蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

新大陸神話の北上説 中

2024年04月06日 | 小説
(2024年4月6日)M1(Bororo族)とM530(北米Klamath族)の近親姦の比較。
北米神話のイシスの冒険はいわく因縁(近親姦と死の幾層かの重なり)の果に英雄イシスが生まれる。、原型と目されるM1神話では一回の上下婚(ハハコタワケ)、さらには一旦(断崖で)死んで少年が英雄に進化する。筋道の共通性をして北米Klamath族の伝えるイシス神話(M530)は、南米マトグロッソBororo族の「火と水の起源」神話M1の伝播とレヴィストロースは主張する。
似通いの様は下図を参照。






また筋立ての機転となる近親姦、そして終結の親殺しParenticideは南北共通です。上図 にまとめた。


下はCodeを取り出し、その展開をして南北神話の比較を図にしている。



この図の読み方 : 南米・北米神話は同じ主題(Code)を採り上げ、それらCodeの進展にも同じ流れを見せている。最左柱は分断同盟を表す。近親姦を経て同盟が分断される。M540では近親姦は語られない(5人兄弟と1人の妹が共同生活。兄弟も妹も同盟(嫁取り婿取り)を否定する。
左2番目社会制度では通過儀礼(男子壮丁の序列を決める)の否定、M1。右方の2柱にも同じ主題、同じ進展が見られる。

« Nous ne cherchons pas le pourquoi de ces ressemblances, mais le comment. En effet, le propre des mythes que nous rapprochons ne tient pas à ce qu'ils se ressemblent ; et souvent même il ne se ressemblent pas. Notre analyse tend plutôt à dégager des propriétés communes, en dépit de différences parfois si grandes qu'on considérait des mythes que nous rangerons dans le même groupe comme des êtres totalement distincts (page32) » (南北神話の相似について) なぜ(Pourquoi) 似通うのか、その理由を探しているのではなく、どのように(Comment)相似があるのかを求めている。我々が採り上げる神話の本来姿は、見比べても似通いに気づくわけでは無い。多くは、僅かな似通いすら見せない。よって我々の解析とは幾つかの特有性状 « propriétés » を探し出すところから始める、たとえ人々には相違が大きいと見られても、それら神話を同一の群として、そのより分け理由からは明瞭にその群に帰属する個体神話と認められるに至るのである。

もう一例を挙げる。下は南米Kutuna族伝承のモンマネキ神話(第三巻、食事作法の起源に収録)と北米Arapaho族の月の嫁神話(同)の比較の図。
図の説明:同盟の形成努力、筋道で近似性が認められる。一方でモンマネキは男の努力、月の嫁では女の願望と逆転する。両者は同一神話ながら構成が逆転とある。さらりと目を通してください。



新大陸神話の北上説 中 の了 (4月6日)

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新大陸神話の北上 上

2024年04月04日 | 小説
新大陸神話の北上説 上

(2024年4月4日、本稿は過去の同名投稿を新規内容など加筆した再投稿となります)レヴィストロース神話学第4巻(最終巻)L’Homme Nu裸の男の最終章「Finaleフィナーレ」から「新大陸神話の北上」説について。

1南北大陸の神話群は似かよう。 
2南米神話の内容は簡素、短い。北米神話の筋は複雑。故に神話は北上。
3 新大陸の民族移動は北から南、神話も南下が定説、北上説は多くの民族学者に否定される。

これに反駁するレヴィストロースの論点を紹介する。(本書挿図に赤丸左、黒線などを部族民が加え下図右を作成)


右図は部族民の想像にすぎない。これとは別の可能性はパナマ・メキシコを北上する陸続き旅程。しかしパナマの隘路(ダリエン地峡)は今も昔も難所、かつ中米諸族の神話と南米神話の類似性は薄く同系統とは考えにくい。レヴィストロースは一切この地域神話を採り入れていない。陸続き説が成り立ち難いとすれば、海路カリブ海経由しかない。残念ながらこの海域諸島で活躍していたカリブ族(本書に登場するWarrau族の近縁)は西洋人(コロンブス一行)と最初に接近した結果、天然痘などの旧大陸病原菌に罹患し、滅亡した。神話は収録されていない。


