昨日の鳥居を山門側から見たものですが、拝殿までは遠いように見えます。
この写真を見ると、湊川神社では紅葉はしてないように見えますね。
境内には楠正成の一代記が絵と共に説明されています。一番右の大きい絵は横山大観のものを写したものです。
この湊川神社の一角には水戸光圀が建立したと言われる楠正成の墓碑があるのです。
ここがその碑を納めた祠、この中に光圀筆と言われる『嗚呼忠臣楠子之墓』と彫られた碑があるのです。
まぁ、鎌倉幕府によって虐げられた天皇が、その権力を自分の手に取り戻そうと考えるのは別段有り得ることで、その天皇を助けようとした所謂『悪党』楠正成の考えも解らないでもありませんが、それによってやはり正三位の位を得たのですから、神様とも言えますまい。
そうです、湊川神社の祭神は楠正成なのです。古代から伝わる神ではなかったのですね。
そして黄門様=水戸光圀の像、全国を漫遊したという黄門様一行ですが、実際には光圀は水戸を離れたことが無かったといいますから、ここには来ていないのでしょうね。
TVの黄門様のような立派な縮緬問屋の服装ではありません。どちらかというと老子・荘子を思わせる容貌です。
ここにも光圀公がこの地に来たとはありませんし、その頃には未だこの湊川神社は出来てなかったのです。
多聞通りを挟んで見た湊川神社、門前に置かれてる御神灯は以前来たときは境内の中にあった記憶があります。
この写真を見ると、湊川神社では紅葉はしてないように見えますね。
境内には楠正成の一代記が絵と共に説明されています。一番右の大きい絵は横山大観のものを写したものです。
この湊川神社の一角には水戸光圀が建立したと言われる楠正成の墓碑があるのです。
ここがその碑を納めた祠、この中に光圀筆と言われる『嗚呼忠臣楠子之墓』と彫られた碑があるのです。
まぁ、鎌倉幕府によって虐げられた天皇が、その権力を自分の手に取り戻そうと考えるのは別段有り得ることで、その天皇を助けようとした所謂『悪党』楠正成の考えも解らないでもありませんが、それによってやはり正三位の位を得たのですから、神様とも言えますまい。
そうです、湊川神社の祭神は楠正成なのです。古代から伝わる神ではなかったのですね。
そして黄門様=水戸光圀の像、全国を漫遊したという黄門様一行ですが、実際には光圀は水戸を離れたことが無かったといいますから、ここには来ていないのでしょうね。
TVの黄門様のような立派な縮緬問屋の服装ではありません。どちらかというと老子・荘子を思わせる容貌です。
ここにも光圀公がこの地に来たとはありませんし、その頃には未だこの湊川神社は出来てなかったのです。
多聞通りを挟んで見た湊川神社、門前に置かれてる御神灯は以前来たときは境内の中にあった記憶があります。