テルミンとJAZZ
テルミンやマトリョミンの話。私、こちろうこと相田康一郎のプロフィールは左メニューバーのCATEGORYを。
 



「10大」と思ったら意外にネタがなく、7大ニュ~スに変更(やや中途半端で情けなし)

1.ロシア演奏旅行に参加。(9月末~10月上旬の9日間。テルミンさんゆかりの地も訪問)

2.テルミンについてのBlog開始。(自己顕示欲の発露、つながりの輪も少し拡大。)

3.竹内師匠のレッスンを丸1年継続。(6クール終了したので、1.5年の継続。)

4.大胆にも自ら演奏売り込み。 (商業施設に対し、「演奏させろ」と初めてデモ用のMD、CD作成。誇大広告気味のプロフィールに写真まで付けて送りつける。家族には「どこに行こうとしているのか?」と訝しがられる。さもありなん。厚顔無恥。)

5.練習開始2.5年目にして初めて(レッスン除く)、知らない人の前で演奏。(竹内クラス練習発表会、ロシア・モスクワ音楽院ホールなど、映画上映会でのデモ)

6.マトリョミンオーナーになる。(7月初)

7.中学ブラスバンド以来の合奏を経験。(クラリネットとテルミン、マトリョミン・アンサンブル)

今年の練習曲
・竹内クラスにて
①白鳥(サン・サーンス)、②私のお父さん(プッチーニ)、③夢の後に(フォーレ)、④少年時代(井上陽水)、⑤ラルゴ(ヘンデル)  <うん?たったこんだけだったか?※>
・自分で
①涙そうそう、②モスクワ郊外の夕べ ほかにもいろいろ弾き飛ばしはした。

以上、今年を事実で振り返って1年の締めくくりとする。

ロシア旅行に同行を決意したころから今年の後半は、いろいろと大きな動きがあった。8月に始めたBlogもそこそこ記事が書きたまり、お読みいただいている方々による書き込み、トラックバックにより、さらに内容が補完され、充実しているのは、ありがたいことである。

(ここから丁寧語)この場をお借りして厚くお礼申し上げますとともに、来年も引続きご愛顧いただきますことをお願いして、年末の挨拶に代えさせていただきます(うーん、サラリーマンらしくていいねー。)。

では、皆様、良いお年を。(明日31日早朝より帰省のため、当Blogは新年4日かそこいらまでお休み。)

※・・・これらの曲に加えて、「タイスの瞑想曲」もこの年のレッスン曲だったかもしれない(未完成に終っており、記憶もあいまい・・・いつか仕上げたい。2005.1.11追記)

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哀愁  


18日のテルミンの体験コーナーで、「望郷のバラードという曲がテルミンにぴったりだ」、と勧めてくださる方がいらっしゃった。まだ聞いていないが、早く聞いてみたい。

その方がそう思われた理由はテルミンの音色にあったようだ、ご年配の方であったが、電子回路や音波についての知識なども豊富な方で、「テルミンという楽器は(素直な音をだしているが、)倍音や高調波などを加えて音色加工はしないものなのか」というようなご質問もいただいた。その方は、映画「テルミン」の中で演奏される真空管テルミンや生演奏のイーサウェーブを聞かれて、「実にもの悲しいこの音色がぴったり合う曲だと思うので、是非テルミンで演奏を試みて欲しい。」ということであった。

さて、私がJAZZを好む所以はその騒々しさにあるのではなく、JAZZが根源的に持つ「哀愁」に魅かれるからである。哀愁は辞書をみると「もの悲しさ」とあり、同意である。私がテルミンに一所懸命な理由の一つに、音色の「もの悲しさ」があるのだな、と認識させられた。

JAZZの次にはまりかけたピアソラの音楽は哀愁出しまくり。聞き続けるとちょっと食傷気味になることもあるが、今でもたまに取り出しては聞いている。テルミンでは演奏困難な曲ばかりだと思っていたが、テルミンのレッスンで最近、リベルタンゴを練習したクラスメイトがおられ、感心しているところである。

