日々、土器実測(仮)

発掘された遺物の図化作業メインのお仕事ブログのはずが、日々の徒然・スピ話ばっかりになっちゃってる日記。

傲慢

2013年04月13日 | Weblog
先日、土器の内面の炭化物から、縄文人が魚を調理していたと記事になりました。
縄文人がグルメだったなんて事も云われていますが、天然素材を使って素材の味がよく分かるように作られていたでしょうし、そう考えたら今より遥かによい食生活を送っていたのは確かだろうなと思います。

遺跡等から新発見があり、それによって古代の人が思っていた以上によい生活をしていた云々記事になったりしますが、昔の人だから今より劣っていたと云う事はないのにと何時も思います。
むしろ精神性は現代人なんぞよりも遥かに高かったのではと思うのですが。
今は培って来た技術のお陰で便利ではあるけれど、だから人の中身もよくなったかと云えば全くそんな事はないと思います。
もしかしたら精神性、人間性だけは退化しているかも。
と云うか、技術を高める事が進化かと云えば、それもどうなのかと思ってしまいます。

よくタイムスリップもののドラマでも、結局自分達が使っている道具がなくてはどうする事も出来ないのが現代人。
しかも人力では動かない、エネルギーが供給されなければピクリともしないものが大半です。
逆にその時代に合わせる事で生き易くなる、現代人にとっては皮肉な話だと思います。
頭の中身に時代による違いなんてものはありません。
物語の事とは云え、そうそう人の中身なんてものは、時代によって変わるものではないと云うのは本当ではと思います。

昔の人は思っている以上に頭がよかったとかグルメだったとか、そう云う感覚そのものが、貧困な想像力と人としての中身を露呈しているような。
今の自分達が最高峰と云う傲慢さあっての考え方ですよね。
昔に学ぶ事の方が、今は断然多いと思うのですけれど。
生き方も人としての心構えも。
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