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カタカナ語のカナ遣い

2008-03-15 23:55:51 | 言葉と文字

 カナは漢字の音を基にして作られたものですが、日本語の発音が変化するにつれてもとの漢字の音から離れてきています。
 たとえば「は」「ひ」「ふ」のもとの漢字は「波」「比」「不」ですが、漢字音は「パ」「ピ」「プ」ですから、カナが作られた当時は「パ」「ピ」「プ」に近い音で発音されていたのですが、日本語の発音は「fa」「fi」「fu」から「ha」「hi」「hu」へと変化してきています。
 中国での漢字の発音(読み方)と日本での発音(読み方)とは違ってきているのは、現在の中国語の読みと日本語の読みとを比べるとハッキリわかりますが、カナの発音の変化は気がつきにくいものです。
 
 中国語の漢字の場合は、一文字が一単語となっているので、単語の発音の変化と文字の発音の変化が連動していますが、日本語の場合は一文字が一単語とは限らないので、文字の発音が変わらなくても単語の発音が変わるので厄介です。
 たとえば蝶という単語はカナで最初は「てふ」と書いて「テプ」のように発音したのですが、「ふ」の発音が「pu」から「fu」「hu」に変わっても表記は同じでよかったのですが、「tehu]と発音していた単語が「tyou」のような発音に変化するということがおきます。
 「ふ」の発音は変化しなくても「てふ」の発音が変化してしまうということになると、一文字づつの読み方と単語の読み方とがずれてしまいます。
 
 単語の発音が変化しても、文字表記は変えるべきでないというのが歴史的カナ遣いの立場ですが、文字表記の連続性を保つという点では便利なようですが、表記と読みを別に覚えなければならないので実用的には不便です。
 極端な例ですが、カタカナ語というものも漢語と同じように日本語の中に入り込んでしまっていますから、表記の一貫性を保つべきなのかという問題があります。
 たとえば現在「アビリティー」と表記し、「アビリティー」と発音しているのが「アベレレ」と発音がでてきたときどうするのでしょうか。
 「アビリティー」と書いて「アベレレ」と読めというのでは混乱するでしょうから「アベレレ」と表記も変えるのがよいと思うかもしれません。
 そうなると表記の一貫性が失われてしまうのですが、だからといってabilityという原語を使うべきだということになればさらに厄介です。
 「アベレレ」は「アベレレ」と表記し、どちらが日本語として定着するか自然淘汰に任せるしかないのですが、まず無理に英語式発音を日本語に持ち込もうとしないことだと思います。

 日本語では漢字の読み方は中国語と離れて日本語化してしまっていますから、それと同じようにカタカナ語も日本語として考えれば無理に英語的な発音を導入することもないと思います。
 日本語としてのカタカナ語は英語とは別物と考えればよいわけで、中国語と違うからといって日本語化している漢語をアラタメテ中国式発音に変えようとすれば混乱するのと同じことです。