ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

須江崎

2013-05-17 05:00:00 | 田舎

4日と6日に大島港へ釣りに行ったことは昨日綴りました。おそらくそれを読んで5日はどうしてたんや?と思った方は居ないだろうと思いますが、今日はその5月5日の報告です。前日の飲み過ぎでなかなか目が覚めないのに早朝から三男たち二人が、須江へ行くから道を教えろというのですが、口で言って分かるものではありません。暗いうちからとうとうハイゼットに乗せられ、須江崎の手前まで行ったのでした。それから彼等の荷物を降ろし、私は一旦家に戻り、眠いので暫らく寝てから、8時ごろに再度起きて朝食をとり、それから再び須江に行くことに、私はクロスロード、Y下君にハイゼットを運転してもらったのです。随分ややこしいことをしたものだと思っています。

             

須江に着いたのが9時ごろ、地獄のカマの横を通って磯の手前まで歩き、ハタと気が付いたのがカメラを忘れたこと、カメラが無ければ何をしに来たのか(釣りにきたのは間違いありませんが)・・・車までカメラを取りに戻る羽目になったのでした。これが大島港なら取りに戻っても1分もかからないので、やっぱり大島港は便利です。

須江崎は樫野のように危なくはないのですが、岩が斜めに切り立っているので歩き難いところです。以前来た時に決めていた割れ目より右側の磯を選びます。森を抜けてから磯場に出、先端まで200mもないであろう岩場を10分余り歩きました。Y下君が先頭に立ってさっさと歩いていきますが、私は同じようなスピードで歩けません。行き着く場がどんなところなのかも分からなかったのですが、結構釣り易い場所を見つけることが出来ました。

             

Y下君は先に着いたので、海に向かって右側のポイントを取りました。私は左側、見る限りどちらもどん深になっています。ここでは二人釣るのが精一杯でしょう。Y下君の向こうに見えているのは通夜島です。

             

私の釣り座は左側にワンドがあり、そんなに波やうねりが高くないのに、サラシが大きく出来るところ、サラシが引いた時には磯際に大きな岩が見えていました。何処にポイントがあるのか、よく分からないままでしたが、投入する度にエサは無くなります。撒き餌をすると魚は見えるのですが、素早い動きを見つけることが出来ません。

             

目の前を大名行列のようにしてボラの大群が左から右へと泳いでいくのを何度も見ました。エサには見向きもしません。竿で頭を叩いてやろうとしましたが、どうやら深さが足らなかったようですし、そんなもの関係ないわという感じで泳いでいました。

             

1時間ほど釣っていて、今までアタリが無かったのにウキがジワッと沈んだかと思うと、スゥーッとウキが沈み魚が竿に乗りました。「やった!」と思った途端のこと、魚の頭をこちら側に向けることが出来ません。魚が突っ込んでいくのをやっと堪えて「何じゃこれは」と思い、Y下君に「チョット!」と叫んだ瞬間に針が外れてしまいました。ここには凄い奴が居るのです。1号の竿ではアカンことをこの釣行で納得しました。

             

アタリが無いのにエサは確実に無くなります。このようにオキアミの尻尾だけが残され、上手いこと釣られんように喰いよるなぁと思っていました。普通アタリが無いのにエサが無くなるならタナを浅くすればいいのですが、竿1本分程度の深さから浅くするような雰囲気ではありません。

             

風で舞ったのかハリスに結び目が出来ているのは知っていました。なんとかしようと思ったけどなかなか上手く戻せないのでそのままでやっていたら、2回目にウキがスッと入った瞬間に合わせたのですが、何の抵抗も無かったのにハリスが切れてしまっていました。

Y下君もやっとの思いで釣り上げたものの、グレでは無くちっちゃなスズメダイ、Y下君には大物は来なかったようです。

             

