日々、土器実測(仮)

発掘された遺物の図化作業メインのお仕事ブログのはずが、日々の徒然・スピ話ばっかりになっちゃってる日記。

やっぱり違う

2013年07月09日 | Weblog
手持ちがなくても必要な事にはお金はついて来るとスピではよく云います。
当然、何も犠牲を払う事なくと云う事で、仮に借金するような事になっても直ぐ返済出来るとか埋め合わせが出来るらしい。
私は全くそう云う事がないので、きっと必要な事と云うジャッジがなされてないんだなと思うのですが(何時もの事ですし、ジャッジするなと云うスピにおいて一体誰がジャッジしてんのかと不思議なんですが)、私がどん底に突き落とされたセラピストが話していた事が、どうしても引っかかってなりません。
前にもエントリーした事があるかもしれませんが……。

セラピストとしてやっていく為のスキルを学ぶのに必要なお金について、2つやりたい事があって、その2つには必要なお金が出て来たと云うのです。
が、1つは息子が大怪我をした事で得た保険金で、もう1つはセラピスト自身が癌を患って九死に一生を得た時の、これまた保険金だそうで。
聞いた時から違和感があったのですが、その時は、そんなもんなのかと納得しました。
でも、やっぱりおかしくないですか、こう云うの。
どっちも保険金ですよ。
息子の怪我も自分の病気も必要な事だったのだとは思います。
でもそれで得たお金がスピで云う必要なお金は得られるものと云う風には、ちょっと考えられないと云うか。
お陰で支払えてスキルも学べてと、ご本人たちはご満悦な様子でしたが、どうもねえ。

この事を先日知人たちに話す機会があったのですが、即行「それ変でしょ!」
ですよね~~となった訳ですが、やっぱ普通に考えて変なんですよね。
何でもスピにすり替えて考えれば、はぁ?と云う事もその為に起きたと云う解釈が成り立ちます。
確かに人生無駄な事はないとは云いますが、それでもこの事に関してはちょっと違いませんかと云う感覚が否めない。
それでも気持ちの持ち方で先が全く変わって来ると云われたら何も云い返せません。
が、直感を信じろと云うなら、これまた変としか思わない訳で、自分の感覚を大事にと云われても同じ。
必死によい風に考えなくてはやって行けないのかもしれないけれど、何もかも都合よく持って行く、このやり様にはビックリです。
このぐらいでなくちゃ、出来ないんでしょうかねえ、セラピストとかヒーラーって。