脱線気味の話になってきたが、「もの悲しさ・哀愁」についてである。・・・キューバ音楽もしかりで、私が好む音楽には少なくとも隠し味としての「哀愁」が必要なのだ、と再確認した次第。
ところでモーツァルトには哀愁を帯びた曲というのがあるのだろうか、と思っていたが、「・・・曲想も天使的(長調がほとんど)でありながら、ほのかに哀愁を伴った悲しさが含まれており、・・・」との記述を見たりして(ウィキペディア)、ちゃんと聞いてみなければ、と反省する。

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 ロバート・モーグ博士の映画があるようだ。私が参考にしたBlogはこちら
映画案内はこちら

 モーグ博士はシンセサイザーの発明者として著名だが、テルミン界(どこにその「界」があるのか聞かないで)ではイーサウェーブ・テルミンの開発者として有名である。テルミン博士と違って世界的に有名だし、晩年は不遇に終る、というわけではないが、生涯技術屋で、どうも世渡りはうまくなさそうなところも何やら共通点を感じる。
 
 イーサウェーブテルミンは、その安定性と楽器としての完成度により、広く世界に普及する現代テルミンの標準機といってよい。
 モーグ博士は、映画「テルミン」にも詳しいが、中・高生の頃、しきりにテルミンを製作し、シンセサイザーを発明した後も、シリーズ91やイーサウェーブのようなテルミンを開発して、世に出し続けた。なぜだろうか。
 テルミンが電子楽器の祖先であり、シンセサイザーが電子楽器の「より進化した姿」であるとすれば、シンセサイザーも発明当初から大きな進化を遂げた今、テルミンは過去のもの、シンセサイザーより劣ったもの、として実用品としてはこの世から葬られていてもおかしくないはずである。
 しかし、テルミンは細々とではあるが、生き永らえ、未だに新たな演奏者を生んでいる。これは、電子楽器としては異例なこととして、生身の人間の関わりを極限的に要求するということの面白さ、難しさが人を惹きつけて放さないからである。そのことをなによりも雄弁に物語っているのが、シンセサイザーの発明者がテルミンの新製品開発を最近まで継続していたことである。
 電子楽器としては、音程、音量はもちろん、ビブラート等による音色のコントロールまで(リアルタイムで)任されるという奏者に過酷な要求をする不便な楽器だが、このことは他の楽器と比べれば、至極あたりまえのことでもあり、逆にテルミンが珍しく変わった楽器ではなく、「普通の」楽器たりえる根拠でもある。

 ※渋谷で上映されるこの「MOOG」の上映前に、テルミン大学の佐藤教授のテルミン演奏が聞ける。

(2005.2.26追記)
佐藤さんの演奏の感想記事がありました。
ハミングそしてサミング

(2005.3.17追記)
火曜日の佐藤さんの演奏を聞かれた方がまた。こちらの記事、コメントにはテルミン(主に映画)のお話がされています。
Black Pepper's Blog

私も見に行きました。「映画MOOGを見た

テルミン演奏あり。追加日程(4月)

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2004.12.23(祝日)13:30から原宿アコスタディオで行なわれたETHER VOCE(エーテルヴォーチェ)…テルミン実験工房…を聞いてきた。
小さなスペースだったが、クラシック用に作られたこの総木張りのライブスペースは今回の催しにぴったりの落ち着いた会場であった。

最初に濱田佳奈子さんによるテルミン演奏(ピアノ伴奏)4曲、曲目はクラシックの小曲。うち1曲は伊藤麻紀さんとのテルミンデュエットで「ラシーヌの雅歌」。
濱田さんの演奏はいつみてもダイナミックでおおらか。自信に満ちたその姿勢は演奏にも反映されている。出だしの曲こそやや緊張気味の感じもうかがえたが、最後の難曲「ジャズ組曲」では、まさに本領発揮。観客にもなっていたKさんといつの日か超絶技巧対決をやって欲しい(いつも思っている)。
デュエットのラシーヌも安定したよい演奏であり、全体の流れのなかでもよいアクセントとなっていた。

