ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

來迎寺

2011-12-22 05:00:00 | 

イチョウの大木があったお目当ての寺・玄通寺を出て、さぁ帰ろうと思って右へと歩きだした途端、隣にもお寺がありました。一見して何の特徴も無いお寺なので通り過ぎようとすると、門を越えた白壁に何やら案内板があり自然と目が集中、太田城跡とありました。そういえばこの辺りは太田という地名、何やら歴史めいたものを感じます。

お寺の名はは浄土宗の來迎寺、全く以って無名なお寺ですが、ここが秀吉の三大水攻めのあったうちの一つの城跡なのです。天正10年(1582年)には備中・松山城を水攻めで戦っている最中に本能寺の変があり即毛利氏と和睦、その3年後にここ紀州・太田城を攻めています。もう一つはこの戦いから5年後、天下平定最終段階に入った北条討伐の際の武蔵・忍城でした。忍城は『のぼうの城』で一度紹介済みですね。

             

小説にはなっていないみたいなので詳細は知れませんが、小牧長久手の戦いで紀州の雑賀党や太田党は家康側についたので、その恨みからか翌年秀吉は紀州討伐に手を出しています。根来寺を焼かれた雑賀衆はこの太田城で太田党とともに籠城しますが、秀吉の水攻めに遭い約1ヶ月の後、大将・太田左近以下51名の首を差し出して開城しました。

遺構としては北東の方向に小山塚、東門、秀吉軍の築いた堤などが残っているそうですが、いずれも帰る方向とは逆であり、北東50mと一番近い小山塚を探しましたが判りませんでした。

             

來迎寺を後に駅に向かう途中、往時にも思っていたのですが、道路の2列目にパーキングが確保されています。無料のようです。大阪では道路の左寄りにこのようなパーキングエリアが有料であるところもありますが、2列目と言うのが私的には怖い感じがするのです。まぁ1列目は自転車専用になっていますから、左端と言えば左端なのですが・・・ところで自転車も車両の一部、歩道を走ってはいけません。でも車道は危ない、だからこういう道があればいいですね。

             

駅の東口に有った太田左近の像、立て札や立像に比べて台座が新しいので何処かから持って来たのかも知れません。立て札が古くて字がよく読めません。備中松山城(本能寺の変により和睦)と忍城(先に北条方が降伏)は水攻めにより完全に敗れたものではありませんが、この太田城は秀吉軍により完敗させられたと言えるでしょう。

             

JR和歌山駅の正面、天王寺と同じように『MIO』があります。

                  

駅周辺で和歌山名物『小鯛雀寿司』を探したのですが、なかなか見つかりません。発売元の水了軒のビルはあるのにお寿司は売ってないのです。昔幼少の頃紀勢線の車内販売でこの雀寿司の販売を聞いて、小鯛のことを古代と思っていて変な寿司やと思ったものでした。MIOの中の片隅でやっとのことで見つけたのですが、駅のKIOSKにも置いてあったのでした。

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