60歳からの視覚能力

文字を読んで眼が疲れない、記憶力、平衡感覚の維持のために

読み手によって異なるイメージ

2007-09-04 22:15:49 | 言葉とイメージ

 図のようにどんな風にかかれてあっても、「りんご」と読めれば果物の「リンゴ」のことだなと思うでしょう。
 漢字の「林檎」や「苹果」は読めない人もいるかもしれませんが、読めれば「りんご」だなと思うでしょう。
 字が崩れていても、書体が違ったり、漢字やローマ字で書かれても同じ「りんご」として受け止めることになるといわれれば、そうだと思うでしょう。
 しかしだからといって、「りんご」という文字を見たり、「りんご」という言葉を聞いた人がすべて同じ意味として理解するとは限りません。
 文字や言葉が同じだからといってすべての人が同じ意味に受け取ったり、同じイメージを思い浮かべるとは限らないのです。

 たとえば「バカだねえ」といわれたとき、関東の人は軽く受け止めて気にしませんが、関西の人はバカにされたと思って不快に思うようです。
 逆に「あほかいな」といわれると、関西の人は軽く受け止めるのに、関東の人は不快感を持つようです。
 言葉が同じなら、誰が聞いても同じ意味だと簡単に言うわけにはいかないのです。

 「りんご」の例にしても、今は「りんご」といえば明治以降に輸入された西洋りんごを指していますが、明治までは中国経由で定着していた「和りんご」のことを指していたといいます。
 もともとあった「和りんご」のほうは直径4~5cm、重さ50g程度で、現在の普通のりんごよりはるかに小さく、見たことがない人のほうが多いでしょう。

 有名な島崎藤村の「初恋」という詩に「まだあげ初めし前髪の、林檎のもとに見えしとき、、、林檎をわれにあたへしは、薄紅の秋の実に、、、」とある「林檎」は「和りんご」なのか、それとも「洋りんご」なのでしょうか。
 現代の人がこの詩を読めば「洋りんご」のことだと思うようで、埼玉県では藤村が明治30年ごろ藤村が西洋りんごを見て詠った(この詩の出版は明治30年だから?)というふうに推測しています。
 
 ところが藤村の地元の信濃毎日新聞社「信州学大全」には藤村の「初恋」に出てくる林檎は小さな倭林檎だとしています。
 明治になって輸入された洋林檎は当初前からあった林檎(和りんご)と区別するために「苹果(りんご)」と書いていたそうで、その後洋林檎が優勢になって大正時代からは「りんご」といえば洋林檎を指すようになったそうです。
 藤村が実体験を基にして詩を書いたとすれば、藤村の少年時代は明治10年代でしょうから、林檎といえば和りんごですから「和りんご」説のほうが優勢のようです。
 ちなみに、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」では「苹果」という漢字が使われこちらのほうは「洋林檎」を指していますから、藤村の「林檎」は「和りんご」のようです。
 藤村の詩が発表されたとき、読者がイメージした林檎は、現代の人がイメージする林檎とは違っている可能性が高いのです。