農業公園への道で信号を渡らなければならないところがあり、そこで信号が変わるのを待っていたら、後ろから「どっかで見たことある後ろ姿やなぁ」と、後ろで聞いたことのある声がするので、振り返ると2年前にリタイアしたS藤さんが自転車に乗っています。
「そっちで働いてた頃より、今の方がしんどいわ」とリタイアメント振りを語ってくれましたが、S藤さんは伊丹駅前の花屋で働いています。でも結構ハッピーそう「今日は休みやからチョット散歩」と来た道をそのまままっすぐ走って行かれました。
私は信号で左折、そのまま直進して農業公園です。もう盛期を過ぎたコスモスが、それでもまだ秋季を名残惜しむかのように咲き乱れています。
この農業公園では時折『収穫祭』なるものが開催され、駅などにもポスターなどが貼られて、大概が土曜・日曜日なので私は行くことはありませんが、その公園なるものがどんなものであるのか興味を持っていました。
バラ園というコーナーがあって、数々のバラが咲いていますが、人間の背より高く聳え咲くバラも在ります。『ボブ・ホープ』とかいうような格闘家のような名前が付いていました。
平日からなのか、冬だからなのか、訪れる人は殆んどいません。その割には猪名川沿いの土手のロードにはランニングする人がやたらと多いのです。
園内では掃除をする係員があちこちにいて、送風機の風で落ち葉を吹き飛ばしながら、きっとその落ち葉を一ヶ所に集める作業をしているのでしょうが、その機械の音が喧しくて仕方がありません。
農業公園は結構広いスペースがありますが、やはり季節が冬だけに咲いている花は限られているようで、観たいと思う菖蒲園などはカラカラの土しかありません。
早々に猪名川の土手に抜け、南下していると公園の一角に何やら碑が建っていて、興味を引きます。
『三ツ俣井組』と表題された碑には、この地の水利に関する歴史が刻まれており、特に田能村大和守について書かれていました。
概要はこうです。将軍足利義政の時代に田能村大和守は隣の(豊中の)原田庄との間で水争いが起き、興福寺や春日大社を味方に付けた原田庄が勝利、田能村は没収されます。
その頃に春日神社がこの地に出来たのでしょう。その社が昨日の記事の神社であるとは思えませんが、移転、改築はあったにせよ、当時の騒乱の結果としての神社であることは間違いなさそうです。
負けたのに何故大和守の碑なのか、よく理解出来ませんが、おそらく田能村の権益を守るために尽力したということなのでしょう。
猪名川の畔にある案内板を見ると田能遺跡が見つかりました。この猪名川を渡ればすぐにありそうです。