そのあと、宮澤朝子さん、木内みどりさんがソプラノでオペラのアリアなどを各3曲づつ唄って休憩タイム。

後半は本日のハイライトであるテルミンと声楽のコラボ。その前にテルミン体験コーナー。真っ先に手を上げられた外人さん(イタリア人?)、さすがにノリがよく楽しく進行。さらに濱田さん、伊藤さんによるマトリョミンのデュオ。ラブミーテンダーともう1曲。やはりマトリョが出てくるとお客さんから笑い声が聞こえる。

猫の二重奏は猫の耳当てを皆さんがつけてのテルミンとソプラノお二人のお芝居仕立てで、とても楽しかった。あと2曲はソプラノとテルミンのデュエット。思ったとおり、といっては元も子もない感じだが、声楽とテルミンは相性ぴったり。
最後の最後にみなさん1曲づつクリスマスソングで締め、であった。

よく、テルミンの音は女性の声にも例えられるが、実際にソプラノと共演するという試みはテルミンの音の本質をよく活かした試みだと感じた。これからもさまざまな声楽とテルミンの共演を聞いてみたい。

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 今朝、日経MJ紙(旧日経流通新聞)の最終面にトーキョーマトリョーシカの写真入り記事が載っていた。「あっ、これはセミョーノフのマトリョーシカ工場で、日本向け戦略商品にする、と言っていたやつだ。」と思って、Googleで検索してみた。
 
 すると、大陸貿易のルイノクというECサイトに、トーキョーマトリョーシカが販売されていて、それを作っている工場を見学した様子が載っていた。この工場では、実は、マトリョミンの筐体(マトリョーシカ)も作っているのだ。
 
 見学写真を見ていて、「あっ、この人だ」と思ったのが、ここに転載した写真のひと。今年の10月初めにニージニー・ノブゴロド(旧ゴーリキー)中心部から150kmほど離れたところにある、このセミョーノフのマトリョーシカ工場を見学した。
 マトリョミンは1体1体、形や図柄が微妙に(というより、かなり)異なっていて手作り感満点だが、その理由の一つに、図柄を描くのに一人一人の方が最初から最後まで仕上げているということがある。当日5~6人の方(ほとんどおばあさんといってよい年齢の方)が絵付けしていたが、おそらく、マトリョミンの顔つきや絵柄は大きく6種類くらいに分類されるだろう(絵付け担当のおばさんの数に一致していると思われる)。

 それよりも、見学して説明を聞いて、「ほーっ」と思ったのが、手でニスを塗っているところで、しかもその担当者はただお一方、この写真に出ている人なのである。つまり、言いたいことは、私のマトリョミンもあなた(誰?)のマトリョミンも全てのマトリョミンは、この人が手でニスを塗っているということである。
なんか、連帯意識が生まれるなー。どう?。

 蛇足だが、マトリョミン筐体はマトリョミン専用の特製品で、工場には白木のマトリョミン用のカラダがたくさん整列して、絵付けを待っていた。
参考:その他のマトリョーシカECショップ

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 電線ネット(PLC)の記事は今朝の日経1面トップ。短波帯を使おうとしていることから、アマチュア無線界では反対大合唱が起きていた(無線機、無線通話に悪影響を及ぼす可能性大)はずだが、押し切られるのか?。
 人数やその活動実績においてアマチュア無線家とテルミン愛好家には大きな差がある。そのアマチュア無線家団体等が叫んでもダメだったものが、テルミン愛好家の声でくつがえることはありえない。したがって黙ってどうなるのか2006年という実施時期を見守るしかないのだろう。
 テルミンにとっては長波、中波を使われるよりいいかもしれないが、「電磁波をばら撒く原因がまた一つ増える」、という程度で済むのかどうか、テルミンにノイズが乗ったり、ピッチコントロールに支障をきたす、などの障害がおきないないものかどうか、とても心配である。

 (追記:トラバいただいたsolanetさんのアドバイスにより「PLC」で検索かけると、確かに反対もしくは懸念を表明するいくつかの意見にたどりついた。表題にも「PLC」を書き加え、若干補筆。ところで、ニュース記事をネタにBlog記事をUPというのは、Blogらしくてカッコイイ。) 

