ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

田能遺跡

2011-12-12 05:00:00 | 大阪にて

先週末から急に寒くなり、やっとのこと冬の訪れを感じさせます。寒くなれば寒くなったで大変な日々が続くのに、今年は温い・暖かいなどと文句を言うのは私のように愚かで拙い人間の習性なのかもしれません。何はともあれ、万病の元となる風邪などお召しにならないよう、くれぐれもご留意のほどを。

             

農業公園の少し南にある猪名川橋を渡り切って右の方向を見ると、大きな看板で田能遺跡があるのがすぐに分かります。

田能遺跡は2300年~1700年前の弥生時代の遺跡で、昭和40年にこの地で工業用水の供給のための工事を開始した際に発見され、貴重な文化財と認定されたにも拘らず、阪神工業地帯の地盤沈下に対応すべき工業用水の確保の工事は中止されることなく、工事と並行して発掘調査が行われました。

私が入ったのは昼食時だったので、園内でお弁当を食べておられる方がいましたが、その他に訪れておられる人はいません。

独りで見て回るので、どうやら順路を間違えてしまったようですが、そのこと自体にさして問題は無かったと思っています。

             

どうしても人のいる方へ近寄ってしまうのか、ベンチに腰掛けて弁当を食べている人の後ろにあったこの復元された住居にまずは来てしまいました。

これは円形平地式住居、直径は8mほどあり周囲は、幅25cm深さ12cmの溝があったそうです。

             

不法侵入ではありませんよ。中は暗くてストロボを光らさないと、写りません。

暖をとったのか料理をしたのか、炉の跡が復元されています。

             

こちらは方形竪穴住居、こちらの方が奥にあるのに、順路ではこちらが先だったよう、何故なら案内文に「円形平地式住居と比べてみて下さい」と書かれてあったから。

この方形で竪穴式の住居の方が暖かいそうで、弥生時代も後期にはこの形の住居が中心になったようです。

             

円形の平地式の住居と比べると、ここまで考証されたのか疑問ですが、柱が加工されてピカピカの円柱形です。どういう訳か炉がありません。

左隅の丸い影は私の頭なのか・・・

             

こちらは一番奥にあった高床式の倉庫、地中に埋めたり、瓶に入れたり、食糧を蓄えるために弥生人も色々と考えたようです。

             

順路ではこの高床式倉庫から見学するようになっていたらしい。見学者は私一人ですから、反対から見ていったからって、何か支障があったわけではありません。

             

高床式の復元倉庫があった地点から入口方向の写真です。僅かに円形平地式住居が伺えます。

その奥には資料館もあるのですが、写っていません。

             

最後に撮った入口から眺めた写真、先客さんが弁当を食べていたベンチがあり、その奥に円形住宅が見えます。実はまっすぐに伸びた道を進んでいくのが順路だったみたい、後の祭りです。

住居が復元された頃は、植わっている木や草は全く無かったようで、この木や草は時代考証されたものでしょうか、それとも単に公園の雰囲気作りのためのものなのでしょうか。

             

ここが尼崎市・伊丹市・西宮市の三つの都市に工業用水を供給する園田配水場、もしこの地に配水場の建設が行われなかったら、田能遺跡はまだ見つかってなかったかもしれません。それとももっと完璧な形で復元され、もっと多くの遺物が確認できたのだろうと思ったりもしています。

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