通夜島の向こうには白野港、手前の磯ではしょらさん渡船の釣り客が乗っていました。他にもこの磯に何人かの釣り人が確認できています。

この日私は何も釣れなかったけど、大物がいる実感はさせてもらえました。体調の良い日に再度2号ぐらいの竿で挑戦しようと思っています。

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5月4日・6日の釣り

2013-05-16 05:00:00 | 田舎
 
大阪市長の“慰安婦必要”発言を昨日チョコッと綴ったのですが、どう考えても彼の人間性が理解できません。彼の奥さんや娘さんが慰安婦にされるなんてあり得ないと思っているのか、そうなっても構わないと思っているのかでは話は違いますが、前者の方なら他人の嫁や娘は慰安婦になっても構わないのであり、後者であれば嫁や娘を愛していないということになります。そんなことを考えられる人間って居るのですかね?大阪市長と言うより、日本維新の会代表としての発言だそうですが、維新の会の女性メンバーはどう思っているのか聞いてみたいものです。橋下氏の個人的なことを考えるとこういう言い方になるのですが、実際には女性を男性の性処理道具・性の奴隷に仕立て上げる慰安婦制度自体は人道上の観点から大問題です。戦争に慰安婦が不可欠と言うなら、敢えて戦争などしなくていいのです。戦争は外交問題、慰安婦は人権問題、解決の仕方がどっちも間違っています。

Y下君がやってきたのは連休中日の4日、私の愚車の軽四は三男たちがこともあろうに独占し、私たちは私のクロスロードで移動しなければなりません。やはり田舎では小さくて小回りが利く車の方が乗り易い、釣り道具を積むとなると私のクロスロードよりハイゼットの方がたくさん積めるようです。でもラジオもロクに鳴らないハイゼットでは、騒音ばかりが五月蝿くて、長く乗っているのはゴメンです。

Y下君の到着後は少し休憩し、大島港へ様子を見に行くことにしました。

             

ゴールデンウィークらしく、家族連れで釣りを楽しむ人が多く、小さい子などを連れていると海にはまりはしないかとこちらがヒヤヒヤです。釣り場は人が多く、手前側でしか竿を出せませんが、空いているところでも釣れた実績はあるので、少しだけ竿を出してみることにしました。

でも全く何のアタリもありません。エサすら無くならない状態で、すぐに「今日はアカン」と諦めてしまいました。

             

満杯の駐車場、大裕丸のトラックも自分の定位置を確保できないくらいでした。

三男たちも同じ場所にやってきましたが、1時間ほどすると雲行きが怪しくなり始め、何も釣れないので昼食をとりに帰ることにしたのです。すると串本に近づくにつれて雨が降り出し、ついには豪雨となって、一同早く帰って良かったと胸を撫ぜ下したのでした。

オークに着いて、昼食をとったのはもう2時ごろ、私は少なめのオムライスで良いと思っていたけど、みんなが780円ぐらいの物を注文するので、私も負けじと同じ値段のオムライスドリアというのを頼んだのですが、それが間違い・・・晩御飯がお腹いっぱいで食べれませんでした。

             

三男たちが居ないので6日はハイゼットでの移動、この日にはY下君も帰るので、遠くには行けず再び大島港へ行ってみると、さすがに連休最後の日とあって、釣り客はさっぱりです。

             

駐車場も空いています。大裕丸のトラックも定位置に置かれています。
             
      

7時ごろに港に着き、1時間ほどはアタリも読み辛かったのですが、8時ごろになってやっと待望の1匹を釣り上げることが出来ました。勿論キープできるようなサイズではありませんが、ネコもサギも居ないので海に帰してあげました。それから1時間ほどは釣れ続いたのですが、Y下君は私が1匹目を釣り上げた頃から体調が悪いと言うことで車で休憩、9時ごろまでの好調な時間、彼は眠ってしまっていたのです。

             

9時を回って最後に釣れたのが一番上の写真のグレ、掌をいっぱいに広げたくらいはあったと思っていたところへネコがやって来ました。ネコにしては大きかったのか、いつもなら食べ終わればまたやって来るのに、この日現れたのはこの1回だけ、10時ごろになって戻って来たY下君、もう時合は終わってしまっていました。

