この図、「ちきりん」さんのブログから。
日本のGDPです。
戦後すぐの1955年から50年で11倍。
驚くのは高度成長期、失われた10年も含め大雑把に言えばほぼ一直線の右肩上がり。
えっ?
これは実質GDPの伸びを表している。
名目GDPが物価の上昇、低下で調整されている。
つまり実質的な身入りだ。
いくら収入が増えても物価が上がったのでは生活は良くならない。
物価の増減を差し引いたGDPだ。
成長期はインフレで成長率が相殺され、停滞期はデフレが成長の代わりをするみたいだな。
停滞期のインフレ「スタグフレーション」は例外的だったようだ(オイルショックとか)。
つまりバブル以降の日本経済は名目GDPは成長していなくてもデフレで実質的に豊かになった。
巷間言われる生活実感とは大分違いません?
この図では1961年から高度成長期。
国民はこの高度成長期に炊飯器、洗濯機、冷蔵庫、テレビを手に入れた。
戦後の食うや食わずから脱出したわけだ。
実感のできる成長だ。
しかし、この時期は物価急上昇の時期でもあった。
我々の学生時代は「成長かインフレ抑止か」が政策課題だった。
その後、石油ショック以降。
クーラーや電子レンジが普及した。
先進国の仲間入りをして、低賃金で生産される安物、「メイド・イン・ジャパン」から、
技術が売り物の国になった。
その結果、物質的豊かさに加え週休二日制のような「ゆとり」を手に入れた。
ここまでが実感できる成長の果実だろうか。
そしてバブル経済期。
バブルを引き起こしたのがプラザ合意による円高。
庶民は海外ブランド品を買い漁り、BMWの3シリーズは六本木のカローラとまで言われた。
企業は海外の不動産や絵画を買いまくった。
一方、国内の不動産価格は急騰し持てる者と持たざる者の格差が拡大した。
その後は所得は増えないし消費税、医療費負担増、年金受給の延期など生活費は圧迫されてきた。
しかしメイド・イン・チャイナの安い商品が溢れている。
この時期に我々が手に入れたものは医療、介護産業の成長とネットの発達。
しかしその現場では低賃金の介護スタッフやプログラマーが過重労働を強いられる。
ネットの発達により中間業者の利潤は極限まで下がり、一方消費者はその恩恵を受けて物価が下がる。
前にも書いたが、今頑張って10時間働けば一万円稼げる。
それでジーンズだったら10本、牛丼40杯、昼食付きの日帰りゴルフ・ツアーもできる。
100円ショップで100個か、うんざりする程の屑の山が買える。
70年代前半に社会に出た頃から見たら夢のようだ。
ほんと、お金なかったなあ。
しかし、今の時代、特に若者は豊かさを実感できない。
物不足の経験がない。
それに若者はデフレ体質ではないからね。
蓄えのある高齢者が有利だ。
加えて政策上、若年層は絶対に高齢者に割り勘負けしている。
35歳の平均年収は10年前は500万だったのが300万に下がったとか。
一方で60代になった団塊世代は喰い逃げだ。
高度成長の時代はインフレ地獄とメディアや野党は絶叫していた。
バブル期も「遠ざかる庶民の夢」マイホームの話ばかり。
日銀がバブルを潰したのは国民感情(嫉妬)の高まりが背景だ。
実質GDPの伸び率も国民の不満もいつも同じなように成長するのか。
そういえばテレビのキャスターはずーっと「暗い世相を反映して」みたいなことを言ってきた。
経済成長とは貧乏人が中産階級になること。
日本全体としては高度成長で成し遂げた。
国民全体がまあまあの生活水準を手に入れた。
物質的豊かさはとっくに達成されたんだ、きっと。
GDPは実感できる豊かさを表すものではなくなった。
代わりの指標?
政治家ならそう言うだろうな。
そんなのないよ、というか要らない。
学者や政治家のお遊びだ。
個人の生活には役立たない。
高度成長も停滞期も、楽しく生活する人、つらい思いをする人、ただただ「暗い世相」を嘆く人がいる。
世の中の心配をするのは勝手だが大事なのは自分。
私の生活が第一。
私や家族の最大幸福社会。
私の安全保障。
自分が先に来る考え方が健康だ。
低成長でも文化的に円熟するなら楽しい「私」の日本。
経済的野心があるなら伸び代のある海外に出るのもいいだろう。
気楽に自己中に行きたいね、と思わせる図でした。
しかし、90年代に入ると会社も年功序列から成果主義に移行(途中で変えるな!)、デキの悪かったボクの給料は頭打ち、55歳になると更に給料が3分の2に減額されるので、その前に会社を辞めた(それだけが理由ではないが)。まあ一種の「喰い逃げ」か(笑)
実は、仕事とは関係のない「2、3のラッキー」がボクの現在の生活を支えている。人生、何が起こるか分からないから面白い!・・・ 親の遺産とか宝くじではないよ(笑)
ボクの場合「生活の豊かさ感」は日本のGDPや会社にはあまり連動していない。
PS Tb教室では残念ながらベサメはやりませんでした。代わりにバイバイ・ブラックバードをやらされ、ちゃんと吹けず「だいたいブラックバード」と言われました(笑)
サトミ先生に座布団一枚。
KFもだいたいジャズギタリストで行こうっと。
でも自己中的にもずっと幸せかも(笑)
私もこれから渋谷でだいたい弾き語りしてきます~
個人的な浮き沈みも楽しい。
今日もだいたい人生で楽しみたいと思います。