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漢字と日本語の距離

2007-06-04 23:25:24 | 言葉と意味

 「日本語は同音異義語が多いので漢字で書き分ける必要がある」という説にはなんとなく賛成してしまいがちです。
 たとえば「はかる」という言葉は、長さを測る、重さを量る、タイミングを計る、合理化を図る、だまそうと謀る、専門家に謀るなどと書き分けます。
 このように書き分けるのだと教えられれば、そういうものかと思って覚えるのですが、誰でもが完全に覚えられるとは限りません。
 つい間違って書いたり、あるいは思い出せなかったりするということはよくあるのですが、それでも言葉を聞いて意味が分からないということはありません。
 
 ということは、漢字に書かなくてもカナで書いても意味が分かるということになります。
 「とめる」という言葉にしても、「車をとめる」というとき、どの漢字を使うかとあらためて聞かれると、迷ってしまうのではないでしょうか。
 会話の中でいちいちどの漢字を使うというようなことを考えることはないでしょう。
 
 学者のように漢字の意味を良く知っている人であれば、漢字で書き分ければより意味がはっきりするということはあるかもしれません。
 会話をするとき、漢字を思い浮かべると学者が言うのは、学者の中にはそうした人がいるということで、一般の日本人に当てはまるわけではありません。

 たとえば「きさま」という言葉は相手を見下していう言葉になっていますが、漢字で書けば「貴様」は相手を上に見ています。
 言葉のもともとの意味は漢字で書いたとおりの意味だったのですが、現在では意味が逆転しています。
 意味が逆転しているのに漢字はそのままなので、言葉の意味と漢字の意味とは無関係になっています。
 漢字は意味を表すといっても、言葉の意味が変わったとき漢字は同時に変身できないのでこまってしまうのです。
 「きさま」という言葉を聞いたとき、漢字をわざわざ思い浮かべる人は少ないと思いますが、「貴様」という文字を見て文字通りの意味には受け取らないでしょう。
 
 つまり案外普通の人は漢字を見ても、漢字の意味にとらわれていない場合もあるのです。
 「全然」という言葉を「全然同感だ」という風な使い方をすれば、それはまちがいで「全然分からない」というように否定的に使うべきだといわれます。
 ところが「全然」という漢字の意味は「まったくそのとおり」という意味なので「全然分からない」という言い方のほうがヘンなのです。
 「姑息」という言葉の意味は、「しゅうとめのいき」ではなく「そのままの状態にとどまる」という意味ですが、なにか「こそこそした」というような意味にとっている人が多いようです。
 漢字の意味よりは擬態語のように音感でとらえているようです。
 「憮然」という言葉もよく意味が違って使われますが、漢字の意味は「がっかり失望している」ということなのですが、「ブゼン」という言葉の音感で擬態語的に「不満の様子」と思っているようです。