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バーベキュー

2013-05-15 05:00:00 | 田舎

今年のゴールデンウィークは前半と後半に分かれた格好になったと言っていましたが、去年も同じようなもの、中3日の年休を取れば9日間は休めます。私は従来からそういう休み方をしてきましたが、働かなくなった今となっては、そういう心配も憧れもありません。今回などはGW前日の27日に帰阪し、28、29日とソフトボールの練習や試合で時間を潰し、29と30日は家でゴロゴロし、5月になってやっと姫へ帰ったという次第、10日の金曜日までそのまま居付き、土曜日にソフトボールの練習があるので10日に帰ったのですが、翌土曜日は雨でした。今年のGWは総体的に天気が良かったですね。

             

後半の連休が始まる2日に家を出ると言っていた三男、釣友のT中君と今年も一緒です。というより、三男にとってはT中君と一緒に来なければ乗る車が無いのです。てっきりT中君の仕事が終わって夕方に大阪を出ると思っていたら、夕方にやってきてそのまま釣りに出かけていきました。その後何時に帰って来たのか知りませんが、朝は家の中で寝ていました。

3日の夕方は6時前から久し振りのバーベキュー、牛の肉など食べるのは何日ぶりでしょうか。私は普段は鶏肉を食することが多く、次いで豚肉、牛肉などはあまり口にすることがありません。夜釣りに出かけると言う二人ですが、そのために買ったきたノンアルコールビールは二人とも飲みません。去年Cさんに貰ったビンビールがそのまま残っていたので、珍し気に飲んでいました。全部外国のビールのようなので、どのような味がするのかと少しだけ飲んでみましたが、どれも日本のビールと比べると甘いですね。

             

全部で8本もあったので、全部は飲み切れず、未だ半分冷蔵庫に眠っています。ビールを飲むとどうもお腹が膨れるので、私はあまりビールは飲まないので、今度彼らが来た夏まで残っているのでしょう。今回はT中君が例の焼酎を持って来てくれました。腐りはしませんが、私が飲んでしまうので、きっと夏までは持ちません。

             

暗くなって、斜め前の家の人が撃ったと言うシカの肉を持って来てくれました。私はもう酔っていたので味は覚えていませんが、みんな美味しいと言って食べていました。おそらく私も「美味い!」とか言って、焼酎が進んだことでしょう(酔っているので自分でも分かってない)。お蔭で串本のAコープで買った3パックの肉は2パック余ってしまいました。まぁ、次の日はY下君が来る予定でしたから、何とか食べることは出来たのですが、牛肉って案外たくさん食べれないものですね。

             

翌日はY下君がやってきたので4人で古谷魚店で食事、その翌日は三男達が帰り、今度はY下君とバーベキューをしていると、またまたシカのレバーを持って来てくれました。この味は覚えてます。牛や豚のレバーより淡泊な感じ、ちょっと食べ過ぎたかなと思うぐらい食べてしまいました。

それにしても又もや大阪市長、人権感覚の無い発言をしたものです。慰安婦は必要だった、いや今でも必要だと思っているらしい。戦争肯定派だからそんなことを言うのか、自分の奥さんや娘さんが慰安婦に取られたら、それでもいいという感覚なのか?発言しているところを見ていないので何とも言えませんが、この市長は思想調査問題に始まり、人権と言う文字が嫌いらしい、そんな人を市長に選んだ市民も情けない(自分も一市民なのですが)、さっさと大阪市民でなくなった方がいいのかなぁ。

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安指の地磯

2013-05-14 05:00:00 | 田舎

4月に大阪へ帰る際、安指の波止場を通り過ぎ、平見への坂を登っていくと左側(海側)にコンクリートで駐車場みたいなものが出来ているのに気が付きました。ここで工事をしていたのは知っていましたし、今までも車が停められていたり、道らしきものがあるのも知っていましたが、何故今更駐車場を造ったのかと思っていたら、実は階段も造られていたのでした。

             

地磯では釣りをしている人を見かけたこともあったけど、浅そうなので自分で釣りをしてみようとは思わなかったものの、階段や駐車場まで整備されるとなると、結構釣れるところなのかと思ってしまい、行ってみることにしました。

