テルミンとJAZZ
テルミンやマトリョミンの話。私、こちろうこと相田康一郎のプロフィールは左メニューバーのCATEGORYを。
 



ニチェボー!とは、、、「解説しよう(・・・仮面ライダーのナレーション風に読みましょう)。ニチェボー!とは、最近結成されるともなく結成されたと思い込んでいるが本当にこの先もやっていけるのかどうかも不安なマトリョミン・アンサンブルのことである。第一回目のお披露目は本年3月27日そごう柏店1階ミレニアムコートであったが、あのとき、集まってくれたマトリョミン弾き集団にとりあえず名前をつけたのが始まりで、これから先が本当のニチェボー!としての活動なのだっ。」

都内某有名カラオケ店で「3月の柏の前」以来の練習。・・・隣の部屋から漏れ聞こえる歌がやかましい。英語の歌ばっかりだ(もちろん、英語も歌もうまくない・・・別に腹いせでそう言っているのではない)。
私はカラオケ屋でマトリョミンの練習をするのはこれが3回目だ。
以前、テルミンとクラリネットで合わせる練習を繰り返したときもカラオケ屋をよく使った。それが2~3回かな。

集中していると、隣の音もさほど気にならなくはなるものだが、小一時間ほどたった頃だろうか、いつの間にか隣の部屋も静かになり、メデタシメデタシ。
カラオケ屋で「歌がやかましい!」と言いたてるのも変だし。…マトリョミンをみんなで弾いてるほうが一般的にはよっぽど変だと思われているだろう。

「隣の部屋から聞こえる歌がやかましい」、という、音楽練習には致命的な欠点も、2時間4名でウーロン茶飲みきれないほど飲んで1400円くらいという有り難い価格の前では許すしかない。後半は静かだったし、ニチェボー!の本番演奏もシ~ンと静まり返ったコンサートホールでやる機会などいつになることかわからないし、回りの雑音に負けない強靭な音を出していくのだという練習にもなる(ならないかな)、などと前向きのプラス思考で臨む。

この日は事前に楽譜を配っておいたニチェボー!としてのレパートリー候補曲4曲をさらった。マーブルとはやや違った路線を歩めそうな期待が広がっていく。
特にCさん作成のスペシャルでナウでヤングでエクストラオーディナリーでそのうえチープ感あふれた伴奏(おもちゃっぽい楽器の多重録音音源)にはスゴイスゴーイ(ハートマーク)とみんなで喝采。この曲はマーブルで演奏されてもよさそうな叙情的な有名曲だが、この伴奏はマーブルではありえないな。フッフッフ(悪の笑い)。
(今気づいたが、カラオケにある伴奏で1回遊んでみてもよかった。多分カラオケ、あったんじゃなかろうか。)

次回の練習場として確保した施設はピアノも置いてある音楽室で広さもたっぷり。たくさんのメンバーが集まれると嬉しいが、今のところ確定は二人。だだっ広い音楽専用練習室でお見合いのようになっちゃったら寂しい。



男:「あの~、、、、ご趣味は?。」
女:「あっ、私 ま ま マトリョミンを少々。」
男:「ほーっ、マトリョミンですか、それはまたリッパなご趣味で。」
女:「うわぁ、マトリョミンご存知でしたか。うれしいですぅ♪。」
男「イヤ、知りません。」
「・・・・・・・」
ちゃん♪、ちゃん♪。

(お見合いって、一度経験してみたかったな。)・・・支離滅裂


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ケーナや沖縄の笛(とテルミン)で共演させていただいた田島さん(のブログ「tajimak 登場」はこちら)からご紹介いただいたフォルクローレ・プロショップ「タリエール・セラーノ」経営者でチャランゴ講師の貝谷(かいや)さんはマトリョミンに強い興味を示された。(ホームページはこちら

貝谷さんは演奏や講師の活動のほか、本場の楽器を輸入販売したり、本場から取り寄せた材料を加工して楽器を作ってしまったりしておられる。ショップの中は所狭しと楽器のオンパレード。私は弦楽器や笛類についてはまったくわからないが(他の楽器がわかっているわけでもない)、それでも楽器に囲まれているだけで楽しくなる。

なんでも、ショップに何人かお仲間が来られているときにたまたま、3/31(木)のNHKを見られ、みなさんが、「なんじゃこりゃ~!」となったそうである。
フォルクローレの楽器チャランゴやケーナはテルミンやマトリョミンよりははるかにポピュラーであることは間違いないが、それでもみんなが皆知っているという楽器ではないだろう。もしかすると、そのような連帯意識もあるのかもしれない。

