ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

玄通寺

2011-12-21 05:00:00 | 

往路を歩いている時から目をつけていたのですが、遠くに1本のイチョウの木が真っ黄色に色づいていました。そこにはお寺でも有るのだろうと思いながら、きっと「帰りには寄ってみよう」とも思っていただろうに、日前宮駅に行ってしまってたけど15分待つのでなく、すぐに電車が来たら乗っていたのかも知れません。

もし電車に乗って帰っていたら、今日のテーマは串本での釣りだったかも知れません。かも知れないの連発ですから、不要なことは書かなくていいのかな。 

             

コースを選びながらイチョウの木がある方へ歩いていくと、やはりお寺でした。白雲山・玄通寺という浄土真宗のお寺、私のブログは矢鱈と神社仏閣が多いと文句か苦言か注文か意見か知りませんが、を言う人が時々いるのですが、そんなことを言っても仕方がありません、放っといて欲しい。普通の家など写してブログのネタにするわけにはいきませんが、神社仏閣なら文句も言われますまい、ついカメラを向けてしまうのです。

             

駐車場のある角を曲がってきたのですが、振り返ると我が社のビルが、一昔前の電電公社と言っていた時代に建てられた、どこの局舎でも同じような構造の建物です。でも交換機が設置されているので耐震性は強いようですが、電柱が倒れてしまえば電線が切れるので電話は不通になってしまう可能性は高いのですが、まぁ交換機を安全に保つという考え方は間違っているものではないでしょう。原発ならもっと事故が起きた時のことを考えておかなくてはならなかったと思うし、現に事故が起こってしまっては取り返しのつかない事態に陥っています。

             

お寺に来て原発の話に至るというのも妙な話なのですが、一旦事故が起これば収拾がつかないのですから、もう原発に頼るのはダメですね。私も原発が発電した電気を利用していますが、原発の傍に住めと言われたら嫌ですし、原発を推進しようとする人は率先して原発の傍に住めばいい、全く見も知らない人々に恐怖感を与えておいて、自分は知らん顔というのでは責任感が無さすぎます。

                   

それにしてもなかなか見事なイチョウですよ。古座川町三尾川の光泉寺のイチョウはもっと見事ですが、あれは普通のイチョウとは違う、化け物、お化け、論外のような気がします。

和歌山市指定保存緑と立札にあり、昭和56年に指定されたとあります。

             

境内にある親鸞聖人の立像、親鸞の悪人正機説はすべての人が仏法の上では悪人であるという観点から成り立っており、自分が阿弥陀仏に導かれるよう進んで悪を為すようなことは戒めています。

             

覚証院の碑、覚証院っていったい誰?

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