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語源の説得力

2007-06-02 23:34:03 | 言葉と意味

 A:「あつい、あつい!」B:「夏は暑いもんだ!」
 A:「そうか! あついからなつなのか! あつ、あつ、なつ、なつ」

 貝原益軒は「夏」の語源を「暑い(暑し)」だとしましたが、まじめな学者がそんなことを言ったのかとあきれる人もいますが、ナルホドと感心する人もいます。
 単に「夏」の語源は「暑」だと聞いても「ソウカナ?」と反応するぐらいですが、夏の暑いときに「なつはあつい」と聞けば、夏の語源は「暑い」だということが実感としてアピールしてきます。
 本当に「夏」の語源が「暑い」なのかという、学問的あるいは歴史的裏付けよりも、ナルホドという心理的な満足が得られれば納得してしまいがちです。

 いわゆる民間語源のほうが優勢なのは、その説明でコトバの意味がはっきり分かったように思えたり、あるいは新しい意味が示されてそれに共感したりするからです。
 「はたらく」というのは「傍を楽にする」という意味だ、という説は自分のはたらきが評価されたときなら「ほんとにそうだ」と納得するかもしれません。
 ところが説教調で言われたりすれば「フン、つまらんコジツケをするもんだ」と問題にしないかもしれません。

 百姓が分割相続をすれば経営単位が小さくなってしまうので、「田を分ける」ことはおろかな行為だとする見方があります。
 「田分け」すなわち「たわけ」が愚か者の意味だというのですが、見方によってはナルホドと感じるのでしょうが、別の見方では逆になります。
 親から受け継いだ田を才覚や努力によって大幅に増やせば、自分の子供たちには分割相続させることが可能になります。
 この場合は「田分け」つまり分家ができるのは愚か者どころか、特別有能な証明となります。
 もちろん「たわけ」の語源は「田分け」ではなくコジツケなのですが、こじつけ方にはその人の感覚が反映されているのです。

 12月を「しはす」というのは「師走」つまり、師が走るほど忙しいからだという説も、12月が忙しい月だという感覚に訴えるから説得力を持ち、まだ説明として生きています。
 これなどは最初から「師走」という漢字語があったわけではないので、「しはす」というコトバに当て字をしたのは明らかです。
 一度当て字をしてしまえば、その文字から意味が伝わってくるので、文字が説得力を持ち説明がもっともらしく思えます。
 ところが6月の「水無月」のように「みなづき」に音にしたがって当て字をしてしまうと、「水のない月」という解釈をして苦しむことになります。
 もとは「みのつき」つまり「水の月」だったのが「みなづき」と発音が変化したため、後から当て字をするとき「水無月」となり、逆の意味となってしまったのです(「神無月」も同じで本来は「神の月」)。
 なまじ、漢字を当てるために意味が分からなくなって苦しむということもあるのです。