蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

川勝知事に部族民大賞 (続)

2024年04月11日 | 小説
(2024年4月11日)先に(4月8日)に投稿した部族民大賞の意味について。

モノは常に対象であってそれが主体となることはない。モノは考えず、判断せず、ひたすらそこに居る、あるいは重力の法則に沿って動いている。しかしこれは近代人の思考でしか無い。先住民とされる人々はモノについて「彼らは思考し判断し、相互に作用し、動き回る」と決めつける。モノを主体としている。これがレヴィストロースの著作「野生の思考Pensée Sauvage」の主題で、その思考は科学(分類法)、哲学(魔術)、技術(Bricolage やっつけ仕事)に展開する。

川勝知事は「大井川の水は命の水」と言った。大井川は静岡県民に水を供給しているのではない、命を育んでいるのだ。故に不可触なんだーとの意味だと部族民蕃神は解釈する。上流にトンネルを通すはもってのほか、水が一滴でも山梨ナンカに流れたら、静岡県民の一滴の命が消える。こんなふうに命の水を発展させてくと「大井川」主体説となって、まさに南米マトグロッソ居住のボロロ族と同列になってしまう。同族は30年をサイクルに居住地を移動するが、新邑落を必ず川(Rio Vermalho)の左岸に構える。彼らの信心では川は命をもたらし、命を運ぶ(人の生命のサイクル中央に川が位置し、死者を仮埋葬の後、骨を川に流す)。ボロロ族のRio Vermalhoは静岡県民の大井川に当たるのだ


Rio Vemalhoと船泊。意味は赤い河、マトグロッソの鉄礬土(てつばんど)が流れに交じるから。

写真はネット、マトグロッソ観光協会から拝借

8日の投稿ではYoutube「大井川の水とリニアの本当の話、24年1月9日投稿」杉山大志キヤノングローバル研究所と小林一哉氏の対談を紹介した。両氏は利水の対象としての大井川をとつとつと論じていた。発電、農業、生活水などのためにダム建設、導水管の敷設の様を紹介した。こちらは大井川を対象、モノとして見ている。科学的です。
モノを客体とする思考が「近代思考」で、主体と見るのは「具体思考」。川勝はまさに具体思考=先住民思考の静岡県代表であった訳です。
本日(11日)川勝辞表提出のニュースに投稿子はおののいた。大賞授与の決定、これまでの努力が無駄になってしまった。 川勝知事に部族民大賞 (続)了
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