ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

ぶつぶつ川への道

2013-05-28 05:00:00 | 田舎

昨日、食堂を探していた時に“何か食べさせてくれる店は無いか”と探したと書いたのですが、普段はそう使ってるけどおかしくないですか。“店は有るか”と思って探さなアカンですよね。“店は無いか”と思いながら探すなんてヘンでしょ。

もう4年ぐらい前になりますか、下里にある川が日本一短い川として認定されたと言うニュースを見ました。いつか行ってみようと思っていましたが、地図には載っていないので何処にあるのかよく判らず、新宮や宇久井へ行った際にも寄ってみることはありませんでした。今回は浦神から下里まで歩いてきたので、絶対に見つけようとの強い思いで探そうと歩いてみました。街には何処にも日本一短い川の掲示がありません。古座観光協会で貰った『熊野体感ウォーク』というパンフレットの地図に海沿いの道を西南方向へ歩くようになっていました。

             

潰れたオークワでの昼食後、JRの踏切を渡り、42号線より海側の道を歩きます。5分ほど歩くとキリスト教会が有りました。パンフレットにも載っていた西村伊作が設計したという教会です。西村伊作と言われても誰なのか知りません。新宮に有った西村記念館と関係があるのでしょうか。関係が有るのか無いのか、説明が無いのでさっぱり分かりません。分かるのはこの地方では西村と言う苗字の有名な人が居たんだということだけ。

       

そんなに有名な設計家でも私が見る限り、ひしゃげた建物のように見えます。このように見えるのはカメラのせいではありません。この教会の会堂は古座にも有るのですね。キリスト教会なのに牧師の名前が本宮なんてヘンですよね。

             

太田川の手前のAコープ、42号線から見た時はエサ屋かと思っていました。写真では見えませんが玄関と側面の窓ガラスに“Aコープなら下里店”と書かれていて、土日は休みだし、10時から5時までしかやってないしと「何が“Aコープなら下里店”だ!」と思っていました。今、しげしげと写真を見ていたら“なら”ではなくて“なち”なのに愕然。ひらがなだけ小さく書いてあるから見間違ったのだ!“なち”なら“那智”と漢字で書いて欲しいものです。

             

橋の上から見た太田川河口、右に小さく見えているのが立岩、今日のトップ写真、望遠でアップしました。

             

この道は太地港まで続いているのですね、一度車で走ってみたいものです。

             

街の所々にある案内看板にあった懸泉堂、すぐに見つけることが出来ました。佐藤春夫の父・佐藤豊太郎という人が文政6年(1823年)に建てた、地元の医療・教育に心血を注いだ場所だとか。

       

残念ながら(佐藤春夫も豊太郎も知らないのに何が残念なのか)入ってはいけないようです。でも佐藤春夫自身はこの懸泉堂との直接的な関係は無いようです。

             

懸泉堂の先に佐藤春夫の墓があるというので、探そうと思います。でもこんなにたくさんの墓がある墓地、見た途端に探究心は萎れてしまいました。まぁ佐藤春夫などよく知らないのですから、当初から目的にはありません。奥に見えているのは下里小学校。

             

墓地を見渡している祠。

             

こんな所に大辺路の道標がありますが、この『ふところ山』は地図に懐山とあり、海側にあるので、矢印の向きが反対です。もう1時になっていてクタクタ、大辺路を歩こうとは思いませんでした。

             

そのまま道を進んで行くと玉ノ浦海水浴場まで出てきました。ここは粉白という地区、42号線を走ると見えています。

             

ここでやっと見つけました。『ぶつぶつ川』が日本一短い川の名前でした。

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