ここが新たに造られた駐車場、車は停められていないので駐車場ではないかも知れませんが、どうみても駐車場としか見えません。私が行った時はこのコンクリート敷きの場所の入り口には軽トラが停められていて、実際に車を停めることは出来ませんでした。

             

キャンプ禁止の立札までありますが、こんなところでキャンプをする人がいるのかと疑ってしまいます。ここから地道の下り坂がありますが、おそらく民家への私道だと思ったのでここを降りたのではありません。

             

遠方の景色を撮っても、手前にガードレールがあるので車が通れる道幅の道があるのがわかるでしょ。

                       

遠くから階段を確認していたけど、階段はこれだけ、海まで降りれるものではありませんでした。何のためにこのような階段をわざわざ造ったのか、よく理解できません。

             

階段の意味がイマイチよく解りませんが、利用してみました。確かに出来た駐車場に車を停めると、この階段を降りた方が降りるには早いのですが、入り口に車が邪魔をしていて停められないし、道路もあるのですから車で降りて来た方が早いのです。

             

42号線の下まで降りてきました。ここは以前大辺路を歩いた時に来たところでした。

             

磯まで降りてきましたが、やはり浅くて、大きな魚が釣れるようなところでは無さそうです。でも42号線を走っていると、ここで釣りをしている人をよく見かけます。降り易さが一番の動機かも知れません。正面が安指の波止場です。

             

こちらは和深方面、磯や浜を伝って海沿いに遠くまで歩けそうです。

             

この上に出来立ての駐車場や階段がありました。

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橋杭岩

2013-05-13 05:00:00 | 田舎

新装なった橋杭岩の道の駅、GWの後半しか知りませんが、駐車場はぎっしり満車ですが、橋杭岩が広いせいか、観光客でいっぱいだということは感じません。駐車場への入り口を狭くしたせいか、車が入り難く、入り口には警備員が配備され、行き交う車を停めてしまうので、ちょっとした渋滞になってしまっています。白浜方面からも新宮方面からも大きなカーブがあり、前方がよく見えないのでかなり危険です。特に白浜方面からの道は狭い上に90度ほどのカーブなので前方が見え難くて、ブレーキを踏みながら入らないと渋滞した車に追突する恐れがあります。入り口を広げて車を入り易くするか、手前で徐行の合図を送るかをしないと必ず事故が起こると思います。

             

橋杭岩はずらっと並んだ岩が有名なのですが、一つ一つの岩にも大きくて重量感のある岩は魅力的だと思っています。どうすれば一つの岩の重量感と同時に橋杭岩の連続感を写せるのか考えていますが、考えるより行動する方が勝ちですよね。写してみなければ分かりませんが、なかなか思ったようには写せないものです。

             

岩と岩の間に見える景色も魅力的だと思うのですが、初めて訪れる観光客がそこまで考えることはないのでしょう。何処に何が見えているのか知らないのですから。

             

私が訪れたのは5月2日、連休中ではありませんから車も少なく、何処にでも停めれましたが、連休中は大変でした。4日にY下君と行ってみたのですが、車を停めれたのは道の駅の建物の反対側の端の方、停めた時は遠いと思ってなかったのですが、車に戻る時に何処に置いたのか分からず仕舞い、とれとれ市場なんかよりずっと狭いのに、停めた場所を意識しなかったせいか随分遠い所に停めたのでした。

             

さて前に来た時には入れなかった道の駅の建物、今回は入ることが出来ました。1階部分は殆どがお土産、物産店、近くにある店に置いてあるものとさして変わりありません。こんなことでは以前有った人形や貝細工の土産物(いやげ物と呼ばれるらしい)屋よりはマシかも知れませんが、新しい建物が出来ただけということになってしまいかねません。

             

2階にはレストランでも出来たのかと思いきや、休憩所と展望所があるだけ、何か工夫が足りないような感じを受けます。やはり一度地震・大津波が来てから、つまり潰れてもいいものを造っておき、その後本格的なものを造ろうと言う考えでしょうか。

             

