テルミンとJAZZ
テルミンやマトリョミンの話。私、こちろうこと相田康一郎のプロフィールは左メニューバーのCATEGORYを。
 





メルカリで私が幼稚園のころから中学生になったころまで家にあったビクターのステレオ装置が出品されているのを見つけた。
オーディオラ STL-670M
その写真をみていていろいろと記憶がよみがえった。そんなおおげさな、と言われそうだが、今の楽器演奏指導につながるものを感じている。
このステレオ装置で幼稚園のころから小学校いっぱいくらいまで、何度も聞いていたレコードはカラヤン指揮ベルリンフィルのベートーヴェンの交響曲5番や6番。モーツァルトはあまり好きにはなれなかった。
このステレオの前で割りばしとかその辺の棒を指揮棒にみたて、眼前に拡がるベルリンフィルを前に棒を振っていた。時には激しくときには悠然と。その棒はカラヤンが振る棒と同期していたはずである。
つまり、私の音楽の先生はカラヤンである。マエストロ小澤征爾と同じである。小澤征爾が直接カラヤンに師事していたのは1960年ころだろうか。そこからくだって5年後くらいの生徒が実は私。
音楽の緩急や強弱による表現、表情付けをカラヤンに学んだのだから本当に先生だったのだ。そのときは楽しくてやってただけだけど。

くだんのステレオ装置は今でもレストアして使っている方がいるようだ。
ネットにレストアの顛末を記したBlogもあった。スピーカーを別筐体とするタイプの直前に出ている「アンサンブル」というスタイルで、調べると昭和40年(1965年・・・私は4歳)に発売されており、11球(真空管の数)11石(トランジスターの数)使用で出力30W。
幼稚園児のころから自分で操作してレコードを聴いていたのでよく覚えているが、スピーカーは2Way、レコードの回転方式はアイドラードライブ(小学校高学年の頃に家に修理しにきてもらってアイドラーを交換して
いたのを覚えている)、ラジオはFMも聞けた。
当時の価格は69,800円。ナースの仕事に復帰していたとはいえ、離婚して間もない頃の母にとって相当高価な買い物だっただろう。物価の上昇を考えると今の価値では30万円近いものと思われる。当初の埼玉県草加市松原団地から佐賀県有田町、佐賀市と3回は引っ越して、最後はオーディオやクラッシク好きな大阪の親戚に「さすがに真空管はいい音がする」といって引き取られていった。

母はこども用の文学全集など私に本をたくさん買い与えてくれていたし、いい音楽もたくさん聞かせたいと思っていたようで、小学館かどこかの交響曲全集のシリーズでEPとLPの中間くらいの大きさではあるがしっかりしたレコードが2枚入っていて解説も詳しい本(レコード付き)もたくさんそろっていた。
ベートーヴェンは副題のついた3、5、6、9番だけだった。たしか全部カラヤン指揮のベルリンフィル。モーツァルトは40番、あと覚えているのはハイドンとかドボルザークとか。
そのなかで私がもっぱら針を落としていたのはベートーヴェンの運命と田園であった。この二曲の冒頭部分は今でもカラヤンの当時の演奏と同じテンポで、かつ強弱指示しながら棒を振れる自信あり(笑)。



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電車に乗る前のわずかな時間を利用して、改札内にある小さな本屋を覗くことがあります。
今日は、弦楽器のための雑誌、サラサーテ8月号の背表紙に目がとまりました。
ビヴラート再考

ビブラートを光と影、と、表現していたり、かけすぎは悪、とか、一つの答えはない、と言ってるツィマーマンへのインタビューなど、膝を叩いて同意できること満載。

立ち読みですみませんでした。

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サラサーテ 2013年 06月号 [雑誌]
クリエーター情報なし
せきれい社

