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漢字の透明性というのは

2007-09-18 22:58:17 | 言葉と意味

 Aのような漢字熟語は文字の意味が分かるので、組み合わせて作った言葉の意味が分ります。
 「落葉」、「水草」などは「ラクヨウ、おちば」「スイソウ、みずくさ」のように音読みでも訓読みでも意味が分かります。
 「禁止」「釈放」などは音読みであっても「禁じ、とどめる」「ゆるし、はなつ」と一つづつの漢字の意味を理解していれば熟語の意味が分かります。
 「電気」「電子」などは意味がよく分らなくても電気に関係した言葉だということは見当がつきます。
 このような例から、漢字は表意文字なので文字を見れば単語の意味が分かるし、完全に分らなくても見当がつくので、漢字で表現された言葉は透明性があるというふうにいわれることがあります。

 ところが漢字熟語はこのようなものばかりではなく、文字を見ても言葉の意味がわからないものはいくらでもあります。
 「皮肉」は皮と肉で身体のことを言いますが、「あてこすり」という意味はいくら頭をひねっても出てはきません。
 「青年」は「青」を「あお」と理解すると意味が分からず、辞書を引いて「若々しい」と知って意味が理解できます。
 「先生」は「先に生まれたから」という解釈では皮肉になってしまい、「まず生きている」などとエスカレートしてしまいます。
 「ヤボ」「シンジュウ」「セワ」「ムチャ」などは読み方が分かれば意味は分るでしょうが、漢字の意味と言葉の意味は結びつきません。
 「キキョウ」「リンゴ」「ニンジン」「ボタン」などの植物名の多くは読みが難しく、読めたところでドウシテこのような漢字が当てられているか分りません。
 なまじ漢字で表現されているために何のことかわからなかったりすることもあるのです。
 こうした言葉は漢字から意味を理解して覚えるのではなく、言葉をどのような漢字で書くかを覚えるもので、漢字の透明性はありません。

 「簡保」「農協」などの略語は「簡易保険」「農業協同組合」のように略さないで書けば文字から意味が分かりやすく透明性があるのですが、略してしまうと意味が分からなくなり、不透明になります。
 略語ができたときはもとの言葉が頭にあるので略語の意味が分かるのですが、後から略語だけを示された場合は意味が分からなくなります。
 分りやすくても長い言葉を避け、分りにくいけれども短い略語のほうを使うようになるのは、漢字の透明性ということを重要視していないからです。
 「簡保」「農協」といった言葉がどんなものかを理解すれば、漢字の意味を追求したりしないで、「カンポ」「ノーキョー」などカタカナで表現したりすることさえあるのです。
 言葉としての意味が分かれば、漢字の意味との一致ということにあまりこだわらないというのが実情ではないでしょうか。