2階から見る風景はこんな感じですが、平地から見るのとあまり変わり映えしません。満潮でない限り訪れた人は岩場に降りますが、橋杭岩は連なった岩を見るより、自然と触れ合う場なのかも知れません。

             

木の香りが残る休憩室、串本町内の有名スポットの写真が掲示されています。

             

橋杭岩の一つ一つに名前が付いています。沖の方から一ノ島、一番陸側が元島となっています。昔のことですが、私こう見えても一ノ島に乗ったことがあるのです。

             

2階から眺めた串本大橋、手前には橋杭漁港、橋の下には出雲の双子島の灯台も見えています。

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4月の姫

2013-05-10 05:00:00 | 田舎

3月に来た時から咲いていたレンゲの花、今年の花は大きめやなと思っていました。その時は写真に撮らなかったので、一旦帰って再び来た時にレンゲが咲いているか心配していたけど、田んぼには未だ残っていたので写真に撮っておきました。春の田んぼにはレンゲ、これが定番です。もうその頃から水を張ってある田んぼも有り、未だこれからという田んぼもありました。

             

その時に気になっていたのが、この道に掲げられた看板、“この先、通り抜けできません”と串本町が表示しています。この道の入口には“重畳山登山道”の標識もあり、何処か山崩れして通れなくなっているのかと気になります。この道を姫川の集落に抜けて行くと、重畳山への道があり、姫川のお滝さんへの道があり、橋杭にも行けるし、袋港への大辺路の道があるのです。

       

どうなっているのかと山の方へ歩いてみることにしたのです。家の前の田んぼは水が張られてなく(今も張られてない)、マメ科の植物みたいな花が一面に咲いていました。

             

すると、200mも歩かないうちに同じ看板が反対向きに立てられています。つまり、私の家の前を含めて僅かな距離の間が通り抜けできないと言うことになっているのです。いや全然通り抜けできないことなどありません。以前と同じような状態なのに、何故このような無責任な看板が立てられたのか(現に今も立っています)、初めて通る人など滅多に無いとは思うけど、もしも重畳山の登山道の標識を見た人が通ろうとしたら、ここでハタと困ってしまうでしょう。

             

このまま海林寺の方へ歩いて行きました(地図ではこの道も大辺路になっています)。春の野道には黄色い花がいろいろ咲いています。

             

姫川を隔てて家の反対側、天満神社の鳥居も見えています。当時は水が張られていた田んぼ、5月に入った現在は田植えも徐々に進んでいます。

             

ぐるっと一周回って旧道沿いのサクランボの木、去年のように実がいっぱいなっているのか気になっていました。

             

当時はまだ熟した実は少なく、これからと言う感じ。

                       

帰ってきて我が家のサクランボ、実は一つもなっていません。花も4~5輪しか咲いていなかったので、受粉しなかったのでしょう。背丈は伸びているので、葉が虫に喰われないように注意しながらもう数年様子を観たいと思います。

             

現在はいっぱい花を付けている黄色い花、この頃は未だ2~3輪しか花を付けていませんでしたが、夜になるとしぼむのです。

       

朝になって陽が当たりだすと開いてくるのが面白くて、対比して写真を撮っておきました。

             

旧道沿いの一軒の家、4月に到着した時にはフジの花が咲き誇ってきれいでした。去年も同じように感動したのですが、写真を撮ろうと思っているうちに全部花を切ってしまっていました。

             

今年も暫くすると花を切ってしまっています。花弁が散って汚くなるからなのか、何処かに売ってしまうのかよく解りませんが、すぐに切ってしまうならこのような棚にしなくても良いのにと思うのです。