今日、たまたま立ち寄った書店の音楽雑誌コーナーで「ビブラート習得術」という特集記事の表紙が気になったので、弦楽器の雑誌サラサーテを2-3分立ち読みしました。
バイオリンやチェロなどの複数の弦楽器奏者がビブラートについて書いておられます。斜め読みもいいところですが、目に付いたフレーズは「力を抜く」と「心の震えの表れがビブラート」ということです。ほとんどの奏者がこの二点には触れていました。
脱力は難しいことですが、時間をかけて練習していると、いつか力が抜ける日がやってきます。もちろん、意識して脱力できればビブラートの上達は早いでしょう。
むしろ、今回、とても興味深かったのは「心の震え」ということでした。お教えする立場になると、どうしても表面的な現象とか物理的な動きの説明に終始してしまうことが多いですが、感情表現が芸術の大きな側面だとすると、自らの感情の高ぶりやあるいは穏やかさという心の揺れがビブラートとして現れる、あるいはそれをビブラートで表現するという根本的なことを忘れてはいけないと思いなおしました。
本日たまたま初心者用に家路をビブラート無しで演奏する練習をしてみました。するとどうにも耐えられず、少しですがビブラートを入れてしまいます、というか、よほど「かけない意識」を強く持っていないとかかってしまいます。曲の盛り上がる部分では手が勝手にビブラートをかけてしまうのです。これが心の震え=ビブラートということなのでしょう。自然に音楽そのものや自らの感情の動きに応じてビブラートがかかってしまうように練習を積んで参りましょう。(かけすぎ注意)

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遅くなりましたが、新年明けましておめでとうございます。
昨年始め頃から昔の交換レンズをマウントアダプターを介してミラーレスカメラに取付けて写真を撮ることに目覚め、その方面の著作も多い澤村徹先生が東急セミナー自由が丘校に講座(
オールドレンズパラダイス、以下OLP)も持っておられることに気づいてからは、月一回の受講も始めました。先日の座学の際は、それまでのハード的な話から一転して、(写真における)表現とは?、ということを中心としたお話でした。
常々、いろんなことをテルミンの演奏に結びつけて考えてしまうことが癖となっていますが、その回のOLPは、否が応でもテルミンの演奏における「表現とは」ということを想起せずにはおれない内容でした。
そもそも、芸術というものはすべからく、ひとの心に直接的に何かを訴えて感動させるものだと思いますが、その意味において文学も絵画も写真も音楽も同じだと考えます。
澤村先生は、オールドレンズでの作品作り=表現 について語られたわけですが、私もテルミン(もちろん、マトリョミンを含む)の演奏において、「表現すること」が大事であると思っています。私が担当する演奏講座においても全くの初心者の方は除くとしても、早い時期から表現することをお教えしているつもりです。このあたりの詳細はまた筆を改めるとして、現代レンズよりスペックが劣っていたり、扱いずらいオールドレンズをわざわざ使って写真で表現することとテルミン演奏で表現することとの共通点を思うとき、全く別々であった世界が急にごく近しいものに感じられてきました。
さて、もうすぐマトリョミン検定試験1級が各所で実施されます。受験者の方々は、自分が信じる、より良い表現に挑戦し、聴衆の心に響く何かを残せるよう、最後の努力を惜しまず頑張ってください。
あさって土曜日、西麻布の食とギャラリーコライユで行う1級模擬試験では、観覧者のお席にまだ余裕があるようです。受験者渾身のミニコンサートを聞きにお越しください。お申し込み等は下記コライユさんのblogをご参照ください。
http://corail.exblog.jp/18099095


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写真は私がマトリョミン合奏のときに使っている聴診器のホースの先です。
白いビニールテープを巻いて、目印にマジックで線を描いています。
私は手のひらにホースを置き、その上に置いたマトリョミンとの間に
挟みこんでモニターしていますが、長い曲を演奏しているときなど、
ホースがずれて外れてしまったらどうしよう、などと心配になるときが
ありました。それと、ホースの位置によって、高音部でもしっかりと
マトリョミンのスピーカーからの音が拾える位置があるようで、この
マークを付けるようになってから、迷いがなくなり、心の安定度も増した
ようにも思います。簡単な処置なので、気になる方はお試しください。

ホースの持ち方についての過去記事はコチラ

おっ、今気付きましたが、「下からホースを差し込んで指で挟む派」の方
にもこんなおすすめの方法があるようです。
ミン活ノオトの記事…コチラ
ついでですが、聴診器モニターが安定してうまくいくかどうかは、合奏
におけるとても重要なポイントです。不慣れな方は個人での練習のときも
なるべく聴診器を使って、いつもきちんと自分の音がしっかり聞こえる
ように慣れておくべきです。

