一番上の文字は、アラビア語で「朝、公園に行きました」という意味だそうです。
日本語では簡単な文章ですからひと目で見て理解でき、文字も記憶できますが、アラビア文字のほうは五分や十分見たところで記憶できません。
アラビア文字を知っている人ならひと目で意味が分かり、文字も記憶できるのでしょうが、アラビア語を知らなければとても覚えにくいのです。
瞬間的に文字を見た場合、音読が間に合わないほどの短い時間であっても、目に焼き付ければ読み取れるというふうにいわれたりしますが、知らない文字ではそうはいきません。
漢字一文字が千分の一秒の表示でも読み取れるというのも、知っている文字だからで知らない漢字でも読み取れるということではありません。
音声のほうもカナがふってありますが、音読されたものを聞いても鸚鵡返しに復唱できるわけではありません。
音の並びが馴染みがないので、聞いても正確にはどのように発音されたかわからないのでなぞって発音することも難しいのです。
カタカナで読みをふっていますが、アラビア語は右から書くようになっているので、本来なら「フーバサ、ィフ、、、、ゥトブブハザ」とカナを振って右から文字を見ながら音声を聞く形になり、左書きに慣れた人間からすれば文字を頼りに音読するのに戸惑います。
二番目はタイ語で、「これはタイの果物でドリアンといいます」というのだそうですが、これもタイ語を知らない人にとっては、ひと目で覚えにくいというような生易しいものではなく、何分見ても隠してしまえば目にイメージをハッキリ浮かべることができません。
つまりボンヤリとしか記憶できないので、目を離してしまえばたちまちのうちに忘れてしまうのです。
音声のほうも「タイ」、「ドリアン」など日本に知られているものがあっても読んですぐ記憶できるもので張りません。
最後はチベット語で「これは、一ひろ31元です」という意味だそうで、これとてもひと目で覚えることはとてもできません。
右脳で見ればありのままに見え細かい部分も覚えられるなどといいますが、見たことがないような外国語の文字ではそうはいきません。
日本語ならこの程度の簡単な文章は、ひと目で覚えられるというのは、日本語の文字や言葉を記憶して知っているからです。
文字や言葉がハッキリと記憶されているかどうかを調べないで、記憶能力を見ようとしても意味がないのです。