日々、土器実測(仮)

発掘された遺物の図化作業メインのお仕事ブログのはずが、日々の徒然・スピ話ばっかりになっちゃってる日記。

人の話

2018年01月03日 | Weblog
片方から聞いただけで判断できないものだ、としみじみ思います。
そう云う事が年末から続いている……。

𠮟咤激励の激励をちっとも感じられないようなもの云いとか、言葉の使い方や選び方、伝え方……。
逆に受け取られてしまう事もある訳で、それは受け取る相手のせいにはできない、と感じる事も多々あり。

言葉に、何かしらの思いと云うのは乗ってしまうのだろうし、と云う事は、受け取ったままの感覚が正しいと云う事の方が多いと思われ。

難しいなと思います。

人の振り見て我が振り直せ、ではないけれど、そう云う場面に直面している、と云うか、体験している、と云うか……。

その時の感情に任せて出た言葉は、やっぱり少し寝かせてみないとダメかもしれません。
ちょっと俯瞰すれば、ハッとしたり、云うべきか否かの適切な判断も出来て来る。
励ます事が出来なくても、そこから落とす事はしたくない、と云うのが、私のせめてもの願いだったりもしますが、相手を見てもの云うのも大切かもしれません。

考え方に柔軟性がない、いいか悪いか、2つに1つと云う判断の多い人に、心の機微を推し量る事はなかなか難しいと思います。
そんな人に、うっかりでも弱音なんて吐いてしまったら、恐らく正論を振りかざされて、ますます痛みが増すだけ。
ちょっと辛いと云いたくて、しんどいよねと共感してもらいたいだけのところ、どん底に突き落とされる事にもなりまして、いやはや、自分の学習能力のなさにもがっかりしてしまいますが……。

簡単にささっと終われそうな事なのに、傷が深まると云いますが、えぐられると云いますか、あ~、なんでこう面倒臭い事になっちゃうんでしょうね。
通じていない、その一言に尽きる感じかなあ。