60歳からの視覚能力

文字を読んで眼が疲れない、記憶力、平衡感覚の維持のために

短絡的判断も有用

2008-03-04 23:01:18 | 視角と判断

 写真が八枚ならんでいますが、真ん中(■の上の部分)に視線を向けて見ると両脇の二つの顔はハッキリ見え、表情もわかります。
 ところが残りの顔は見えているという感じがするのに、どんな表情なのかまではわかりません。
 男性の顔なのか女性の顔なのか、髪の毛が金髪であるかどうかなど大雑把なことはわかりますが、どんな表情なのかまではわかりません。
 一番左の顔と一番右の顔は同じ人物の顔なのですが、左のほうは右のほうの顔の左側の半分を反転して右側に写して作った左右対称の顔です。
 ■の部分に視線を向けたまま見たのでは、二つの顔は目に入るのですが、一番左の顔が左右対称で、一番右の写真とは似ているが異なるということまではわかりません。
 周辺視野はよく見えているように感じても、細かい点が実際にどうなっているかは見えていないのです。

 このことは写真の下の文字列を見てみるとよくわかります。
 すぐ下の漢字列では真ん中を中心にして5文字ぐらいまでは読み取れますが、
それから外側の文字になると、見えてはいても読み取ることが難しくなります。
 どの漢字も少し複雑なので、外側の文字はボンヤリとしか見えないと読み取ることが困難になるからです。

 同じ文字でも次の行のアルファベットとか、ひらがな、カタカタになると、視線を動かさなくても注意さえ向ければ一番遠い左端の文字でも、右端の文字でも何とか読み取れることができます。
 文字の形が漢字で字画の多い複雑なものよりも、比較的に簡単なためボンヤリとしか見えなくても文字を見分けることができるのです。
 それだけでなく、カナやアルファベットは数が少ないので強く記憶されていてボンヤリとしか見えなくてもそれと見分けやすいからです。
 ハッキリとそれと見分けることができなくても、大雑把な部分的な理解から全体を「これ」と推定して読み取るのです。
 詳しく見極めなくいまま、いわば短絡的に理科してしまうのです。

 五行目の文字列は固、細かい部分が見分けられるように明朝体で書かれています。
 それでも比較的易しい漢字なので周辺視野にあっても、字画が少ないため周辺視野にあっても読み取れるものがあります。
 ところが実はいくつかの文字は左右を反転させた鏡文字にしてあります。
 それらは字画が少ないので大雑把にしか見えなくても、それと見分けてしまういわば短絡的なやりかたで読み取っているのです。

 六行目はひらがなばかりが並んで、その上も字が似通っているため、周辺視野では見分けにくくなっているのですが、七行目のように漢字が間に入り、青と言う文字列の知識があるため見分けやすくなっています。
 はっきり「あお」と見分けているのではないのですが、規制の知識があるので短絡的に当てはめて見ているのです。
 このように短絡的に判断して読み取る能力があるから、速読ができたり、あるいは目の負担を軽くしてよむことができるので、短絡も有益な能力でもあるのです。
 
 
 

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浮世絵の遠近法

2008-03-04 00:04:02 | 部分と全体の見方

 図は江戸時代中期の浮世絵画家奥村政信の「芝居狂言浮絵根元」です。
 奥村政信は日本でもっとも速く遠近法を導入した画家で、近衛にも遠近法が取り入れられています。
 ところがこの絵を見るとすぐに気がつくのは、中央の本舞台にいる五人の役者はずいぶん大きく描かれていることです。
 まわりは線遠近法で描かれているのに、ここでは線遠近法は無視され、それまでの日本風の平行遠近法で描かれています。
 つまり重なりと上下関係で奥行き感が表現されているため、周囲の線遠近法の環境からは切り離され浮き出ているように見えます。

 この絵より前の奥村政信の作品では、本舞台も世年金法に従って描かれているものがありますから、この絵で本舞台の描き方を変えているのは、何らかの意図があってのことだと考えられます。
 この絵でもそうですが、芝居小屋の絵というのは観客席が大部分を占めていて、観客の様子が詳細に描かれています。
 そこで観客の様子を見ると、すべての観客が芝居のほうに注意を向けているかというと必ずしもそうでなく、舞台以外に関心を向けている観客がかなりいるようです。
 当時の観客は現代の観劇客のように行儀がよくはないのです。
 芝居のほうに目を向けている人もいれば、観客同士で話し合ったり、飲食に集中したり、ほかのほうを見たりしている人もいます。
 観客がみな芝居のほうに集中しているなら、客席のほうを詳細に描いても意味がないのですが、気楽にいろんなことをしていれば、観客を描くこと自体に面白みがあります。

 この絵の場合は、観客席が詳細に描かれている一方で、本舞台が線遠近法を無視して、従来の平行遠近法で描かれているのは、やはり役者のほうにも注意を向けたいからでしょう。
 それだけでなく、まわりが線遠近法でえがかれているのに、本舞台のところだけが平行遠近法という別の方法で描かれた結果、本舞台の部分がせり出しているように見え、インパクトが強くなっています。
 ちょうど、下の図のように真ん中の四辺形の部分は、線遠近法からすればかなり奥に位置するように見えるはずなのに、しばらく見ていると逆に手前のほうにせり出して来て見えます。
 
 下の図で真ん中の四角い部分の見え方が逆転して手前のふにせり出して見えてくるのは、この部分が平面的に描かれ、まわりの線遠近法の世界から切り離されているからです。
 まわりの線遠近法によって一番奥に見えるはずなので目が焦点距離を変えると、実際は奥にはないのでかえって大きく浮き上がって見えるのです。
 奥村政信がそのように意識して描いたかどうかは不明ですが、結果的には役者のほうに注意を向けさせて目立たせる効果をあげています。

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