ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

神戸市北区役所

2008-12-10 04:30:00 | 神戸にて
鈴蘭台に来て久しくなりますが、田舎の記事が多くて、今日の事を紹介している頃には、鈴蘭台を後にしているかも知れません。

職場の人に頼まれて北区の地図を貰いに北区役所に行ったときのお話しです。

       

12月に入って何処も此処もクリスマスの様相が濃くなってきました。

       

ここは鈴蘭台駅から北市役所に行く途中のちょっとした広場です。
この汽車は『北区連合婦人会号』と言うそうです。
トナカイもいます。

       

一応駅を模っていまして、『クリサンセマムストリート』という訳の解らない名前が付いています。鈴蘭台も区役所も歩いてすぐのところにあるのです。

地図を頂きに行くのに、まっすぐこの道を通れば良かったのですが、一応仕事を終えて、鈴蘭台西町5丁目から、方角を頼りに区役所に向かったのでした。

       

一度谷を降りて、方角的に行けると思った方へ歩いたのですが、この階段がありました。これは上から撮っていますが、一旦登ってどうもオカシイので、歩いてきた学生に聞いたのですが、この階段を登ってきたのは間違いで、もう一度降りないといけないらしい。

おそらくこの階段は、付近の住人は使っていないのではないかと思われます。この階段が無かったら、私も登ることが無かっただろうにと、取り越し苦労に体も心も疲れます。

       

最初からこの坂道を登っておればと思うのは後悔で、先にたつものではありません。

       

線路沿いにも『クリサンセマムストリート』の文字が・・・鈴蘭台駅から区役所までがそう呼ばれているんですね。

暫く歩いていたら気が付きました。

       

『クリサンセマム』は菊の学名、そして菊はこの北区の花なのでした。
北区のタを抜けばキクになるからでしょうか?

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古座の街 オマケ

2008-12-09 04:00:00 | 田舎
上野山の分譲地から降りてくる途中、右側にある白い看板が目に付いたのでした。

       

「ごみを捨て 良心捨てて 一目散」で切れるのでしょうが、上野山が続いているように読めて、そんなところが上野山ですよ、と説明している風に読み取れます。

面白いキャッチフレーズなのに、もう一工夫欲しいものです。

ところで、左に乗り捨ててある車の持ち主も一目散に逃げた後なのでしょうか?

       

駅の方から今修理中の古座橋を渡りきって、階段を下りた所にあるウナギ屋さん、秋休みに来た時、お昼に食べてみようと思って訪れたのに品切れでした。

       

この時4時過ぎ、まだ暖簾は架かったまま、換気口からはウナギを焼くタレの焦げた香りが食欲をくすぐります。

しかし、古座川で捕れたウナギを使っているのでしょうか?
如何にもウナギが捕れそうな川なのですが、ウナギを捕っている現場を見たことがありません。

子供の頃、石を積んでウナギの隠れ場を作り、翌日そっと覗いたりしたのですが、積み方が下手くそだったのか、ウナギの姿を見たことがありませんでした。

今は当時よりウナギの石を積んでる量が増えたように感じているのですが、さもカムフラージュしているのではないかと、疑ってしまうのです。

良い香りに誘われながらも、当日はウナギを食べませんでした。

       

何故なら当夜ここで石鯛の鍋をいただくことになっていたからでした。




先に見ていた鴨の群れとは反対側の岸の鴨たち、仲良く泳ぎ回っていました。戦闘機の編隊のようにも見て取れます。

今回の釣行はこれで御仕舞い、釣りより他の話が多くなってしまいました。

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善照寺

2008-12-08 05:10:00 | 田舎
山へ迷った階段より古座側手前に、古めかしい塀があったのですが、中にたくさん人がおられたので、帰りに寄ってみようと思い、戻ってきました。

善照寺という名のお寺でした。

       

前の道が狭いので、山門もこのように撮ることしか出来ません。

       

この案内板はきれいですから、串本町によって新たに作られた物なのでしょう。
この文を読むと、平安時代の阿弥陀三尊像が、どのようにして戦国時代以降に出来たこのお寺に置かれたのか、そこらが解りませんが、そのことの解明が必要なように思えてなりません。国指定の重文ですから、なおさらのことです。

まぁ、カンカン谷も何処にあるのか知りたいものですが、簡単に書かれていますから、この近辺にあることは間違いないでしょう。

       

近年に見られないような欅の名木は、何処に使われているのでしょう?
この案内板は却って謎を深めるばかりです。

       

境内も狭くて、この角度でしか全体像が撮れません。

それにしても、この紀南の平和そのものの地が、小山氏高川原摂津守や雑賀党の何某とツワモノ共の名が残ってる位ですから、あながちキュウリを食べない話も信じられない話ではないのかも知れません。

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古座神社

2008-12-05 05:00:00 | 田舎
古座の街を探索している途中で迷った挙句、津荷の漁港まで行ってしまいましたが、山へ入った階段を上がらずに、先へ進むと神社があった筈なので、古座川病院から古座大橋への袂の信号を右へ入り、探索し直しです。

       

古座神社とありますが、鳥居と比べると標柱が新たしい気がします。

       

正面に祠が二つ並んでいます。右の祠の裏は山へ登っていける階段が付いていますが、通ってはいけないようです。疲れていたので登る気力もありませんがね。

       

