界であることなどから、日本人である我々には先入観が邪魔してしまい、意外と読みにくい小説なのかもしれない。大戦の前後をテーマにした小説は、三島由紀夫や五木寛之など、有名な作品が目白押しだが、本作が主眼とするテーマは、そうした作品達とは根本的に視点が異なるようだ。巻末の小野正嗣氏の解説がとても見事で、これほど的確なことは僕には書けない。

イシグロの作品群を貫く中心的な主題があるとすれば、それは語り手の「記憶」の曖昧さ、より正確に言えば、その記憶の中で知覚され、認識された「現実の不確実性である。(中略)過去を語ること、語らずにはおられないことには、重なり合う二つのことが前提とされる。一つは、現在の自分がよくわからないと言うこと、そしてもう一つは、私達の今この瞬間の「自己」は、過去における「自己」との「連続性」によって構築されているという確信である。

画家小野は、戦争によって自らのキャリアと人生に大きな影響を受けた。戦前にあっては大きな名声と富を得、戦後にかけて妻と息子、さらには弟子達、かつての名声を失った。今も彼は健康であり、行く末を案ずるべき娘もいる。日々とるべき行動のよりどころとして、一体自分は何者なのか、何を行い何を得てきたのか、自らを振り返り記憶を再構築することが必要になる。

記憶とは一体何なのか?それこそ、のど元過ぎれば熱さ忘れるのごとく、今置かれた立場によって過去の記憶の位置づけは、生きている限り常に変動していくものだ。昔は毎日が辛いと思っていたのに、考えてみればあの頃は若かったし、いまよりずっと恵まれていたのに、自分でそれを気がつかなかったんだな、と思う経験は、誰にでもあるのではないか。

そこには、今の自分の意思が強く影響する。今の自分の立場から、過去を否定的にとらえる、あるいは、自分の経験のある部分だけを取り出し、不都合な部分は思い出さないようにするということも、自分が認めうる範囲で自由だ。というより、自分の意思自体は、自覚できず、自分にとっては何の抵抗もなく、「真実」と受け取れてしまうのかもしれない。

もちろん、周辺の人たちの記憶を、自分の都合で動かすことはできない。だから、自分と周囲の人たちとのやりとりから、そうした自分の世界との「歪み」が、少しずつ浮かび上がってくる。

本作は、そのわずかな「歪み」を巧みに見せながら、読者が読み進むうちに主人公小野益次の姿が、3D画像のように少しずつ立体的に見えてくるように導く。最初は曖昧模糊としていたものが、くっきりと見えてくるその手法は見事なものだ。

小野の自己認識はどの程度読者の共感を得られるのか。あるいは若い読者には理解できないか、老人特有のものと思われてしまう可能性はある(とはいえ、イシグロ氏は本作を32歳の時に書いているのだが)。更に言えば、老齢に達してから初めて触れたときに、果たして受け入れられるかもわからない。

僕自身のことをいうと、自分史の書き換えみたいなことは、しょっちゅうやっている気がする。環境が変われば、自分なるものは簡単に変わってしまうものだ。時には相手の期待する自分観を「演じる」事だってあるし、それにふさわしい過去を語ることもある。それで良い、というより、そういうものなのだと思う・・。

本作は5年ぐらい前、原語で読んだ。そのときの感想は、なんだかもわっとした、蝶々夫人的オリエンタル趣味の本なのかな?という感想でしかなかった。なんだか、自分の語学力のなさにすごく落胆する・・。

 

 

 

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続 藤田氏の「激怒」ブログ

2014年10月02日 | ビジネス

別の話題も用意してあったが、もうちょっとだけ引きずります・。 いつの間にか10月に入り、季節はすっかり秋になったが、昼に外に出たらツクツクボウシが鳴いていた。先月末頃なら夏の終わりを告げる声として、寂しくも感じたろうけど、今聞くと、ちょっと・。

 

藤田氏のブログは、その後もネット上での反響は結構大きく、まとめ記事も作られた。

確かに僕を含めた多くの人は、ブログの内容を見て素直に反応したのだが、今日になって考えてみると、ひょっとしたら藤田氏に「釣られた」のかな、という気持ちに、だんだんなってきた。

先ほどのまとめ記事では、PR会社の本田哲也氏のFB上での発言を紹介している。経営者のメッセージを、外部メディアを利用して社内に伝えることで、インパクトを高めようとしたのでは、という見解だ。

 誰をどう動かしたかったのか?という目的次第で、今回の成否は判断すべき。

続いてフォロワーの方とのコメントに対する回答として

 手段への批判なのか、目的意識への批判(あるいは賛同)なのかを明確にしたコメントが求められますね。そこが整理されてないのは、日本特有の傾向だと思います


藤田氏ほどの人が、内外の反響を考えず一時の怒りに駆られて、あのような文章を書くとは考えにくい。おそらくある程度こうなることを想定して、その効果を狙ったと考えるべきだろう。

