「出処進退」とか「新陳代謝」といった言葉の意味は分っていても、「処」とか、「陣」、「謝」の意味は?と改めて聞かれると、たいていの人はハテナと改めて漢字の意味を知らずに言葉を使っていたことに気がつきます。
熟語を構成している一つ一つのかんじの意味が分かってからその熟語の意味を理解したのではなく、熟語の意味を全体として覚えているのです。
意味が分からない漢字が含まれていても、全体の意味が分かれば辞書を引こうとしないからですが、読みが分ると安心してしまうのかもしれません。
個々の漢字について意味を確かめていないで、熟語全体の意味を覚えていると「出所進退」と誤記されてあっても気がつかなかったり、書くときに間違って書いたりする可能性があります。
あるいは熟語の意味が本来と違って解釈されていても気がつかなかったり、違った解釈をそのまま覚えたりすることもあります。
たとえば「直情径行」の「径」は「すぐに」という意味で、自分の思ったことをすぐに行動に動かすことです。
周りや前後の事を考えずにすぐ行動に移すということで、本来は非常識あるいは野蛮な行動という意味ですが、「直情」のほうに注意が向くと、素直あるいは正直というようにほめ言葉として使われるようになります。
漢字は一字につき意味が一つではなくいくつもあるのですが、よく使われる意味の場合は熟語もなるほどと意味が良く分ります。
たとえば「陳列」の「陣」は並べるという意味で、「陳列」が並べるという意味だというのは明快です。
ところが「陳腐」の場合は「陳腐」を「ありふれた」という意味だと覚えていても、「陳」がどういう意味なのか(「ふるい」)疑問に思わないままでいたりします。
「同僚」の「僚」は「ともだち、仲間」の意味ですが「官僚」の場合は「ともだち」では変です。
「姑」は「しゅうとめ」ですが「姑息」は「姑の息」ではありません。
「姑」は「そのままにしておく」ということで一時しのぎのことです。
「姑息」の場合は文字から言葉を覚えるよりも耳から覚える場合のほうが多いようで、「ひきょうな」という意味で理解している人のほうが多いようです。
文化庁の調査では、もとの意味で理解している人はわずかに12.5%なのに、「ひきょうな」という意味と思っている人は70%にもなるそうです。
同じように「憮然」という言葉の場合も「失望してぼんやりしている」という元の意味は16%なのに、「腹を立てている」という意味にとる人が69%もいるそうです。
なぜこのようになるかを考えてみると、おそらくこれらは漢字よりも言葉の響きから意味を感じ取っているのでしょう。
「コソク」は「こそついている」ように感じられ、「ブゼン」は「ぶすっと」しているように感じて、漢字の意味がわからないまま熟語の意味を理解しているのではないでしょうか。
けっこう漢字の意味には無頓着なままに、漢字熟語を使っている人が多いところを見ると日本人はそれほど漢字に依存してはいないような感じもします。
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