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田原の大辺路

2013-05-09 05:00:00 | 田舎

一昨日、国民栄誉賞を受けた元G軍の松井秀喜選手についてのNHKの放送を見たのですが、松井選手が謙虚に生きてきたことを手本にする人がいるという内容でした。どうも長島選手と同時に受けるという、可笑しなタイミングを補うような役割でもしているのではないかと穿った見方をしてしまうのですが、松井選手を見て自分も頑張らなければならないということを主眼に於いた放送はそれは違うやろ!と言いたくなるようなものでした。松井選手はプロ野球選手と言う労働者としての側面と、自分の力で稼ぐ個人事業主と言う側面を持っています。松井選手が持っている謙虚な面は良いとしても、彼は年に何億も稼ぐ存在なのです。それを維持しようと努力するのは当然だと思うのですが、一般的な労働者はいくら努力したとしても年に何億も稼げることは絶対にありません。恰も誰でも努力すれば松井選手のように稼げると思いこませるようなマスコミとしてのNHKの姿勢は、とんでもないと思うのです。自分の信念を拠り所に一所懸命生きている人は多々います。そういう人を取り上げずに国民栄誉賞を得たからと言って、タイミングの可笑しな受賞時にこのような放送をするのは、阿倍総理の思惑に沿うものであり、バカな内閣総理大臣の支持率を高めるための放送であることを認識して欲しいけど、知っていて放送している確信犯であることには間違いありません。

ところで和深から始めた大辺路探索、前後しながらも安指、田子、田並、有田と歩いて、袋から姫川を経て橋杭に抜ける道は昔通ったので割愛し、姫から古座間もよく知っている道なので探索することもなく、古座から田原へは虫喰岩を経て佐部へ抜ける道を当時は車でしたが紹介しました。突然浦神まで行き、少し戻って清水峠を歩いたので田原から清水峠入口間が抜けてしまっています。古座から田原までは津荷を経てほぼ42号線沿いに海岸を歩くコースもあるようですが、歩道の無い42号線を歩くのは危険なので止めておきました。

             

古座川町役場から山へ入り佐部を通って田原へ抜けてくるとこの信号に左奥の道から辿り着きます。田原の港から田原川と紀勢線に挟まれたようにある42号線を歩くとこの信号の手前になり合流するのです。

地図ではこの信号のところに堂道というバス停があり、その傍らに道標地蔵が立っていることになっていました。

             

なのでバス停まで車で来て、その辺りに車を停めて、少しだけ歩くことにしたのです。田原川から下流方面の眺め、この左岸にも道があり、地図では大辺路はその道を辿ることになっていました。

             

地図の通りに堂道のバス停があり、その傍らに祠が有ります。

                       

車が結構通るのでおちおち座って写真を撮ってる場合ではありません。簡単にシャッターを押すとエライ歪んでしまいました。この地蔵には“右ハくまのみち 左ハざいごみち”と刻まれているらしいと地図にも想像で書かれていたし、実際には赤い前垂れを着けているので何が刻んであるのか分かりません。

             

ここでやっと大辺路の案内札を見つけました。この先の赤い道を下っていき、国道の下を潜って左側に出るようです。荒船ハイキングの道標もあるのですが、荒船海岸から山を越えて42号線側に出てくるハイキングコースもあるとのことですが、景色の良い荒船海岸から車の通る42号線まで歩いて来て、国道沿いに歩いて帰るなんて邪道でしょう。私なら海岸を往復することを考えます。

             

国道下のこのトンネルを潜ると地図では湿地帯となっていました。

             

この右側の細い道を歩いていくのですが、写真では見え難いのですが、前方に耕運機らしきものが道を塞いていたので、もうここからは進みませんでした。この先はすぐに42号線と合流し、清水峠の入口まで歩かなければなりません。堂道のバス停で見た笠模様の案内札が串本町内で見る最後のものだったかも知れません。那智勝浦町に入ると全く違った道標に変わってしまうのです。

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木葉神社

2013-05-08 05:00:00 | 田舎

田原のねんねこ祭というのは観光パンフレットやポスターではよく見かけるので知っていました。その祭りが木葉神社で催されることも知ってはいましたが、その神社が何処にあるのかは何も知らなかったのですが、紀伊田原駅の真横にあろうとは・・・神社が駅の真横にあるのも珍しいのですが、探すのに何の苦労も無かったのはラッキーでした。でも木葉神社を探していたわけではなかったのです。

             

たまたま木葉神社を見つけたので、取材してみようと思っただけだったのですが、ねんねこ祭というのは毎年12月の第一日曜日に行われるとのこと、全く季節が違っていました。木葉神社のホームページを見るとお祭りは1月に集中しています。