もっと言えば、この程度の「悪役」を買っても、自分の統率力や経営者としての管理能力への影響は大きくない、と判断されたのだと思う。むしろ、人材流出や、社内引き締めの効果、メリットの方が大きいと。

だとすれば、その経営手法はたいしたものだな。ただ、僕としては、この藤田氏のメッセージを受けて彼に真っ向から挑戦できるような社員、ライバル会社、人材会社がでてくれると、面白いと思う。

要するに彼の目的意識には賛成できない。

 

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転職激怒問題

2014年10月01日 | ビジネス

夕方オフィスのPCで読んで、会社の子と話題にしていた。夜にまたPCをみたら、各方面でだいぶ反響を呼んでいたようだ。

日経ウェブの経営者ブログ(サイバーエージェント・藤田晋氏)の記事のことだ。タイトルは「私が退職希望者に「激怒」した理由」という。

会員以外の方は購読できるかわからないけど、記事はこちら、藤田氏の個人ブログはこちら

内容は、若い社員が同業他社から引き抜かれ、退職願を出してきた。藤田社長は激怒し、あえてそれが社内に伝わるようにした。理由は事業立ち上げプロジェクトの責任者でありながら、投げ出したこと、しかもその社員は過去に失敗して会社に損失を与え、今回は2度目の挑戦の最中であったこと、更に退職の理由が他社からの引き抜きであったことだ。
以前、自社で引き抜きを行った際、業界2位以下の会社は比較的寛容だったが、首位の会社は大変激怒していた。この厳しい態度こそ、業界首位を保つ理由なのだと思った。私があえて毅然とした態度をとったのは、そういう理由からだ、というもの。

日経には読者コメント欄があり、ざっとみたとき、年配者は藤田氏に理解を示す人が多く、若い人は反対の立場をとっているように見えた。ので、会社の子に感想を求めると、事情がわからないから何ともいえないが、どっちもどっちでは、というものだった。

その後、もう一度ブログと感想を詳しく読み、僕も匿名でコメントした。内容は、藤田氏の気持ちもわかるが、やはり疑問。第一に退職は従業員の最終かつ最大の決断であり、理由の如何を問わず尊重すべき。第2にプロジェクト途中の担当者退職は最終的には社長の責任であり、やめた社員に怒るのは責任転嫁だ、というものだ。藤田氏のブログは普段、それほどコメントがつかないが、今回はかなり賑わっているようだ。

コメントでは気を遣って?気持ちはわかるが、と書いたが、直感的には藤田氏の主張は全く理解できなかった。その気になればいくらでも突っ込むことはできるが(facebookをみたら、誰かがこちらの記事をシェアしていた)なによりまず藤田氏は社員を掌握できず、おそらくは人選を誤り、一時的にその新規事業を停滞させているのである。会社は株主のものだ。経営者として、その責任をなんと心得ているのだろうか?ブログの読者にはサイバーの株主や、利害関係者も多いはずだ。

今日の社会においては、従業員は丁稚でも徒弟でもない。経営者と従業員は立場の上では従属、指揮命令の関係にあるが、関係を解消することは(一定の条件の下)自由だ。辞めればお互い対等である。

あれだけ目を掛けてやったのに、恩を仇で返しやがって、とひとりで腹を立てているのは、むしろ理解できるが、「こないだ辞めた奴は無責任で恩知らずのふてぇ野郎だ、おまえらも気をつけろよ」と、社長が社員にいうなど、筋違いも甚だしい。

少し前にも、エステ関係の有名な社長が、労基法通りにやればうちはつぶれる、と発言して話題になったが、今回の件にも、日本人に染みついてとれないタテ社 会の意識を強く感じる。先日紹介したの山本七平氏の本にもあったが、捕虜になった英米人が、すぐに自分たちで役割分担を決めて、自治組織を作ったのに対し、日本軍捕虜はそれができず、暴力団のような組織ができて自然と暴力で統治されるようになった、という。各担当者はそれぞれのエキスパートであり、そこに上下はない、という欧米に対し、おまえは俺の子分、俺の言われたとおりにやれ、ということが常に意識されるのが日本人の、本質、なのだろうか・・・。ひとりひとりが、自分たちで作ったチームの一員なのだから、自然責任感が生まれるし、自分で考えるようになる。命令されて無理矢理やらされるのはその逆だ・・。

藤田氏は若手経営者のホープであり、サイバー社も新興の企業として注目されているだけに、ショックは大きい。

 

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