ちなみに、以前にも珍しい楽器のポピュラー度(?)を検索エンジンヒット数で推し量るということを他のブログで見つけて、テルミンがどういう位置づけかをみてみたことがあった(その記事)が、今回、その手法(Googleでのヒット数)を思い出してやってみた。
すると・・・・・・、

チャランゴ11,200 ⇔ マトリョミン1,880
ケーナ 52,500  ⇔ テルミン45,700

なんか、親近感湧く数字ではないか。テルミンがケーナに迫りつつもちょっと足りないところあたりが絶妙。
(ちなみにピアノは1,290,000件、ギターは1,080,000件、ウクレレ348,000件、)

「貝谷さん、これからも希少楽器仲間(?)の大先輩と後輩としてお付き合いいただければ嬉しいです。」

(ショップに名刺入れを置き忘れた私は郵送いただく手間をおかけするのが申し訳なく、数日後取りにうかがった。そのとき別件で必要だったマトリョミンを持参していたので、ちょっと取り出して弾いてみた。貝谷さんにも弾いてもらったが、音階はすぐに出せちゃう。さすがプロフェッショナル。「どうもご迷惑をおかけしました」と言って退出したが、後のメールで「マトリョミンのしっぽ=ラインアウトをアンプにつなぐケーブル 忘れてますよ」との連絡が。迷惑の3乗くらいになってしまった。トホホ。)


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某テルミン演奏の大家も、ある方から「・・・あのー、先生もテルミン大学のご出身でしょうか?」などと聞かれたことがあるというテルミンの最高学府(!?)テルミン大学。

一日体験コース5/1は昨日からの申込受付であるので、もしかしたら既に埋っちゃってるかもしれないが(その場合は5/28にも開催予定あり)、テルミン演奏にご興味ある方は是非大学(東京の五反田)の門を叩かれてみることをお薦めする。

詳細はこちらのサイト(テルミン大学)を参照のこと。

先日のフレンズオブテルミン東京サロンの初心者講座はたったの2名だったので、これはよいチャンスである。
私は以前、テルミンに興味を持ってから6ヶ月コースの講座(NHK学園)に申し込んで、講座が始まって1回目のレッスンで「うん、これはやっぱり面白い、楽器買おう!」となったわけで、そのくらいのきっかけになる人もいらっしゃることだろう。

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いいのもを聞かせてもらいました。見た目もスゴカッタ。

最初から最後までストリングラフィそのものと演奏者たちの優雅で力強く、そしてリズミカルな動きに圧倒されつづけた。
広いスタジオ全体が楽器といってよいだろう(よいのか?)。その大きな楽器の中を数人の演奏者たちがところ狭しと動き回って一つの音楽を作り出している。
静止画像でみても、その面白さは伝わるまい。映像でも半分くらいかな。
実際に見て聞いてみるべき芸術である。

早いパッセージを弾く時は糸をみながら弾かざるを得ないが、一定の音を継続的に鳴らしているときなどは、演奏者の目線や目つきがテルミン奏者に似てるのも興味深かった。

今日はテルミン奏者の濱田さんが共演するというので、聞きにいった。オリジナルの楽曲はテルミンの美しさを引き出しつつ、ストリングラフィの音と絶妙にからんでいく。ここでのテルミンは単独の楽器と言うよりもストリングラフィテルミンという感じであった。

ストリングラフィ、見るべし。聞くべし。
ストリングラフィのホームページはこちら

当日のプログラムもわかる主催者水嶋さんのブログ「Stringraphy's Journal」はこちら

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ある都内の公共施設にマトリョミン・アンサンブルニチェボー!の練習場所を確保しに出向いた。
せっかくできたニチェボー!をこれからも継続・発展させるために月1回くらいのペースで練習会をしたい、という思いで場所の確保に精を出している。

5月はある公共施設で「音楽室」を確保できたが、次は6月である。ある程度の広さと、楽器練習可能で、できればピアノつき、などと言う要求を重ねると、いいところは平日の抽選会だったりして、なかなか簡単ではない。