碑には村社となっていますが、市町村制が施行されて田原村が誕生したのは明治22年だとか、そう考えると古くからある神社ではなさそうです。おそらくそれ以前からこの地区には人が住んでいて、村があったのでしょうが、いくら調べてもそれ以前の資料は見つかりません。

             

それでも県指定の無形民族文化財に指定されているようです。

             

駅が何処にあるのかも知らなかったのですから、古座周辺は詳しいつもりでも荒船海岸以外は田原については殆ど何も知らないのですが、子供の頃よく遊んだとはいえ、一駅向こうの田原の地は遠いものだったのです。ましてや大阪側では無く、新宮側なのですから通り過ぎることもほぼ無かったのでした。

       

子供の成長を願う神社のようですが、それに相反するかのような一つの物騒なものがありました。日露戦役記念だとかですが、金属と見るや何でも没収した太平洋戦争の鉄不足の折にも軍に提出しなくて済んだのでしょうか。

手前が本殿、社はありません。真ん中の赤いのが若宮社、左側が金毘羅神社です。

       

本殿の扉に掛かっているよだれかけは絵馬の代わりなのでしょうか、奉納されているものなのでしょうか。右は少し離れた所にあった八幡神社。

             

この『ご由緒』を読むとこの神社は“祢んねこの宮”と呼ばれていたことが解ります。文明三年に罹災し、それ以前の資料は殆ど焼けてしまったとあります。文明三年は1471年ですから、応仁の乱の真っ最中、神社の歴史はとても田原村が出来た明治22年どころではありません。焼け残った古文書があったのでしょうか?『不寝児為寝宮』の字が残っているようで、「ねざるこねさすのみや」と読むんだとか、寝る子は育つという意味からもこのお宮が子供の成長を願う場となったようです。

             

串本町指定の天然記念物のワシントンヤシとオガタマノキですが、昭和49年に指定されたと言うのが納得出来ません。昭和49年当時この田原地区は串本町では無かったのですから、串本町が昭和49年に天然記念物に指定する訳がありません。きっと串本町になる前の古座町が指定していたのでしょう、串本町が指定したというなら合併した平成17年以降でなければ辻褄が合いません。

                       

それにしてもワシントンヤシの背は高い、20m以上あります。オガタマノキというのは背後の大きな新緑が眩い樹のことでしょうか。傍に忠魂碑も建っていました。

               

四角いコンクリートで囲まれ玉石を敷かれているのは、ねんねこ祭で朝日を観る遥拝所、本殿からここまで200mほど、それをゆっくり1時間ほどもかけて歩くとか、12月の第1日曜と言えども朝は寒いでしょう。

神社の敷地内の左側にあったイチョウの木が目を惹くので、どんな木なのかと外周をぐるっと回ってみると、千手観音の手のような枝ぶりでした。

             

木葉神社という名の通り多くの木が植わっており、鬱蒼としています。ねんねこ祭というのを一度見学したいものです。

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紀伊田原駅

2013-05-07 05:00:00 | 田舎

串本町内にあるJRの駅は西から和深・田子・田並・紀伊有田・串本・紀伊姫・古座・紀伊田原と合計7つあり、紀伊姫駅は勿論のこと、串本駅以西の4つの駅は紹介してきました。今回紀伊田原駅を記事にするので、残るは古座駅と串本駅の二つ、どちらも駅員がいる駅なので簡単にホームに上がることは出来ません。まぁ串本駅のホームには何度も上がっているのですが、駅を紹介するような写真を撮った覚えがありません。古座駅にしても大昔に一度載せたことがあるのですが、今でも拙いのにその上をいく拙さ、いずれにせよ串本駅も古座駅も性根を入れて取材しなければなりますまい。

             

熊野古道・大辺路を尋ねるウォーキングを楽しんでいる私ですが、どうも42号線を歩くのは苦手です。紀伊田原から紀伊浦神まではおそらく4km以上あり、大辺路は清水峠へ分け入る道までその殆どを42号線上に重なっているのです。それでも紀伊浦神駅を紹介したのですから、紀伊田原駅を飛ばすわけにはいきません。一応紀伊田原駅を見てみようと清水峠からの帰りに寄ってみました。

