左の図は隠し絵テストの例で、矢印のような図形をその右の図形の中から見付けだすという課題です。
ウィトキンという心理学者によると、この種のテストのテストの成績がよい人は、性格検査の結果とあわせてみると、性格的には場独立的であるといいます。
場独立的というのは分析的で細かいところに注意が行き届き、外観にとらわれず、内的な目標に従って行動して、積極的で、達成意欲が強いとしています。
逆に成績の悪い人は場依存的であるとしているのですが、場依存的というのは、受身的で暗示に弱く、周囲に同調的で、権威主義的で、外観にとらわれやすいとしています。
そういうふうにいわれるとなんだか場独立性の人のほうが立派で、場依存的な人間は未熟で劣っているような感じを持たされてしまいます。
そればかりかこれは、白人が優れていて、日本人など有色人種が劣っているという議論に結び付けられそうな感じで、イヤな感じですね。
ウィトキンは男女の認知能力差についても言及していて、男性に比べると女性のほうが周囲の枠組みに影響されやすく、場依存的であるとして、暗に男性のほうが優れているといっているようです。
だいたい白人の心理学者には白人男性優位説を押し出す傾向が強く、白人の男性の支配を正当化するような言説が臆面もなく主張されていたりします。
ところが最近の自閉症の研究では、隠し絵テストのような問題では、自閉症者のほうが健常者よりも優れているということが明らかになっています。
自閉症者は健常者と比べるとこの問題についての脳の使い方が異なり、情報処理が全体モードでなく、部分モードであるとされています。
健常者は図形の中に意味を見出そうとしたり、どんな風に見えるかを考えたりするので処理が遅くなるのに対し、自閉症者はきまった形の処理に専念するのでスピードが速いといいます。
自閉症者の隠し絵テストの成績が優れているという結果を聞いて、場独立的性格というものを振り返ってみると、場独立的性格というのは自閉症的な性格で、自閉症的な性格をプラスの言葉で表現したものだということが分かります。
自閉症だからダメだということではありませんが、性格の規定などというものは表現によって印象がだいぶ変わってくるものです。
論者の表現に一喜一憂しないで、広い視野から評価する習慣を持手羽、一方的な議論にしてやられることはないのです。
左の図ははっきりとした部分を全体の中から抜き出す課題だったのですが、右の図は同じように隠し絵と呼ばれるのですが、逆の課題です。
この図は全体として何を表しているかを発見するものです。
横を向いた牛が顔をこちらに向けている図なのですが、部分的な要素にこだわってしまうと、全体が見えなくなります。
これは前の問題と違って、周りの物を取り払っていく方法では答えがえられません。
取り払われている部分を想像で補うのですから前の課題とは逆で、別の能力が必要です。
両方とも不得意の人もいるかもしれませんが、二つの隠し絵テストは逆の能力を要するのですから、知能テストなどもこうした逆転的な能力を同時にしてほしいものです。