上手投げといえば相撲で相手の腕の上からまわしをとっての投げ技ですが、野球では上から投げ下ろす投球を指すという事になっています。
広辞苑には「オーバー.スローの訳語」となっていますが、英和辞典でover.throwを引くと、なんと「暴投する」、「ひっくり返す」とあります。
上手投げに相当する言葉はoverhand.throwです。
広辞苑の説はまさに「暴投」なのです。
overhand.throwを日本語訳したのが「上手投げ」で、上手投げを英訳してover.throwとしてしまったために「オーバー.スローの訳語」となったのでしょう。
日本語の「上手」は「手を上に持っていく」という意味でなく「上のほう」という意味なので[オーバー.スロー」と訳したものと思われます。
下手投げも「アンダー.スローの訳語」とあるのですが、under.throwのほうはじしょにはなく、underhand.throwはあります。
漢字にしてしまうと、もとの言葉の意味よりも漢字表現に引きずられて意味を解釈してしまうからこのようなことが起きるのです。
「自然」という言葉は日本語としては「おのずと」あるいは「万一」という意味だったのですが、明治になってnatureの訳語として使われるようになりました。
natureの訳語としては「天然」というのもあって、この方が現在の意味の「自然」にちかいのですが、「自然」のほうが訳語として定着しています。
natureには「自然の法則」というように、予測可能というとらえ方だけでなく、地震などの自然災害のように人間には予測できないというとらえ方もあります。
natureは「人工」と対比されることがあるため、「自然」を予測できないもの、「人工」を予測できるものというふうに単純に割り切る考えも出てきたりします。
「命題」という言葉もprpositionの翻訳語で「真偽を判断する文」の意味ですが、「命題」という言葉の「命」という漢字から「使命」の意味を連想し、至上命題などという言葉が使われるようになっています。
漢字表現は知らない言葉でも漢字を頼りに意味が推測できる場合があるため、便利ではあるのですが、かえって誤解を招くこともあるのです。
「君子豹変す」という言葉の意味は、個々の漢字を知っているので、何となく意味が分かるような気がするでしょうが、一番多い誤解は「豹変」を「豹になる」と解釈するものです。
何から豹に変わるかは分らないが、豹のような猛獣に変化するとなれば、凶暴な態度になると感じてしまうでしょう。
辞書には「豹の毛が抜け変わって鮮やかになるように、君子が過ちを改めると面目を一新する」というふうに道徳的な解説となっています。
豹が毛が抜け替わっても豹は豹ですからこのようにとってつけたような解釈はヘンです。
「君子豹変」という言葉は「大人虎変」と一緒に出てくるので、大人も過ちを改めると面目を一新するというべきなのに、なぜか君子だけが問題になっているのは、君子といえば道徳的という先入観があるためです。
「君子」を道徳的に優れた人と思い込んでいるために出てくる解釈なのです。