今回は6月の場所を探したのだが、電話で確認したところ、そこには「音楽室」はなく、「洋室」と呼ばれる部屋にピアノが置いてあり、合唱の練習などには使わせているらしい。
実際に出向いて確認したところ、板張りのリッパなお部屋で、壁には多少の防音もあるような作りであり、マトリョミン練習には十分。他の部屋に迷惑がかかることもなさそうである。

さてさて、以下はその施設の受付窓口の係りの方とのやりとりである・・・・・


先方(施設の窓口のおじさん) 「では、この用紙に記入を」「団体名はココに書いてください。」
・・・ニチェボー!・・・・と書いた。

先方 「な、なんですかこの「」これは
 「あー、これですか?これは「ビックリマーク」ですよ。びっくりマーク。」
(教養あふれる私はexclamation markという言葉も知っている《米語では ― point》が、60歳をかなり過ぎていそうなこの窓口の係員のおじさんにやさしく説明したわけである。)

先方 「イヤー、困るなこういう難しいのは。(本当に困った様子)」「この団体名表示のところはこれ()なしにしていいね。」
 「はぁ、まぁいいですけど・・・。じゃあ・・・・」・・・ニチェボー(と書いた)


先方 ・・・・「ん?楽器の練習ですか、管楽器や太鼓なんかじゃないでしょうね。」「うちで許可しているのは弦楽器だけです。」
 「いえいえ、弦楽器じゃないですけど、人の声と同じくらいしか音は出しません。電話でもお話したんですけど、なかなか説明してもわかってもらえないので、今日、その楽器を持ってきているので音出せますよ。見てくださいよ。」(と、マトリョミンを取り出そうとする私)
先方 「(すごくきっぱり)いやいや出さなくていい(むしろ、出されては困るという強い意思を感じる)。この用紙に「弦楽器」と書いてください。」
 「はぁ?」(もう60歳はとっくに超えていそうな窓口のおじさんの顔をじっと見つめる私)
先方 (固まっている)「・・・」
 ・
 ・
 ・
、ペンを走らせる・・・・・弦楽器・・・と。


「ニチェボー!のみなさん、6月の練習のときはマトリョミンは弦楽器だと思い込んで参加してください。もしくはバイオリンケースに入れて持ってくるとか(入らないか)。
そうだ、Sさん、バイオリンとマトリョミンやろう。

あと、1階掲示板には「」マークのない「ニチェボー」の表示ですが、「!」がない!などと騒ぎ立てないように、お願いします。」


(想像するに、この窓口のおじさんは区役所あたりで長年まじめに働いてこられたお役人が定年退職して、よくいえば、天下りで来られた方ではないだろうか。その仕事の姿勢がそんなことを思い起こさせる。見事なまでの事なかれ主義。しかし、考えてみれば、楽器の本来の姿を追求せずに、「弦楽器」とさせてくれたことは、かえってありがたいことであった。すばらしいお役所仕事であった・・・皮肉ではなく心底そう思ってます。


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食を楽しむ会」のことは何度かこのブログでも触れてきた。

特に、六本木にあるベラルーシ料理の店「ミンスクの台所」での食べながら飲みながら談笑しながらの演奏はとても楽しい経験であった。酔っぱらわないようにするのが大変であった。
その報告記事(2005/3/16)はすぐにUPしたのだけれど、今回「食を楽しむ会」のホームーページで、そのときの様子が大変詳しい文章とたくさんの写真入りできちんと紹介されている(こちら)。
さすがに「食」そのものと同時にその郷土の文化背景も学んでいこうという会の面目躍如たるものがある。(こう書くとまじめな感じだが、実際の会の様子はは堅苦しいようなものでは全然ない。)

テルミンについても大変詳しく紹介されているところが嬉しい。
(注目ポイントはマトリョミンの頭の内側のアルミ箔=アンテナを見せている写真で私の小指が立っているところか。)
ロシアの空港でのX線チェックでは「捕まった」わけではないが、私が話を面白くしようとしてそういう風に話してしまっていたのかもしれない。また、X線で見たマトリョミンを楽器とは信じてもらえず、取り出しただけでは満足されず、演奏させられたのは私ではないが、これもそんな風に話していたかもしれない。面白いネタだし。

細かい話だが、私がX線検査で取り出すように命じられたのはマトリョミン本体ではなく、電池駆動のミニアンプと聴診器であったのを思い出した。しかし、何が出てきても演奏を聞いてすらニコリともしないロシアの空港の係員の方たちはスゴイと思う。
日中笑わない分、夜とかはどこかで大笑いしてるのだろうか?。ロシア通の方に聞いたら、ロシア人はヘラヘラしてると頭が弱いと思われるので、小さい頃から知らない人の前ではあまりニコニコしたりしないようにしつけられているとこのことで、根っからいつもいつも機嫌が悪いということではないようだ。

