御願塚古墳の前、県道336号線を挟んで行基の像が建立されています。これも御願塚古墳と同様4年前のブログに綴られていますが、ついでなので立ち寄ってきました。前回は行基のことについて記したのですが、今回は像の裏側の様子です。
県道に沿って作られているので像の裏が塀になっているのではありません。何らかの考えが無ければ東から来た人は行基像の裏像を見るだけになってしまいます。そこでこの像の本願者は祠を造ってお地蔵さんを祀ることを考えたのでしょう。
狭いところですが、なかなか整備されていて、小美しく保たれています。
もちろんこの祠のために像を拵えたのではなく、寄せ集めたのだろうと推測されるのですが、たくさんの地蔵像が並んでいます。
この水掛地蔵菩薩像などはご立派ですが、行基の像や祠、置石などと比べると、かなり年月を経ているように思われます。こういうのもありなんですよね。
寄せ集めにしては置石の配置にしてもとてもバランス良く、お金はかかっていると思いますね。こういう風にしていると私のように信仰心に薄くケチな人生を送っていても、少しはお布施をしようかなどと思ってしまいます。
立ち寄ったのは昼前だったのですが、この『おてふき』なる手拭い、毎朝取り換えてくれるのでしょうか、あまり汚れていません。掛けてあるのがクリーニングのハンガーでなかったら、もっと良かったのにと思うのですが、ここまでするのが精一杯でしょうかね。
それにしても何もこの場をゴミの集積場にしなくてもよいのにと思いませんか。まぁ行基ならば「人の役に立つならばそれでよい」と言うのでしょうが、ゴミ=不浄、汚いものと思ってしまう私などには、到底理解できるものではありません。
この写真を見ているとこの像の本願者は、左側のシャッターのある家の人かなと思ってしまいます。この像のお蔭でシャッターへの出入りが非常に不便になってしまっているからなのですが、そうでなければ文句の一つも言いたくなるのは当然でしょう。
行基菩薩の碑の上に掲げられた本願者の言葉は、『行基に恥じぬ暮らしを致しましょう』と言うのですが、行基に恥じぬ暮らしとはいったいどういうものなのか、行基はどのような暮らしを恥だと思っていたのか、まさか行基のように生きよと言ってるわけではないのでしょうが、その辺りのことがこのままでは解りにくいですよね。