・次回だあしゑんかのマトリョミン講座は今度の土曜日です(コチラ)。
・マトリョミンアンサンブル一日体験教室12/18・土曜(東急セミナーBE渋谷)
 のお知らせはコチラ
・100人のマトリョミン直前対策講座(1/15コライユ)のお知らせはコチラ
・12/23(木・祝日)のニチェボー!クリスマスライブ(水天宮)の
 お知らせはコチラ

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私もまだそれどころではない感じですが、演奏がある程度まとまってきたら、
次は暗譜にとりくまないといけないですね。曲数も多いので大変です。
もしかしたら、最初から暗譜を意識して練習していた方がかえって早道
かもしれません。

暗譜のやり方について、参考になるブログ記事を発見しましたので、
勝手にご紹介いたします。コチラ「喜びをうにょんうにょんに載せて~(仮/笑)」


100人のマトリョミン合奏関連記事
・演奏について1はコチラ
・演奏について2はこちら
・演奏について3はこちら

・ハードについて1はこちら
・ハードについて2はこちら
・ハードについて3はこちら

番外
意義
レコーダー

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伴奏音源やデモ音源に合わせて頭から練習していても、何度やっても
できない箇所、難しい箇所とかあったりしますよね。

音程がとりにくい個所はキーボードでしっかり確認して伴奏音源から
いったん離れて、ゆっくり音程をとっていく、というのは以前説明しま
した。と思ったら、してないかも?。音源聞きながら楽譜を漫然と見ている
だけではわからなかった新たな発見があったりします。単純なところでは、
たとえば「ここは半音づつ下がるだけなのか」などで、こんな簡単な発見が
演奏をよりやさしくしてくれます。

手元ですぐ弾ける小さなキーボードは練習時に常に近くに置いておくべき
です。「これから買わなきゃ」、という方には、こんなものがお勧めです。
小さくてもそこそこ鍵盤が大きい。ネットの安売りだと3,000円台で買え
そうです。コレ
クロマチックチューナーを使うのもお勧めです。
たとえばこれ
また、これを機会に録音機を持っておられない方は是非手に入れられる
ことをお勧めします。
自分で弾きながら、「できてる」と思っていても録音したものを聞いて
みると、全然だめだったりすることは多いです。今は音楽練習にに
ぴったりの各種ICレコーダーがありますから、お店で手にとって
みられてはいかがでしょうか?。

伴奏音源などをゆっくりしたテンポにして再生できる録音機なども販売
されています。
コレです

またクロマチックチューナーでありながら、録音できて、そのピッチを
表示してくれるこんな機械もあります。操作になれるのがちょっと大変
かもしれませんが、画期的な機能だと思います。

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100人合奏についての私の最初のみたては「とにかく大勢でお祭り的にやるイベント
なんだろう。」と、正直、たかをくくっていました。
ところが、課題曲がほぼ明らかとなったいま、「これは甘く考えていたら大変だ。
相当真剣に指導に取り組まないと。」と、思っています。
前向きに考えて、まだ3ヶ月近くの練習期間があるわけですから、指導するほうも
それを受ける方もやる気をもって臨めば、なんとかなる、とも、思っています。

なぜにこのような「簡単ではない」課題曲をしかもたくさん設定されたのか、その
意図のほどはお聞きしていませんが、この100人のマトリョミン合奏を乗り越えた
あかつきには、参加するマトリョミン演奏者全体の大変なレベルアップが図られる
ことは確かだと思います。

私の教室では、各曲の入り方、終わり方(グリッサンドアップ、ダウンのタイミング)
に始まり、今後それぞれの曲のニュアンス付け、を行います。
ただ、弾けていればいいという曲ではないので、大変ですが、そこが先に書いた、
「レベルアップ」の部分です。マトリョミンでその曲に応じた演奏を行い、音楽を
奏でることの楽しさをしっかり味わおうではありませんか。

思えば、私が初めて取り組んだマトリョミンの曲は「マーブルの歌」でした。
大変に難しい曲ですが、最初にあの曲と真剣に数カ月間格闘したことは今も財産に
なっていますし、その後マーブルの海外公演や、録音録画などに参加させていただい
たり、ニチェボー!ほかでやるマトリョミンライブのための練習など、楽器と音楽とに
長時間浸るたびに、演奏技量や音楽性が向上したかのように自分でも感じたものです。
いずれにしても真摯に集中して、出来る限りの準備を行うのみです。

