山へ迷った階段より古座側手前に、古めかしい塀があったのですが、中にたくさん人がおられたので、帰りに寄ってみようと思い、戻ってきました。
善照寺という名のお寺でした。
前の道が狭いので、山門もこのように撮ることしか出来ません。
この案内板はきれいですから、串本町によって新たに作られた物なのでしょう。
この文を読むと、平安時代の阿弥陀三尊像が、どのようにして戦国時代以降に出来たこのお寺に置かれたのか、そこらが解りませんが、そのことの解明が必要なように思えてなりません。国指定の重文ですから、なおさらのことです。
まぁ、カンカン谷も何処にあるのか知りたいものですが、簡単に書かれていますから、この近辺にあることは間違いないでしょう。
近年に見られないような欅の名木は、何処に使われているのでしょう?
この案内板は却って謎を深めるばかりです。
境内も狭くて、この角度でしか全体像が撮れません。
それにしても、この紀南の平和そのものの地が、小山氏や高川原摂津守や雑賀党の何某とツワモノ共の名が残ってる位ですから、あながちキュウリを食べない話も信じられない話ではないのかも知れません。
善照寺という名のお寺でした。
前の道が狭いので、山門もこのように撮ることしか出来ません。
この案内板はきれいですから、串本町によって新たに作られた物なのでしょう。
この文を読むと、平安時代の阿弥陀三尊像が、どのようにして戦国時代以降に出来たこのお寺に置かれたのか、そこらが解りませんが、そのことの解明が必要なように思えてなりません。国指定の重文ですから、なおさらのことです。
まぁ、カンカン谷も何処にあるのか知りたいものですが、簡単に書かれていますから、この近辺にあることは間違いないでしょう。
近年に見られないような欅の名木は、何処に使われているのでしょう?
この案内板は却って謎を深めるばかりです。
境内も狭くて、この角度でしか全体像が撮れません。
それにしても、この紀南の平和そのものの地が、小山氏や高川原摂津守や雑賀党の何某とツワモノ共の名が残ってる位ですから、あながちキュウリを食べない話も信じられない話ではないのかも知れません。