紀伊田原は「たわら」と読むのではなく、「たはら」と読むようですが、「は」は往々にして「わ」と読むことがあるので、「たわら」と呼んでもいいのかも知れません。でもひらがなで書くと「たはら」なのです。

             

ところが紀伊田原駅って何処にあるのか、山の方へ歩いて行っても線路も無いし、駅もありそうには見えません。結局この日は駅を見つけることが出来ず、一旦家に帰って地図を見て、違う日に出直したのでした。山の方へ歩けば線路に到着すると思っていた山は、線路のある西の方の山では無く、南の方の山だったことが分かったのでした。

       

紀伊田原駅も電車が行き違いできるようになっています。こうして見ると単線の駅は田子駅と紀伊姫駅だけとなり、なんとそんな希少価値の有る(ひょっとしたら無い)駅がある地域に私は住んでいるのかと今更ながら愕然としているのです。3枚目の写真、駅構内に何故か新聞紙が敷かれており、何なん?と上を見上げてみると・・・

             

天井の蛍光灯にツバメの巣が造られています。新聞紙を敷いているということはツバメが飛んできて、フンを落とすからということなのでしょうが、この日ツバメを見たわけではありません。どう考えてもJRの職員がこの駅に新聞紙を敷いたとは思えないので、この付近の方が、床を汚さない、フンを踏まないようにとの配慮なのでしょう。

             

付近を歩いていると結構多くの民家があります。田並で見た南海沖地震では役に立ちそうにも無い津波避難施設がありました。姫地区にはこのような施設は無く、差別されているような気がしないわけでもありませんが、結局役に立たないのなら税金の無駄遣いに加担することもないし、必要もありません。

             

『FOR SALE』と書かれた空家、巨大津波が押し寄せれば飲み込まれることが確実なこの田原地区では買う人も居ないのでしょうが、随分おんぼろな家の割には屋根がやけに立派です。

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道の駅 『くしもと橋杭岩』

2013-05-02 05:00:00 | 田舎

昨年の10月に始まっていた橋杭岩での工事、2月には外観が出来ていましたが、もうそろそろ完成です。というより、先月行った時は未だオープンしていませんでしたが、きっと大阪に帰った翌日27日にオープンしたはずです。約7ヶ月というスピード、ゴールデンウィークに間に合わせたのでしょう。

             

建物だけではなく、駐車場も変わりました。入口が狭くなり車を沢山停められるようになりました。

             

弘法大師と天の邪鬼が大島へ橋を架ける伝説の話も新しいものに掛け替えました。

             

さてノートが無くなって久しい紀伊姫駅ですが、今回はこんなものが置かれていました。

             

設置されたままになっている乗車駅証明書発行機の上です。この小さな駅に何かを置いておくにはこの上以外に考えられません。

      

観光パンフレットというタイトルが付いていました。なのでJRが置いたものかと思ったのですが、“寄贈 水・土壌汚染研究会”と書かれています。寄贈となっていますからJRにあげたのでしょうか、それならノートのようにJRが勝手に撤去することはありますまい。でも何処の駅に置いている様子もありませんし、置かれているのが何故紀伊姫駅なのでしょう。綴られているのは殆どが『紀州浪漫』という和歌山県観光連盟発行の本でした。

             

何故かこんな鉛筆が数本、捨てられたものなのか、忘れ物なのか・・・どちらにしても“和歌山県警察少年指導委員会”のネーミングが泣きそうです。

             

駅裏の田んぼ、4月の早い段階で水が張られていました。姫地区では未だ水を張ってない田んぼも見られます。

             

同じ日ではありませんが、白いサギが2羽飛んできていました。海で見るサギより小さめですが、しきりに田んぼをつついています。何かエサになるものが居るのでしょう。それにしてもノロマで臆病なサギが自分でエサを獲ることが出来るのでしょうか。

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