主張を詳しく :

1 似かよい ; 筋立て(armature)と伝えかけ(schèmeスキーム=メッセージ)において同一(identique)、時には逆立(inverse)関係(=これも近似性)が認められる。神話学全4巻に収録された南北アメリカの神話総数813は全て、基準神話M1ボロロ族伝承の(ブラジル・マトグロッソに居住)の「水と火の起源」神話と直接、間接に関連する(同一、反転など)との。

« On est allé dans le troisième volume de l’Amérique du sud à l’Amérique du nord, grâce à des mythes inversés dont la signification était identique. Dans le quatrième volume, grâce à des mythes identiques (puisque M529~531 reproduisent M1, M7~12) dont la signification était inversée » 訳:第3巻(Origine des manières de table)では(前半の)南米神話と(後半の)北米神話の幾つかの神話を比べると(構成)は逆転しているが意味(schème) では同一の神話と判定できる。南北を結び付けられた。さらには第4巻(北米神話)では(南北神話を見比べ)構成は同一ながら意味が逆転する神話群のおかげで北上説を確認できた(括弧は訳者、裸の男564頁) 。

実例を第4巻 « Homme nu » 裸の男「家族の秘密」章での実例は :
« Au point où nous sommes, mieux vaut, souligner la symétrie dès à présent manifeste entre les versions nord et sud-américaines de l’histoire du dénicheur d’oiseaux. Le héros de M1, supposé impubère, viole sa mère. Celui de M530 n’a pas de mère, et il est non seulement adulte et marié, mais couverts de femmes. Au début du mythe, l’un n’a même pas encore reçu l'étui pénien. L'autre apparaît comme le maître des plus riches habits. Il faudra que son père oblige à se dépouiller des pieds à la tête. Pour pouvoir revêtir son coutume et assurer son aspect physique (page29) » 今、我々は南北アメリカの鳥の巣荒らし神話に見える対称性 « symétrie » を語らねばならない。M1(南米ボロロ族伝承、神話学全体の基準神話)で英雄はまだ成人となっていない時期に(通過儀礼前の少年、生物学的成熟とは異なる)母を犯す。M530(北米Klamath族伝承)の英雄イシスは母を失い、複数妻を持つ正丁。片方(M1)はペニスケース(同族は日常ではこれを唯一の衣装としている)すら帯びず、もう一方は服飾も華麗。父親は大木に巣くった鳥の巣をあらすよう息子に命じるが、頭から足の先までの衣装を脱がなければならなかった。

« Cette relation de symétrie s'étend à tous les aspects du mythe. Ainsi, l'inceste avec l'épouse du père qui sert de départ à M1i, s'inverse dans M530 en inceste avec une épouse du fils. Par vengeance, dans le premier cas, par calcul dans le second, le père isole son fils au sommet d'un arbre ou paroi rocheuse sous prétexte de l'envoyer dénicher ici des aras, là des aigles.
対称性は両の神話群のあらゆる要素に広がる。かくして、父の配偶者との近親姦、これがM1神話の出発点となり、それが反転して息子の配偶との姦淫。一方では直接の復讐、片方は計算づく(俗神力の源がパイプにあると知る)で追い詰める。木の頂点と崖の上、金剛インコ対鷲―と対象性が見える。

逆転している対称性は :
1 少年対正丁 通過儀礼前(狩に参加できない) 対 既婚、狩りにも長ける
2 服飾はみすぼらしい(服を着することを許されない裸体)対 絢爛さ


ボロロ族壮丁、儀式にはきらびやかな服装で臨むが普段はペニスケースのみの裸体を通す

これらは英雄の社会位置でありそれを符丁Code(話の筋をなす要素、レヴィストロースの呼び方)として、その出発位置と発展(Codage)を比べる。2の立ち位置は反対inverseを見せる。これが対称性を示す。
符丁が筋の中で進展するさまをCodageとする。近親姦なる符丁が子と母、父は嫉妬し子を追いやる。子は帰還して父に復習する。もう一方、父は息子の嫁を(息子のフリを装い)誘う。樹上に追いやられた息子が帰還し父を(それなりに)懲らしめる。Codeの設定(近親姦)もcodage進展(父の反発、子を放逐)も似通い « ressemblances » が認められる。上の了(4月4日)
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日本人の職業観 読切

