先日、下呂市小坂町の厳立峡周辺を歩いた時、椹谷にかかる橋の上から下を見るとヤマグルマが見下ろせます。
深い渓谷にある見事なヤマグルマが観察できます。
これは面白いと思い写真を撮りました。
ヤマグルマは御嶽山周辺や阿寺山系の渓谷沿いに多く見られる常緑高木です。
岐阜県内では時折見かけますが御嶽山周辺ほどまとまってある地域は少なく。
珍しくは無いですが身近とも言えない樹木かな?と思います。
私の住む下呂市は御岳山麓や阿寺山系双方とも関係する地域ですので普通に観察できます。
ヤマグルマは下呂市の利用について、ひょんなことで知ることができました。
今から20年近く前に益田郡(今の下呂市)に住んだばかりの頃、カスミ網のことが話題となり、話を聞いていた時にモチノキから黐(もち)を採って「鳥もち」でも獲ったぞという話を聞きました。
モチノキ?益田にモチノキなんてないぞ?南のほうから持ってくるのかな?と思っていました。
そんな話をした数年後に屋久島に行き、スギに着生したヤマグルマがスギを絞枯らしてしまうということを知り、本州で見るヤマグルマには無い性質があることに驚いたことを話題としたことをきっかけにヤマグルマで盛り上がりました。
その時に、「昔ヤマグルマで「鳥もち」を作ったぞ。下呂近辺ではヤマグルマのことをモチノキとかトリモチノキと言うよ」と言われました。
その時に以前に聞いたモチノキがヤマグルマだということに気がついたのでした。
森が生活に密着していた生活を経験している人が少なくなり樹木名を方言でいう人はすっかり減ってしまったこともあり一昔前に私が経験したような誤解は生じなくなってしまっていますので、ヤマグルマのように目からウロコのようなことが最近では無くなって面白くないのです。
ヤマグルマの話のようなカルチャーショックを受けることが、ここ数年無いことを寂しく思っています。
少し脱線してしまった話を元に戻し、下呂のモチノキがヤマグルマと知ってから更に年数を経て斐太後風土記と出会い、少しづつ読みふけっていたら竹原郷の村々で鳥もちで鳥を獲っていたいう記述を見つけました。
竹原郷とは下呂市の東部の舞台峠の西側の地域で現在の下呂御厩野、野尻、宮地、乗政となり、今でも、これらの地域の総じて竹原と言われれています。
斐太後風土記には黐を何から採ったという記述はありませんが、以前に私が聞いたモチノキの話から黐の材料はヤマグルマだということが想像できます。
今では、鳥もちで鳥を捕獲することは禁止されていますのでヤマグルマから鳥もちを作るなんてことは許されず。下呂での黐採りの文化は断たれたので、今回書いたことに敏感に反応する下呂市在住の人は70歳以上の人であり、若い世代では皆無となっています。
禁止猟を復活させろ!なんてことは口が裂けても言えないのですが、違う形で黐を使う文化を復活できないかと考えてしまうのです。
その一つが天然素材のヤマグルマの黐から作った高級ゴキブリホイホイなんてのはどう?なんて思ったりするのは変でしょうか?(管理人)
椹谷のヤマグルマ

これからの時期は、こんな果実が観察できます(2010年恵那山で撮影)

竹原郷での鳥もちの記述(斐太後風土記)

鳥もちで鳥を獲っている絵図(斐太後風土記)

ちなみに竹原郷では鳥もちだけでは無くカスミ網も使っています。
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深い渓谷にある見事なヤマグルマが観察できます。
これは面白いと思い写真を撮りました。
ヤマグルマは御嶽山周辺や阿寺山系の渓谷沿いに多く見られる常緑高木です。
岐阜県内では時折見かけますが御嶽山周辺ほどまとまってある地域は少なく。
珍しくは無いですが身近とも言えない樹木かな?と思います。
私の住む下呂市は御岳山麓や阿寺山系双方とも関係する地域ですので普通に観察できます。
ヤマグルマは下呂市の利用について、ひょんなことで知ることができました。
今から20年近く前に益田郡(今の下呂市)に住んだばかりの頃、カスミ網のことが話題となり、話を聞いていた時にモチノキから黐(もち)を採って「鳥もち」でも獲ったぞという話を聞きました。
モチノキ?益田にモチノキなんてないぞ?南のほうから持ってくるのかな?と思っていました。
そんな話をした数年後に屋久島に行き、スギに着生したヤマグルマがスギを絞枯らしてしまうということを知り、本州で見るヤマグルマには無い性質があることに驚いたことを話題としたことをきっかけにヤマグルマで盛り上がりました。
その時に、「昔ヤマグルマで「鳥もち」を作ったぞ。下呂近辺ではヤマグルマのことをモチノキとかトリモチノキと言うよ」と言われました。
その時に以前に聞いたモチノキがヤマグルマだということに気がついたのでした。
森が生活に密着していた生活を経験している人が少なくなり樹木名を方言でいう人はすっかり減ってしまったこともあり一昔前に私が経験したような誤解は生じなくなってしまっていますので、ヤマグルマのように目からウロコのようなことが最近では無くなって面白くないのです。
ヤマグルマの話のようなカルチャーショックを受けることが、ここ数年無いことを寂しく思っています。
少し脱線してしまった話を元に戻し、下呂のモチノキがヤマグルマと知ってから更に年数を経て斐太後風土記と出会い、少しづつ読みふけっていたら竹原郷の村々で鳥もちで鳥を獲っていたいう記述を見つけました。
竹原郷とは下呂市の東部の舞台峠の西側の地域で現在の下呂御厩野、野尻、宮地、乗政となり、今でも、これらの地域の総じて竹原と言われれています。
斐太後風土記には黐を何から採ったという記述はありませんが、以前に私が聞いたモチノキの話から黐の材料はヤマグルマだということが想像できます。
今では、鳥もちで鳥を捕獲することは禁止されていますのでヤマグルマから鳥もちを作るなんてことは許されず。下呂での黐採りの文化は断たれたので、今回書いたことに敏感に反応する下呂市在住の人は70歳以上の人であり、若い世代では皆無となっています。
禁止猟を復活させろ!なんてことは口が裂けても言えないのですが、違う形で黐を使う文化を復活できないかと考えてしまうのです。
その一つが天然素材のヤマグルマの黐から作った高級ゴキブリホイホイなんてのはどう?なんて思ったりするのは変でしょうか?(管理人)
椹谷のヤマグルマ

これからの時期は、こんな果実が観察できます(2010年恵那山で撮影)

竹原郷での鳥もちの記述(斐太後風土記)

鳥もちで鳥を獲っている絵図(斐太後風土記)

ちなみに竹原郷では鳥もちだけでは無くカスミ網も使っています。



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