テルミンとJAZZ
テルミンやマトリョミンの話。私、こちろうこと相田康一郎のプロフィールは左メニューバーのCATEGORYを。
 



 昨日、池袋の竹内教室生徒が出演する第一回練習発表会が本駒込の木蝶(もくちょう)という店で行われた。適度に緊張しながらも、皆が全力を尽くした良い演奏をしていたと感じた。
 私の緊張度は池袋の教室での最初の頃よりは小さかった。共演者のクラリネットに精神を集中していたせいだろう。観客の目線をあまり感じなければ、緊張も薄くて済むようだ。
 適度な緊張は演奏に大きなマイナスとはならず、むしろ良い結果をもたらすこともあるだろう。しかし、緊張が行き過ぎると、手が振るえて、ビブラートはおろかピッチコントロールが困難になる。そのことが、さらに緊張を高め、反対の手の音量コントロールまで覚束なくさせてしまう。
 ロシアでの練習発表会はどのくらい緊張するのだろうか?。由緒あるモスクワ音楽院のホールということだが、ここでの経験が楽しみ半分、恐怖半分といったところである。

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 テルミンの音程を変化させているのは、電子回路としてみると、アンテナと人体との間がコンデンサーの役割を果たしており、アンテナと人体との間の距離を変化させることで静電容量が変化し、それによって周波数を変化させているということだと理解している。
 さて、ハード寄りのオーディオマニアの間ではコンデンサの品質=絶縁材の素材その他=コンデンサーのメーカーの違い によって、スピーカーから出てくる音質の違いがあることが、半ば常識的に語られている。自作機器のみならず、メーカー製のアンプやCDプレーヤーに使われているコンデンサを基板から引き抜いて、お気に入りのメーカーのコンデンサに置き換えてしまう人もいるようだ(特に回路に直列に入っているコンデンサ)。最近はオーディオ趣味から遠ざかっているが、私の記憶では、たしか、サンヨーのコンデンサの評価が高かったように思う。
 しかし、物理的に考えると(といっても物理の専門知識を持っているわけではないが)、静電容量が同じだし、電子回路内の部品の一部を替えたくらいで、そうそう音に変化があるとは思えない、というのもうなずける。たとえば、アンプにしても回路基板のなかにはトランジスタや抵抗など他の部品がたくさんあるし、基板そのものの素材や線材、ハンダなどほかにも音に違いを生み出しそうな材料がたくさん使われている。そんななかで、なぜ部品の一部であるコンデンサーの違いが音質差に大きな影響を及ぼすのか、良く理解できないし、私自身は確かめてみたことがない。しかし、多くの人がそういうことを体験しているようであり、単なるオカルト現象ではないのではないか、と思っている。
 前置きが長く、かつ理屈っぽくなってしまったが、私が言いたいこと、あるいは、常々思っていることは、人間の体の状態によって、もちろん、人の違いによって、テルミンの音質は同じ楽器を使っても違いが出てくるのではないか、ということである。その理由の一つと思われることを、(実証もしていないのに)ある程度根拠のあることとして言っておきたかったのである。
 その人間の体の状態とは何か、またどんな状態のときに好ましい音質が生み出されるのか、を少しでも解明できたら嬉しいと思う。パラメーターとして考え付くのは、体表面積(身長・体重)、水分含有量(比重)、体脂肪率などであるが、音質をいいと思うか悪いと思うか別にして、人間の体のこれが変われば、音質が変わるという何かがみつけられないものだろうか?。
 しかし、同じ人で、急に体表面積や体脂肪率などを大きく変えることは難しいので、あくまで仮説のレベルからは抜けられないのかもしれない。でも、知りたい。
 もし、体脂肪率が高く、体表面積もなるべく広い方がよい、などの結果が出れば、本格派を目指すテルミニストはすべからくマトリョーシカ体型=バーブシュカ化せねばなるまい。それもちょっと、、。

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 音楽を奏でることは、とても楽しい。自己満足で十分楽しい。自己満足ということは全体にヘタでも多少音をはずしても、それでも楽しいということである。ところどころ「これはいけてる」と思える表現が出来てればよい。ただ、人に聞かせようとか、(そのためにも、)音楽的完成度をあげようとか考えると、とたんに苦しみが始まる。頭でわかっていても、うまくできない。テクニックの問題のみならず、基本的な音楽の素養の不足、芸術的感性の不足、などで、自己嫌悪に陥り、どんどん落ち込んでいったりして、せっかくの「楽しみ」が苦痛にも変わりかねない。しかし、真の喜びは自己満足で終っていては味わえないものということも言えるだろう。今、マトリョミン楽団であるマーブルの練習をしているが、一生懸命練習して完成度を高めている(であろう)他のメンバーの方々の足を引っ張らないように、少し苦しまねばなるまい。
 そして、その向こうには自己満足を超えた新たな次元の楽しみが待っているはずである。

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 先日、テルミンのレッスンを録音したMDを再生して聞いていたら、先生の指示が全く聞けていないところがあった。新に教えてもらった手直し部分をいっぺんに2つやろうと思っても無理のようだ。
 レッスンで教示されることに2通りあって、やりたいけれどもうまく出来ないことと、教えられたことが理解できていないかまたは、耳に入っていないことである。
 前者は、レッスン後に自分で努力をして、できるようになる可能性があるが、後者は、せっかくレッスンで教えてもらった意味がない。非常に短いレッスン時間の場合、後者のような状況を減らすためにも録音は重要だと思った。
 でも、昨日はせっかくMDスタンバってたのに、録音ボタンを押すのを忘れてしまった。しまった。

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 我が家のおちゃらけた高一の娘がクラスでテルミンの概要を話して、「・・・というような楽器って知ってる?」と聞いたら、約1名の同級生が「うーん、テで始まってンで終わるやつでしょ?」と微妙に知っていたらしい。そんなものか、と思った。ただ、その後、多くの同級生から「なぜ音がでるのか、音楽が奏でられるのか」という疑問・質問が噴出していた、というから、見込みはある。って、何の見こみか?。
 世代的なものもるのかもしれない。私自身の高校(20数年前のこと)の同級生の集まりだと、かなり認識率は高かった。あと、ロックをかじった友人での認識率も高い。さすがジミーペイジ。

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 ロシアでテロが続いているが、今月末からのロシア行きを断念する気には全くならない。せっかく勤続20年のリフレッシュ休暇をとってマトリョミンアンサンブルの演奏を含む旅行に参加するつもりなのだから、このくらいのことで「やめよう」とは思わない。
 そもそも首都の安全度ってどの国にしろ結構怪しいものがある。治安がいいと評判の東京にしたって、過去を振り返れば三菱重工(だったか?)ビルの爆弾事件やオウムのサリン事件があったではないか。
 今後についていえば、東京で大規模なテロに成功すれば国際的な注目度は高く、彼らにとってみれば、虎視眈々と狙っている可能性もある。
 都心で活動している限り、ある程度のリスクはどこにいたってあると思う。ただ、旅行者の場合、どうしたって公共交通機関を使ったり、人の集まる場所に行きたいので、その分普通の生活者よりリスクが高まるということはあるだろう。
 でも、こんな言い訳(?)を考えていること自体、実は深層心理の部分でビビっているのかもしれない。

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