右に本殿でしょうか、七五三に訪れた人の写真が貼ってありました。

       

表にこの神社の説明が書かれていますが、文を読むと理解が進みません。
住吉の神の社殿なのです。河口ですから海を祀っているのですね。

現在鎮座している『わたつみ神社の中』というのは、何処にあるのか、それが知りたいものです。ここは古座神社という名称なのですから。

この説明板、よく見ると手抜きです。遠くからは判りませんが・・・

       

古座という字を消して、串本と上から書いてあります。

       

42号線の下から写した古座神社、反対側は海に出られます。
この小山にウバメガシが200株群生しているのですね。

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古座川病院の前

2008-12-04 06:20:00 | 田舎
津荷の石切岩のカーブを曲がると古座大橋の赤い鉄橋が見えてきます。
その手前に古座川病院があり、また手前に動鳴気漁港があります。

       

この日は日曜日だったので、動鳴気漁港の外波止でも、この地磯でも結構な人数の人たちが釣りを楽しんでいました。

この地磯では釣り人は写っていませんが、こちら側から見た串本大島を撮ってみました。樫野埼は姫側から見るのとあまり変りません。

最初の写真が古座川病院です。

       

この病院の前に九龍島の案内板が立っていました。
このような所より、神野川の辺りのほうが景色としてはポピュラーなような気がします。

       

手前にはテトラがあり、向こう側には大島があるので、ここからは九龍島のイメージは良くありません。

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古座の街 Ⅱ

2008-12-03 05:10:00 | 田舎
もう少し海側に歩いて行くと、又山へ登る階段がありましたが、左右2本、どちらかがこの古城山の古城に行き着くのでしょうね。

      

中世からこの辺りは小山氏や高川原氏という豪族が居たのですね。全く知らなかったのですが、この辺もゆっくり来たことがありません。

よく解らないので左の階段を上がっていきました。

       

すると苔生した熊野古道に匹敵する道も現れ、期待を持たせます。

       

しかしあるのは、このような墓やちょっとした畑ばかり・・・城跡はありません。
間違ったかなと思っても引き返すような気持ちにはなれません。このまま進むしかないでしょう。

       

途中で海が見えたのですが、どの辺りなのか見当がつきません。

       

突然大阪や兵庫でも見られるような、郊外の住宅街に出くわしました。来たことはありませんが、上野山という所だと察しはつきました。

あとは下りだけでしたが、結構歩きましたよ。

       

津荷の海に出てきました。予想はしていましたが、歩いて帰るのはアホみたいやなぁと思いながら、仕方ないので歩いて帰りました。

       

この急カーブの所に石切岩と呼ばれる大きな岩があるのですが、降りてみるとたいしたことはありません。

       

ですから、このように古座川の案内を標しているのでしょうね。
以前、カモシカが脱出できないでいたのは、この辺りの山側ではなかったかと想像されます。

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古座の街

2008-12-02 05:10:00 | 田舎
西向の家の方から岩淵の踏切を渡ると、ここは新宮保健所・串本支所です。以前は古座支所だったのでしょうね。

駅の方に向かってAコープに行けばいいのに、ヒマだったもので古座の街に行ってみました。古座の昔からある古座橋は耐震強度の補強ということで工事中でした。

       

改めてこうやって見ると全く紅葉が見られない古座地方です。

       

鴨が沢山泳いでいるのですが、左岸ではかたまって日向ぼっこです。

       

鴨が日向ぼっこしていた所は、街から見るとこんな所です。
左の家は友達が住んでいた家ですが、今は表札が無かったので未だ住んでいるのかどうかは判りませんでした。

       

ここら辺りではこんなシールが彼方此方に貼られていますが、未だ有効なのでしょうか。もう古座町はありません。

       

ここで何やら山へ登っていく階段があるので、神社でもあるのかと思い、近づいていきました。

            

かなり急な階段で未だ左へと階段は続いていたのですよ。

でも登りつめてみるとただの民家でした。それにしてもただの民家の割には階段など付けて大変ですね。

       

ただこんな景色を見ることが出来ました。西向の家からは全く逆の風景になります。

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昔の遊び場 Ⅲ

2008-12-01 20:00:00 | 田舎
以前、昔の遊び場として記事を綴ったことがありました。

当時よりもう少し大きくなった頃、ここでも泳いだりした記憶があります。

「イワバナ」と読んでいましたが、岩花なのか岩鼻なのかは判りません。

道路の左側に樹があるのですが、その辺りで水遊びの合間に野球をした記憶があります。

       

広場といえばこの建物が無ければ、小さい頃のことですから、三角ベースの野球は出来ます。
だけど、ここではないような気がします。

       

樹がたくさん植えられているのですが、どうもここで遊んだような記憶があるのです。
樹は私共が遊ばなくなってから植えられたのかなぁと思うのです。

       

古座川が海から見て、初めて左折するところ、ここは今樹があって、泳ぐどころではありませんが、ここにポツンと岩が出ていて、飛び込めるようになっていたのです。だから「イワバナ」は、岩鼻が正解かも知れません。

       

ここから海側を眺めた風景、あの鉄橋の下で泳いでいたのですが、ここまで来るのは、当時は遠かったのですよ。

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