今年こそはと期待していた箱根駅伝が、復路を残し私の中で終わった。そして、1日早く駅伝ロスが始まった。応援サイトが炎上しているが、しばらくは遠ざかるつもりだ。今年はシードを取れるだろうと、前のめりになっていたが、現実を受け止めるしかない。
議員の時代は2日から、新年の挨拶がてら「議会報告」を配り始めた。約1週間かけて800軒ほど回った。この交流が私の活動の原点になった、と思っている。体調を崩した折は郵送したが、年4回の定例議会ごとに発行し、10年間配って歩いた。流石に議長の職責にあった最後の2年間は遠慮した。
議員を引退すると決断した時、健康上の問題もあったが、自分のできることはやり切った、との思いになれたのは、NO.1からNO.41までの「議会報告」の綴りだ。NO.41は12年間を総括して、感謝を込めて原稿を書いた。そして、それを片手にお世話になった方々に挨拶をしてまわったが、涙を流してくれる人もいて、私の方も感動ものだった。
それが無くなった上に新型コロナ騒動で、お正月をどう過ごして良いのか、戸惑っている。そんな中で、昨日は極親しい友人宅を訪ねた。改めて話すこともないのだが、顔を見ると気持ちが落ち着く。たわいのない話で30分ほど過ごした。
良い気分転換になった。箱根ロスで失われた気力が少し湧いてきたような気がする。
以前に撮ったフクジュソウです。パソコンのピクチャーを探しています。
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