日々、土器実測(仮)

発掘された遺物の図化作業メインのお仕事ブログのはずが、日々の徒然・スピ話ばっかりになっちゃってる日記。

どの程度

2012年07月23日 | Weblog
クライアント側と云うのは、どうしても「して頂いている」的な、かなり謙った感覚になりがちだと思いますが、考えてみればおかしな感じです。
フィフティーフィフティーとは云わないまでも、クライアント側だけがセラピストより低い位置づけなんて事はありません。
それを思った時、セラピストやヒーラーって、クライアントに対してどう思っているのかなと考えます。
多分サイキックでない人が学んだスキルを活かすのとサイキックな面を活かす人とでは、クライアントに対する感覚が違うのではと想像しますが、どこまでも「してあげた」と云う上からの感覚なんでしょうか。
クライアントが自分を選んでくれた事もありがたいのではなく当然の流れとか、自分にはそれだけの能力があるとか思うのでしょうか。
何か、凄く傲慢な感じを受ける人がいたりしますが、クライアントが来てくれたお陰で自分の生活も成り立っているなんて発想には、夢夢ならないのだろうな。
等価交換として支払いがされるのだし、セラピストとクライアント両者に大きな差があるとは思えないのですが、何かセラピスト側にだけ特別な価値が存在する事のように思えると云うか、釈然としない感じにある事が多いのは否めないかなと思います。

いい人だから能力が開いた、やっぱり自分は選ばれた人間と思ってるからこそ、でしょうね。
その鼻持ちならない感じ、何処から来るのだろう。
過剰な自信って、周囲にはいい迷惑だったりします。
謙る必要は全くありませんが、謙虚ではあるべきと思います。
慢心したらお終いです。
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