なにやら決意表明のようになってしまいました。
次回「100人」関連記事では、グリッサンドアップやダウンについての私の考え方を
述べたいと思います。

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以前のエントリーにコメントもいただきましたが、テルミンのビブラートの練習法で、美しいビブラートのかかっている先達の音源に合わせて演奏してみるのはいい方法でしょう。ビブラートをかけ始めるタイミングや深さ、振幅回数など、完全にシンクロして音源の音と自分のテルミンの音との区別がつかなくなるくらいまでマネしてしまうことです。学(まなぶ)はマネぶ。
余談ですが、禅宗の高僧が、自らの師について語っておられたなかで、「まねばかりしているのはだめなことと思ってもいたが、50年真似をし続けるとそれは真似ではなく本物になる」というような主旨のことをおっしゃっていたことを思い出しました。

さて、練習曲や音源利用以外の方法ですが、いわゆるシャドーテルミンでビブラート動作をひまさえあればやっておく、というのも有効だと思います。ビブラートの練習に限らないのですが、私はよく「トイレ練習法」をお勧めしています。トイレに座ったときに(別にトイレでなくても椅子でいいのですが、トイレの個室は誰にも見られず、集中できます)、ひじをももに乗せたまま、前腕全体を動かしてブブラート動作をするのです。ひじを起点(支点)として前腕全体の動きを体に覚えさせることができます。小さく、大きく、連続的に大きな動作から小さな動作に、などなど、頭に音を思い浮かべながらやってみます。試してみてください。

竹内正実先生による教則本「テルミンを弾く」(絶版)のなかに湯船に入っているときに手首から上をお湯の中から出してビブラート動作を行い、均一な波紋ができるように練習する、という内容がありましたが、これも結構やりました。

思うに、日常生活のなかで、たとえばトイレに入ったときでさえも常に「より美しいビブラートをかけたい」と念じ続け、なにかしら練習となる動作を行ってみる、という「こころがけ」のようなものの累積がいつの日か突然効果を表すのではないでしょうか。いつの日か、がいつなのかはわかりませんが、いつの日かが訪れることを期待して日々、思いを深めていきましょう。

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余韻を作る

最近よく思うことなのだが、テルミンという楽器の特徴の一つとして、「余韻までも演奏者が作りだす」、あるいは「作りだせる」ということがあるのではないか。

普通の楽器は余韻は楽器自らがボディーの共鳴などによって作りだしている(部屋やホールの残響はここでは排除して考える)。しかしテルミンは電子楽器であり、余韻を作ろうと思うとリバーブなどのエフェクターを採用することになるだろう。
しかし、エフェクターで作られた「余韻」ではなく、楽器自らの余韻を出そうするとどうなるか。それには、疑似余韻とでもいうべきテルミンのコントロールが要るのではないか。具体的には、静かな曲の終わりやフレーズ終わりの長い音符の演奏上の扱い方の技術だと思っている。単純に言ってしまえば、聞こえるか聞こえないかわからないくらいの微弱音へのスムーズな減衰とその際のビブラートの扱いである。
今回のテーマはビブラートなので、ビブラートに焦点を絞ると、音量がある程度減衰したところで、弱くやさしいビブラートをかける。そのときの感覚は「音のゆらぎ」のようなイメージである。「ゆらぎ」だからといって不安定でいいわけではないが、あくまでも音が消え入り際で揺らぐイメージを手の動きや力の入れ具合に反映させていくことにより、テルミンという楽器自体の余韻を表現できると感じている。また、このような意識を持てるかどうかで演奏の質がずいぶん違ってくるように思う。
ビブラートが上手にかけられる人でもこの繊細な動きが出来ない方は多い。しかし、そういう微細な動きのコントロール、あるいは演奏者自らの極めて繊細な感情のコントロールがテルミン演奏の醍醐味でもある。

余韻すらも自らコントロール出来る楽器テルミンの素晴らしさ、また一方で、余韻すらもコントロールしなければならない集中力を要求される楽器テルミンの恐ろしさを常々感じる今日この頃である。

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