図の右側は、明治時代に耳から英語が導入されて、カタカナ語として定着したものです。
真ん中はその英語のスペリング、右は現在通用しているカタカナ語の形です。
明治時代には耳で聞こえたままをカナに移し変えたもので、いわば口真似ですからアメリカ人にも何とか理解できた可能性があります。
ちょうど、ジョン万次郎が「sunday」を「サンレイ」、「New York」を「ニューヨー」と発音したように、日本風の発音であるにしろ、聞こえたとおりの口真似ですから似ていて、アメリカ人に理解されたのと同じです。
明治時代に耳から導入された英語がその後、右の例のように変えられ、その結果アメリカ人には理解されない発音になってしまったのですが、その原因は英語の綴りと見比べるとわかります。
右側のカタカナ語は、日本人から見れば英語の綴りを比較的に忠実に反映しているように見え、左側のカタカナは綴りからずれているように見えます。
右側のカタカナは「i」を「アイ」、「a」を「エイ」、「u」を「ア」と発音していますから単純なローマ字読みでなく、中学で習う発音記号にしたがっている部分もあります。
これは発音記号による読み方とローマ字読みとが組み合わさった読み方で、実際のアメリカ人などの発音に従わずに、辞書だよりで作り上げた読み方のようです。
普通の日本人は右側の読み方に慣れてしまっているので、左側のほうが原語に近い発音を表わしているといわれてもなかなか信じられないでしょう。
どう見たって英語の綴りを見れば左側のカタカナは綴りと合わないと感じるはずです。
アルファベットは音標文字といわれ、ことばの音声を文字に転写していると考えられています。
だから、アルファベットで表わされている英語の綴りを、日本語のカナに変換する規則がわかれば、その規則によってカナに変換すれば英語の発音が文字からわかると考えられたのです。
ローマ字的な読みといくつかの英語特有の綴りに対する読みの規則から、単語の読みを推測したのでしょう。
実際はアルファベットが音標文字だからといって、綴りが音声をそのまま文字に写しているわけではありません。
綴りは発音に対応しているといっても、綴りを見れば発音がわかるというものではありません。
アメリカ人であっても、綴りを見ればただちに発音がわかるというわけではなく、言葉を知っていて発音ができるのに、文字に写したものは読めないということはあるのです。
文字を見て読むことができるというのは、音声としての言葉を知っていて、その言葉に対応する文字綴りがわかるということです。
もとの音声をしらなければ、綴りから音声がわかるとは限らないのです。
日本で通用しているカタカナ語は、日本人が英語の綴りを想起できるようにはなっているのですが、アメリカ人の発音を想起できるようにはなっていないのです。
これに対し明治に耳から入ったカタカナ語は、聞いたとおりの口真似だったので、綴りを意識しなくてもよかったのですが、カタカナとして定着してしまうと日本式のカタカナ読みとなって、英語の発音と離れてしまったのでしょう。
その結果現在のカタカナ語にとって変わられてしまったのでしょうから、最近の口真似式のカタカナ語も、カタカナ語として文字化されれば原音とずれが激しくなりもとの戻るのではないかと思います。