2024年04月03日 | 小説
(2024年4月3日)静岡県知事川勝氏が突然辞任を表明した(4月2日)。理由は県の新入職員入職式(1日)での発言「野菜を売ったり牛を飼う仕事をしている者たちとは違って公務員は頭が良い」に世上多くから批判が浴びせられたことによる。私(部族民蕃神ハカミ)は一次発言を聞いていない(音源はネットには出てない)。メディア報道によるものでどのような文脈で発言したかは不明だが、これだけを切り取ってもその思考言い分に不遜さは感じ取れる。

なぜ不遜か?日本人の職業観、更には人と成り、あるべきその姿と全く相容れないからと(私は)思う。あるべき姿とは ;

仕事の場に向かい手抜きいい加減で片付けると、結果、完成度の低い作品を生み出してしまう。レヴィストロースはこうした作品を « Bricolage » やっつけ仕事とした。先住民(近代国家では遠隔地)の産品にたいして完成度の高い近代工芸品、あるいは寸法材質に規格を設けている工業製品と比較のうえです。(著作野生の思考から)
彼は日本を度々訪問したなかで、地方の産物と製作工程に関心を持ち、お土産工房を訪問していた。輪島塗の工房を訪れ作品完成度の高さに驚いた。のみならず他の産地でも真摯な制作姿勢を見て取った。日本には « Bricolage » は無いと結論づけた(著作月の裏側を参考にした)。


Georges Méliès 映画初期の監督(1861~1936年)。彼の生きた19世紀末20世紀初頭にはロケットもコンピュータも発明されていない。月に人工物を送るには「この手しか無い」と大砲を持ち出して、月にぶち込んだ(脳内作業)。JaxxaのSlimが近代科学発展の金字塔だとすれば、Mélièsの月面旅行は Bricolageと言えよう。レヴィストロースはSlimの快挙など知る由もないが、なんとも先見の明があったことか。なおこの写真はBricolageの一例として野生の思考に紹介されている。
下の写真は

着地してひっくり返っても、Méliès大砲に100年以上も先を越されても、マイナス170度の夜でも、なんとか頑張っているSlim。ヤッパ、属性分解して作成する近代科学はスゴイ(写真はYoutubeスクリーンから)

農業とはどんな仕事だろうか?
野菜を栽培するとは土壌の吟味、種の選定、種まきの時期、水やり…幾重かの工程に分かれそれらの一つに判断を間違えば収穫にならない。丁寧さ、真摯さが要求される。いい加減では生活できない。農民の就業姿勢、更には人と成りの姿が、生産財野菜の形と味に現れている。牛の飼育農家(酪農家)にも同じように段階工程を経ているとおもう。公務員の仕事を私は知らないが、作業には幾段階の積み重なりがあり、一箇所でも誤ると成果が出てこない。
両の作業を比べて、一方は「頭の悪い人の仕事」もう一方は「良い人」と断定するのは誤りである。いかなる生業に「やっつけ」はありえない。「職業に貴賤はない」の格言がこの思想を教えている。この言葉を学童(たしか三年生)で習った。キセン貴賤の意味を知らず、教諭は「優劣、どちらにも良い悪いはない」と説明した。今持って心に、言葉と意味の教えを植え付けている。これは本投稿の接近者様と同じ、日本人であれば皆に共通であります。

川勝発言をきっかけにして職業、人性、意識を捉え直し「貴賤はない」の意味を考え直した次第です。

メディア報道を本にした個人的感興です。発言の一次音源には接していないので「付和雷同」の気味があったら乞うご指摘(4月3日)。  
 了 
追: « Bricolage » のレヴィストロース的用い方は「それなりに苦心しているが完成度は低い」としての寄せ集め作業。先住民は「モノそれ自体の運動とモノ同士の連関」が宇宙の森羅と思考している。モノの本質とは属性にあるとする近代科学(コペルニクス、デカルトの創始)と対比している。この対比を手作業、仕事、生産品に敷衍しての比較評価です。蔑んだ意味は付加されていない。
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