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 18日(土曜日)に新現役ネット主催の映画「テルミン」上映会でテルミンとマトリョミンの演奏デモと、体験コーナーの進行を担当させてもらった。
 当日お越しいただいた皆様方に十分お楽しみいただけたかどうか、不安も残るが、初めて体験いただく方が大変興味深げにされていたことは、私の大きな喜びでもあった。
 ご来場の皆様、本当にありがとうございました。

 さて、顛末である。
 映画はクララとテルミン博士の最後にシーンにあらためてグッとくるものがあった。
 映画上映後、部屋の隅にイーサウェーブテルミンをセットした。ミキサーでMDの伴奏音源とMIXしてモニター(YAMAHA MS60S)を鳴らした。ミキサーにはマトリョミンもつないでおいた。
 テルミンの演奏曲目は最初に「モスクワ郊外の夕べ」、最後に「北の国から」。マトリョミンでは「ふるさと」を演奏した。
 テルミン1曲演奏したあと、4名の方に前に来ていただき、テルミンの体験をしていただいた。
 その後マトリョミンのデモ演奏のあと、3名の方にマトリョミンの体験をしていただいた。
 会場終了時刻10分ほど前に最後の1曲を弾かせてもらい、その後も多くの方がテルミン、マトリョミンを体験するために寄ってこられた。
 演奏はともかくも、もう少し上手に初体験者指導もできないと、と反省した。

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 テルミン演奏中の顔はだいたい皆コワイ。私の師匠もそうだし、最初の師匠も普段はとてもやさしい笑みの絶えない方であるが、テルミンの演奏に入ったとたん、ものすごく怖い顔になってしまう。
 なぜ、怖い顔になるか。ものすごく真剣に全ての神経をテルミン演奏一点に絞り込まねばならないからである。極度に真剣な顔=怖い顔、である。目線も中空の一点にずっと留め置く。もし、仮に特定の一人と目線があったりしたまま留め置かれたりしたら、その方も怖い思いをするだろう。
 真剣な集中はまず、体を動かさないための集中、そしてきちんと音程(変化)をとるための集中、そして音量変化その他のアーティキュレーションへの集中。この中で他の楽器との違いはやはり両手を動かしつつも「体を動かさない(動かしてはいけない)」ことだから、結局、そのことが演奏中の「コワイい顔」の本質であろう。
 キ○・ジョ○イル氏のお国の子供たちのように、思いっきりの作り笑顔で演奏してみたら、どうだろう。「コワイ」が「キモチワルイ」になるだけだ。

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 最近は平日帰宅後に練習することはほとんどできない状況だったが、数日後に人前で演奏するとなると、そうも言っておれない。恥ずかしくない程度にしておきたいという生真面目な気持ちで、ほんの10分ほどであっても、テルミンに向かう。ただし、晩酌後。・・・全然まじめではない。でも、晩酌はやめられない、とまらない。
 昨日はビール350mlのあと、大き目のコップ(小ジョッキくらい)に焼酎お湯割り(5:5)1杯。その後にテルミンを弾くとどうなるか。ヘタである。安定しない。自分では感じないほどの体の揺れがあるのだろうし、アルコールで聴覚その他の感覚も鈍くなっているのだろう。でも、人前での演奏は緊張して、いつもと違う状態なので、当日ヘロヘロになりながら演奏するシミュレーションになるかもしれない、、、などと、妙な言い訳で自分を納得させつつ、明日もお酒だ。

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 ニ胡をやっておられる方のBlogで楽器の知名度をGoogleでのヒット数でランク付けしておられた記事があった。興味深かったので、そのなかでテルミンの位置づけは?、と思い、検索してみたら、35,400HITだった。 このヒット数はその方の記事のランキングによると、チューバより下でシタールより上位にあった。
 二胡の86,100にはるかに及ばないものの、シタールより上にあるというのは大したものだと、私は感じた。ちなみにマトリョミンは1,680HIT。
 この話、もう少し膨らみがあったと思ったが、gooさん調子悪く、いったん投稿した記事が消えてしまった後の書き直しなので、またもやオチなし(最初の記事にもなかったかも)。 
 
 以前の記事を見返していたら「テルミンの知名度」ということを書いていた。それと比べて本記事のタイトルに(客観的)を加えた。

(消えていた記事が復活していたが、内容重複なので、前記事削除した。2004/12/14)

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