斐太後風土記に大野郡河内郷有道(現在の高山市久々野町有道)を紹介する項に
「有道杓子 此村民、冬春は厚朴を伐て、汁杓子を作り賣出す。俗に有道杓子といへり。近來厚朴を伐盡して、白樺又は宇太似の木を以て作り出す。」とあります。
これは写真で紹介している有道杓子のことを示しています。
現代語訳すると 有道杓子、これを村民は、冬から春にかけてホオノキを伐ってつくる汁杓子これを出荷する。俗にこれを有道杓子という。近年はホオノキを伐るのを止めてシラカバやウダイカンバの木でつくる」です。
二十四日市で売っている有道杓子は斐太後風土記に書かれているようにホオノキで作られている汁杓子です。有道地区の大部分は集団離村してしまっていますが有道杓子は伝統として受け継がれています。
斐太後風土記を見て興味深いのは江戸末期から明治初頭にかけて有道ではホオノキの資源が枯渇しているということです。
今はホオノキで作る有道杓子のみが継承されているようです?
ちなみに、有道杓子は現在私たちが利用する鍋では使いにくいです。
使ってみて思いました....(管理人)
「有道杓子 此村民、冬春は厚朴を伐て、汁杓子を作り賣出す。俗に有道杓子といへり。近來厚朴を伐盡して、白樺又は宇太似の木を以て作り出す。」とあります。
これは写真で紹介している有道杓子のことを示しています。
現代語訳すると 有道杓子、これを村民は、冬から春にかけてホオノキを伐ってつくる汁杓子これを出荷する。俗にこれを有道杓子という。近年はホオノキを伐るのを止めてシラカバやウダイカンバの木でつくる」です。
二十四日市で売っている有道杓子は斐太後風土記に書かれているようにホオノキで作られている汁杓子です。有道地区の大部分は集団離村してしまっていますが有道杓子は伝統として受け継がれています。
斐太後風土記を見て興味深いのは江戸末期から明治初頭にかけて有道ではホオノキの資源が枯渇しているということです。
今はホオノキで作る有道杓子のみが継承されているようです?
ちなみに、有道杓子は現在私たちが利用する鍋では使いにくいです。
使ってみて思いました....(管理人)
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