日々、土器実測(仮)

発掘された遺物の図化作業メインのお仕事ブログのはずが、日々の徒然・スピ話ばっかりになっちゃってる日記。

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2012年05月27日 | Weblog
眠れないのに無理矢理瞑っていた目を開けたら、空が白々していて、時計を見たら4時半だった……。
朝だな、もう。

うつらうつらしている僅かな間に、妙な夢を見ていました。
困っている知り合い(夢では知り合いだけど見ず知らずの人)をセラピストのところへ連れて行ったところで目が覚め、新幹線に乗り遅れると猛ダッシュしてエレベーターに乗って猛スピードで下降したところで目が覚め、霊能者の女の子から大事なメッセージを聞いたところで目が覚め……。
多分眠ったのは実質2時間弱程度だと思いますが、とぎれとぎれに見た夢が強烈でした。
霊能者の女の子が私に話してくれた事は、とても大事な事だったと思うのだけど、その内容を全く覚えていません。
凄くショックです。


いい事や知って欲しいと思う事をシェアしようと云うのと、単に自分の凄さ自慢をしたいのか、境目が分からなくなって来たと云うか。
小さな事から信頼は崩れて行くものですが、積み重なって飽和状態になる前に、そうではないと思えるようになりたいです。

何らかの意図があるから表に出すのだと思います、これって云う必要あるのかなと感じる事は。
クライアントの事も、当然公にしてよいと云う許可の元なのでしょうが、こんな凄い人が来たと云うのは、その事に驚いたとか云うのではなく、自分がそう云う凄い人達から信頼されているからと云う事を暗に云う事が目的な訳でしょう。
ピンからキリまで色んな人が来る中、あえて凄い方だけを云うのだから。
こんな凄い人と会った、関わっていると云うのは、ステイタスですものね。
仕事の宣伝にもなるのでしょうから云わずにいられないのだろうけれど、そう云う風だったとは思っていなかったので、一方的にガッカリしています。
今後一般人は相手にせず凄い人にのみ対応する、そう云う意図もあるのかもしれませんが。

怖いものなしになると、人って変わるんだなと思います。
博愛主義者みたになればいいと云うのではないけれど、今迄そうしたくても出来なかった能力自慢とか虚栄心とかそう云うものが前面に出て来ると云うのは、やはり何かが違っている気がします。
本人はあくまでも幸せのシェアと思っているかもしれないけれど、鼻持ちならない感がぷんぷんして来て全然そんな風には感じられません。
今迄も時々「普通の人でも云々」云う事があったので、自分は普通ではないという事は暗にアピールしていたのだろうけれど、でも開いているかいないかだけで能力は誰にでもあると思うのですが、違うのでしょうか?
いい人だから能力が開いていると云う事は断じてないし。

単純に凄いなあとか羨ましいなと感じられず、これって自慢?と感じてしまうと云う事は、そうではない風にしているつもりでも、そこに含まれているものを感じてしまうからだと思います。
なんと云うか、本当に自分が楽しく幸せに生きいて、その事をシェアしようと云うのと、自分の凄さアピールをこっそり含ませているのと、やっぱり違いは分かっちゃうんですよね。

他人がとやかく云う事ではないのかもしれないけれど、ひけらかしの要素が増えて来るのが目に見えて分かると、何か哀しいと云うか、どれだけ凄い能力が開かれていようと人としての中身は普通だったんだとなと云うか。
人間性が大事と云っていた人であれば余計に、何だかなと感じてしまいます。
私がどう思ったところで何と云う事もないのですが、どんどんがっかりな要素が増えて来ると哀しいなと思います。
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