日々、土器実測(仮)

発掘された遺物の図化作業メインのお仕事ブログのはずが、日々の徒然・スピ話ばっかりになっちゃってる日記。

思う事

2010年11月06日 | Weblog
自分と少しでも関わりのある人のブログを読んでいて、時折、もしかしてこれは自分に対して遠回しに云っている
のだろうかと感じる事があります。
こちらが勝手に思うのだからそうではないかもしれませんが、大抵こう云う時の感覚と云うのは正しい。
で、そう云う時は何時も傷つきます。
云われているのはよくないところの指摘であって、決していい事ではないので。
そうじゃないのにどうして、と思っても、それを伝えようもないのですが、その指摘が決して励ましになっていない
事は確かです。
こうしたらああしたらと云うアドバイスもスキルも、全部やりましたけどと叫びたくなる。
アドバイスが欲しいのなら、そうお願いします。
だから分かってあげている風に云ってくれるな。

色々やったんだ、私だって、これでも。
信じて願って祈ったんです。
でもその結果が今です。
結果が全てを物語っていると云う事です。
辛い事や心配事がない人なんていないと思いますが、人はそれぞれがおかれた立場や環境で違いがあります。
自分はこうだからあなたも出来る、出来ないはずがない、なんて、そんな事はありません。
そして、何かしらの喜びあり光が見える人は、闇にいる人の本当の心を理解出来ないでしょう。
だから云うのです、どうしてやらないの、出来ないの、と。

願わないのがいけない、願い方が悪いならまだ、心の中で我慢我慢とも思える。
でも感謝していないとまで云われたら、一体自分はどれだけ人でなしだと思われているのかと、情けなくもなると
云うものですよ。
私はもう自分を理解して欲しいなんて全く思わなくなりましたが、どれだけ説明しても理解されなかった事を思い
出せば、理解して貰えない事の辛さは身に染みています。
直接ではなくても、これ以上、必要のない傷が増えて行くのはご免です。
だから、もう人と関わるのは本当に嫌だと思う。

ダメなものはダメ

2010年11月05日 | Weblog
見えない聞こえない気付かない感じない。
どう頑張っても無理と云う人は確実にいる訳で、それが出来る人には到底理解出来ないところで苦しんでいます。
そんな簡単な事と云うけれど、ダメなものはダメです。
決めただけで1歩進んだ事にもなるそうですが、心を開くと決めてもどんどん閉じて行きます。
分かる人には分かって分からない人には分からないまま。
どんなに分かりたくても分かる事が出来ないと云う事もあるけれど、分からないなら仕方がないので諦めるしかない。
分からない・分かるようになれないのは自分のせい、だから諦めろ、そう云う事ですね。
ダメなものはダメだと云う事です。

「落ちるところまで落ちれば後は上がるだけだから大丈夫」と云われました。
でも、誰でも必ず上がれるんでしょうか。
落ちてからもうどれだけ時間が経つのか、私には思い出す事も出来ません。
結局のところ、どんなに頑張った、努力したと思っても、それは自分だけが思う事で、認められなければ物事は上手く
回りません。
自分だけが何をどう思ってもダメと云う事です。
自分では願って祈って頼んでも、それも自分が思うだけ、相手に通じなければ叶いません。
それを認めるのが誰かは分かりませんが、自分だけではどうにもならない、確実に認められなければいけないのだと
云う事は分かります。
今迄色んな事をやりました。
どうしてこんな事、と思うような事もあったけれど、それでも何とかしなくちゃと必死にやって来たつもり。
でも必死に生きても真面目に生きても、ダメなものはダメだとやっと悟りました。
やりたい事が出来ない、会いたい人に会えそうで会えない、人生を好転させる為の事がどれも自分には関わる事すら
出来ないと云う事は、やっぱりそれまでと云う事だと思います。
この事を悟る為に、こんな長い時間が必要だったと云う事でしょうか。
私はどれだけ悪い事をしたのか、どれだけ人を傷つけたか、まだまだ罰が足りないようです。
ここから逃げたら、もっと苦しい罰が待っているのだろうか……。