ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

下里への道

2013-05-27 05:00:00 | 田舎

大泰寺を後にして歩き始めたのが11時半ごろ、下里駅を目指して太田川の右岸に沿った県道を何処かに食事が出来る所が無いかなと探しながら歩きます。左岸の方は太田川から離れて42号線まで無駄足を運ばねばならないし、Googleの地図では県道沿いに3軒ほど食堂らしき名称の店が載っていたのです。

             

歩き始めてすぐにこの看板、結構大きなもので、遠くから“やど”の文字を見て何処かの宿の看板かと思っていました。和歌山の人は面白いですね、そこは“やど”ではなくて“やぞ”でしょ。方言は口で言うだけに留まらず、文字で書いても訛ってしまうものなのでしょうか。“あかんげ”の“げ”って何?これも訛りなのか、私はそういう言い方は知りません。しかしこの看板は誰が掲げたのか、自治体ではないことは明白ですが、土地の所有者でなければ、これこそゴミそのものです。

       

確かに看板のある所の山側(看板は川側に設置されている)にはテレビが捨てられていました。
所々に竹林がありましたが、もうタケノコの季節は終わっていて、掘れそうなのを見つけたのは一つだけ、後は皆背丈ほども伸びています。面白いのは上の方だけ切ってあるタケノコを見受けるのですが、大きくなっても上の方は食べられるのでしょうか?

             

山に向かって緊急避難場所の表示、旧お寺跡地と書かれていたし、登れ易すそうだったので、興味もあって登ってみました。

       

坂の途中で、三界万霊等の石碑と六体のお地蔵さんが有りましたが、確かに建物は一切有りません。お墓があちらこちらに有り、整然としていませんが、古いものや未だ建てかけのお墓まであります。

       

ここがお寺であった事を証明するかのようにいろんな供養塔やお地蔵さんがあちらこちらと並べられています。どうせならお寺の名前を書いておけばいいのにと思ったのでした。5分ほど見て回り県道に戻ります。この県道、当初踏み入れた時は車が何台か通ってイヤやなと思ったのですが、それ以降さっぱり車は走って来ません。

             

暫く行くとまた緊急避難場所の表示、このように民家や畑の所有者の名前まで書き出していますが、旅行者には絶対に判りません。後ろは八咫烏神社、ここは八尺鏡野という地区、42号線の太田川の手前に八尺鏡野という信号があり、何と読むのかと思っていましたが“やたがの”と読むようです。書き難いからなのか咫の字は使わず、尺という字で誤魔化しています。

             

太田川が見える所まで来ました。清流と呼ぶほどではありません。ここから川と道はまた離れていきます。

             

Googleの地図に載っていた『れんげ亭』、確かに食堂のようですが休みです。この日は木曜だったのですが・・・定休日なのか、客が来ないからなのか。この時点で12時を回っています。もう一つの『あづみ野』は見つけられず、『ほんまもんの館』は木製品の展示場のようでした。

             

とうとう八尺鏡野の信号まで到着、まっすぐ海の方へ行っても何も無さそうなので、42号線に沿って下里の中心街を目指します。遠くからオークワの看板が見えるので、適当に路地を歩いてオークワに到着。食堂でゆっくり食事をしたかったのですが、オークワなら最低パンは売ってるやろうと思って来たのですが・・・

                       

破産宣告を受けていました。それなら何故串本のオークワは営業しているのでしょう。破産管財人はさっさと看板を「外さんかい!!」と言いたい、そうでなければ私のように何か買いにやって来る旅人も居ることでしょう。

             

この後、下里駅の方へ何か食べさせてくれる店はないかと探したのですが、到達したのは駅の裏側、全く何も有りません。また戻ってきて、串本のAコープの前にあるのと同じ名前のパン屋が、潰れたオークワの傍にあったので、最初はやってないと思ったのですが、行ってみると開いていたのでパンと紅茶を買い、オークワのベンチに座って昼食にしたのでした。破産管財人も店の外にあるベンチに座るなとは言いますまい。もう12時半を大幅に回っていて、食事にしたいなぁと思い始めて1時間も彷徨い歩いたのでした。

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