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テルミンの演奏に必要な基礎的事項、「まっすぐ立つこと」に始まり、安定していて無駄な動きのない「美しいビブラート」や「極力正確な音程」といった要素は、できれば、無意識のうちに出来ていることが望ましく、意識的にどうにかしたい、と思って楽器の前に立っているうちはまだ自分のものになりきっていないのかもしれない。

では、無意識のうちにそれができるようになるにはどうしたらよいか、というと、もうそれは練習しかない。
・・・話が終ってしまったが、本当なのでしょうがない。

ただし、その人その人に応じて、どのような練習をすればより効果的か、どのような意識を持つべきか、についてのアドバイスが得られれば、より早い目的達成の道が開かれる。
自分にとって何が足りていないのかを自覚することができるかどうかは重要で、例えば、まっすぐ動かずに立てていないのにそれをわかっていなければ、直そうとすらしないわけだし、そこに進歩はない。
その際、先生(指導者)がいて、正しく指摘してもらえれば、手っ取り早い。

指摘されてもすぐには直せないこともしばしばであるが、修正の方向性さえ判明すれば、そのために練習をするのみであり、これは楽である。
しかし、「楽だ」と思って練習してもやっぱり出来ないこともあり、アマチュア演奏家としてはその限界を突き破るためにどこまで追求していくかは自分の体や精神との相談である。楽器の演奏や練習が楽しくなくては意味がない。(プロフェッショナル志向の方は別だし、アマチュアにとっても練習が苦しいか楽しいかは程度問題ではあろう。多少の苦しみなくしてその後の楽しみが訪れてはこない、という面もあるし。)

独習であっても、感覚の鋭いヒトは自らの欠点を自覚しつつ修正していく能力に長けているのだろう。その感覚や修正能力が鈍い場合でも、できなかったものがいつの間にか自然にできていることもある。これが練習の不思議。
また、ダメなときは休んで日をあらためる方がよいこともある。その後、「いつの間にかできるようになっている」ということがあるのも、必死になって練習して、へとへとになった経験を重ねたればこそ、という気もする。神様が一所懸命さを見ていてご褒美をくださるのだろうか。(無宗教者の独り言・・・無宗教であって無神論者ではない。)


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演奏前に、「今日はなんだか落ち着いているし、演奏に支障が出るほどの緊張はしないでいけそうだ。」と思っても、やっぱりダメだったりしている。だったりじゃなくて、いつもそうだ。

思い返してみると、演奏開始時はそれほど緊張していなくても、だんだん演奏が進むにつれてどんどん緊張が高まり、「静かに穏やかに弱音をきれいなビブラートで聞かせつつ消え入るように終る」というテルミン演奏にとってとても重要な聞かせどころが「ふにゃふにゃ、あるいはチリメンビブラート」で雑な演奏に終るというていたらく。

これは演奏の途中で「失敗したー」というときよりも、「おっ、今日はなかなかいいぞ。ピッチもいいし、アーティキュレーションも結構思い通りにできているぞ。」と思い始めたときに、だんだん緊張していって、演奏が狂い始める。

「うまく弾いてやろう。」とか、「ここまでうまくいったのだから、これから先もうまくできるといいな。」というような邪念(?)のようなものがそうさせるのだと思う。

本当にその音楽にのめりこんでいけていれば、このような邪念、雑念は消え去るはず。
「うまく弾いてやろう」「失敗しないようにしよう」などという小ざかしいことを考えているようではまだまだなのだ。

演奏技量としては不十分であっても、聴く人を感動させる演奏はテルミンでも他の楽器でも同様だろう。
(テルミンを聴いて感動された方のブログ記事・・・「NOW on W.E.B」)
(もう一つ、同じ演奏会で感動された方の記事を発見・・・「おいログ」)2005.4.27追記

大きな気持ちで演奏できるようになりたい。

先日、あるテルミン演奏家が言っておられた、「音程が少しくらいズレるところも含めてテルミンだし、そのほうがテルミンらしくていい。」精一杯の訓練、練習を重ねてその後では、このくらいの鷹揚な気持ちでいきたいものだ。

