2月に岐阜のグランドキャニオンが下麻生綱場跡であることをブログで書きました。「岐阜のグランドキャニオンは下麻生綱場跡」へのリンク
そのことが先日の下呂市南部のサイクリング中に頭に浮かんできて思い出したのは、下呂市金山町下原には下原中綱場跡の綱株岩の存在です。
そんなわけで火打峠に向かう途中にある下原中綱場へ立ち寄りました。
自転車を止めて綱株岩へ
案内看板からは高山線の線路を横断しないといけません。立ち寄らせようとする看板と危険なので渡ることを制止する看板。この相反する看板が面白いと思います。
ちなみに私は自己責任で線路を横断しました。どうせ列車なんて来ないと思い。でも横断直後に「ワイドビューひだ」が通過・・・渡る時はダイヤを確認しなければと思いました。
綱株岩です。流送した木材を検知するために綱で留めたところは何か所あり、私は木曽川にあった錦織綱場跡、先日ブログで書いた下麻生綱場跡を訪ねましたが綱株とした岩がはっきりと残っているのは、今回訪れた下原中綱場だけです。具体的にイメージできる数少ない木材流送遺跡だと思います。
対岸の岩を見て官材画譜にはどう書かれていたかな?と気になりました。
帰宅後に官材画譜に書かれた下原中綱場の絵図を見ると、綱株岩から見た様子と絵図が一致して興味深いです。現地に立って思ったのは岩が張り出し川幅が狭く綱が張りやすいところであったということが実感できます。
官材画譜の下原中綱場の記述です。綱に藤が使われたことが書かれているのが興味深いです。
綱株岩の横に腰掛け木材の流送が行われた当時の様子を想像しながら行動食を頬張り体を休ませてから火打峠に向け自転車を走らせました。
ちなみに過去にも下原中綱場のことをブログに書いていますのでリンクしておきます。「過去の記事へのリンク」
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そのことが先日の下呂市南部のサイクリング中に頭に浮かんできて思い出したのは、下呂市金山町下原には下原中綱場跡の綱株岩の存在です。
そんなわけで火打峠に向かう途中にある下原中綱場へ立ち寄りました。
自転車を止めて綱株岩へ
案内看板からは高山線の線路を横断しないといけません。立ち寄らせようとする看板と危険なので渡ることを制止する看板。この相反する看板が面白いと思います。
ちなみに私は自己責任で線路を横断しました。どうせ列車なんて来ないと思い。でも横断直後に「ワイドビューひだ」が通過・・・渡る時はダイヤを確認しなければと思いました。
綱株岩です。流送した木材を検知するために綱で留めたところは何か所あり、私は木曽川にあった錦織綱場跡、先日ブログで書いた下麻生綱場跡を訪ねましたが綱株とした岩がはっきりと残っているのは、今回訪れた下原中綱場だけです。具体的にイメージできる数少ない木材流送遺跡だと思います。
対岸の岩を見て官材画譜にはどう書かれていたかな?と気になりました。
帰宅後に官材画譜に書かれた下原中綱場の絵図を見ると、綱株岩から見た様子と絵図が一致して興味深いです。現地に立って思ったのは岩が張り出し川幅が狭く綱が張りやすいところであったということが実感できます。
官材画譜の下原中綱場の記述です。綱に藤が使われたことが書かれているのが興味深いです。
綱株岩の横に腰掛け木材の流送が行われた当時の様子を想像しながら行動食を頬張り体を休ませてから火打峠に向け自転車を走らせました。
ちなみに過去にも下原中綱場のことをブログに書いていますのでリンクしておきます。「過去の記事へのリンク」
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