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昨日のレッスンから新しい曲に取組むことに。前日、前々日と最近の例にもれず、なにかとばたついており、じっくり練習できないまま、またもやレッスン当日になってしまった。
ポジションの再確認を会社から池袋までの電車のなかでやっている始末。回りの目など気にせず、楽譜見ながら指を折ってポジション確認したりする。
私自身が今回の曲で実現したいのは「大きな音程跳躍をできるだけやさしい音で優雅に鳴らしたい」ということである。

レッスンでは、いきなり先生に「今日はこれを」と楽譜渡してしまう。先生も「これまで弾いたことがない曲」とおっしゃる。それでも、初見で演奏できてしまうところがすごい。
いつも思うことだが、師は、自らに課している要求レベルが高い。演示の際にしばしば、自らの演奏に自ら厳しくダメ出しをされる。私には先生が自らに出すダメの何がダメなのか全くわからないことも多い。

私ら生徒には先生というよきお手本があり、目標があることがいかに楽かを思う。そもそも「どーせ素人だし」、というダメモト的感覚がある(私だけか)。
頂点に立つものはさらにその上にいくために、素人には判別できないほどの厳しい自己への基準を持っているのだろう。
ロシアでの師匠はそのまた師匠(リディア・カヴィナ)と共演し、「私も頑張っているが、師匠もさらに進歩している。」とおっしゃていた(私にはどっちが上とかいうレベルではなく、お2人タイプの異なる巨匠が並んでいると感じたが)。

上には上があり、その上の人もさらに自らの努力でもっと上へ上っている。恐るべし。

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(本当は尾上氏のリボンコントローラーの演奏が面白かったのだが、自分のことだけ書きなぐる。・・・当日のリボンについてのBlogはこちら(日刊すなっぷすてぃっく)やこちら(theremin 物欲 odyssey)をどうぞ。本当に面白かった。演奏もすばらしく、エンタテインメント!って感じ。)


さて、私はマトリョミンの初心者講習(2名)を担当。
お二方とも届いたばかりという改良型(ME02改)をご持参。
(新型ではない・・・新型の出荷はまだ先の模様)
4月9日にも別の改良型と対面したが、初期型に比べ、チューニングは楽になっている。

2体ともマンダリンエレクトロンの白い箱から取り出される。
まだ世間ずれしておらず、うぶな感じ。手垢で汚れる前の無垢なチューニングつまみが初々しい。
(なんか、いやらしいオヤジみたいな感想だ。我が家のジョシコーセーからはよく「セクハラオヤジ!」とか言われているが、、、。)

これまでの私のイベントでも、多くの場合、「体験コーナー」と称してテルミンやマトリョミンをいじってもらったが、お一人3分程度の時間しかなく、せいぜいピヨピヨ鳴らしてもらって楽しんでいただくくらいが関の山であった。

少し時間をとって、きっちりと教える機会をいただいたのは、4月9日土曜日の東急セミナーBE渋谷校における竹内正実先生のマトリョミン1日体験講座のお手伝いのときが初めてであった。
あのときも時間的にはお一人10分ほどとれたが、5人まとめて何度か回すということと、25人ほどでいっぱいになる教室内で5グループに分かれてということで、音が聞き取りにくく、環境的には今ひとつであった。

それに比べると今回のFOT東京サロンはじっくり取組めた。
渋谷のときもそうだったが、「どうにもこうにも教えようがない」、などということはなく、皆さん今後の練習で十分に弾きこなしていくことができそうな方ばかり。
基本的には「学ぼう」とする前向きの姿勢がそういう結果に結びついているのだと思う。ひしひしと伝わってくる真剣な姿勢がスバラシイ。遊びも真剣にやらないと面白くない、と、どなたかの意見を覚えているが、そういうことだと共感する。

打ち上げも楽しかった、、、が、今日は眠い。

初めにマトリョミンで演奏したYou'd Be So Nice To Come Home Toについて小ネタ(うんちく話)を披露しようとして用意していたが、すっかり忘れていた。
この曲は当時JAZZ評論家であった大橋巨泉が「帰ってくれたら嬉しいわ」という邦題をつけ、暫く一般に流布していたが、本当の意味は(男性が)「僕が帰る家に君が待ってくれていたら嬉しいな」というような意味だそうである(出征兵士が帰還するときの歌)。後年、大橋巨泉が誤訳を認めたのは有名な話。
あー、すっきりした。


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